020 二番極楽寺 [ Jul 26, 2015 ]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

一番霊山寺から二番極楽寺までは広い通りに沿って西に進む。前の大通りは幹線道路のようで、ひっきりなしにトラックが飛ばして行く。

車通りが多いせいなのか、店も多い。遍路必携の地図「四国遍路ひとり歩き同行二人 地図編」(このブログで遍路地図といえば、この本のことである)には掲載されていなかったけれども、一番札所の近くにはセルフうどん屋や喫茶店が見えたし、しばらく歩くとセブンイレブンもあった。

極楽寺まで歩く途中に、初めてお遍路の団体とすれ違った。20人くらいで、私よりもかなり年上に見える。菅笠と白装束、金剛杖という完璧なお遍路装束の人もいれば、上は白衣・下はCW-Xとか、登山用のダブルストックで歩いている人もいた。二番から一番に向かっているということは逆打ちということになるが、長距離を歩いてきたようにも見えない。

いずれにしても、服装にはそれほどこだわる必要はないということが分かった。それよりも気になったのは、足元である。WEB情報をみると、軽登山靴がいいと書かれているものが多いのだけれど、私の経験上、軽登山靴は平地の舗装道路を歩くのにはそれほど適していない。今回用意してきたのはランニングシューズで、薄くて軽いがそこそこクッションも利く。

いますれ違った団体の場合、軽登山靴というよりもウォーキングシューズをはいている人が多かった。ウォーキングシューズなら、市街地の舗装道路を歩くのには向いているが、逆に山道には向いているとはいえない。

この日歩いてみた限りでは、平地の舗装道路ではランニングシューズでそれほど不便は感じないし、ウォーキングシューズより軽いので自分には合っているように思える。十番札所を越えると現れる本格的な山道では軽登山靴がよさそうだが、いまのところはランニングシューズで歩いて大丈夫そうである。

二番極楽寺に向かう右手には、阿波と讃岐を隔てる阿讃山脈(讃岐山脈ともいうが、徳島側ではそのように呼ぶ)が見える。源平争乱時だから空海の時代より400年ほど後になるが、源義経が屋島を急襲する際、この道を通って阿讃山脈を大坂峠で越えたという。ちょうど、現在高徳線が通っている経路である。

屋島の合戦は、平家方が海に逃れ那須与一が砂浜から矢を射て船上の扇の的を落としたので有名な戦いである。つまり、山を越えるとすぐ海になるということである。このように山と海がすぐに位置しているのは、瀬戸内の地形の特色といえる。われわれからすると特色になるが、こちらに住んでいる人たちにとって山があって海があるのは当たり前ということかもしれない。

山並みは近づいたり遠ざかったりしながら、ずっと彼方まで続いている。道路の傍らは、畑だったり栗の木が植わっていたり、倉庫がいくつかあったり住宅になったりする。そうして20分くらい歩くと、道路沿いに二番札所の案内表示が現れた。すごく大きな案内なので、見逃すことはなさそうだ。

案内にしたがって右に折れると、そこは大きな駐車場となっている。二番札所、極楽寺である。


二番極楽寺に向かう右手には、阿波と讃岐を隔てる阿讃山脈が見える。源平の昔、源義経はこの道を通って、三番金泉寺から大坂峠を越え屋島に向かったということである。


炎天下を20分ほど歩いて、幹線道路から右に折れる。すぐに極楽寺の山門がある。

 

二番札所は日照山極楽寺(にっしょうざん・ごくらくじ)という。弘法大師空海が阿弥陀如来の像を刻んで本尊としたところ、その後光が遠く鳴門の海にまで届いたという伝説から、日照山という山号が付けられたといわれる。

山門の前は大きな駐車場になっており、一番札所が比較的こじんまりしていたのと比べると境内は広く奥行きがある。もっとも広い分、炎天下を多めに歩かなければならない。

境内に入って最初に目に入るのは納経所の案内で、団体と個人とで別方向に誘導される。これは、個人の遍路にとってありがたいやり方である。団体さんと一緒になると、納経に時間がかかる上に、そんなことはないだろうけれど流れ作業的に納経されてしまうという印象がある。こちらの場合、団体さんは宿坊へ、個人は駐車場横の売店で納経するので安心である。

山門からすぐの場所に願掛け大師があり、しばらく進むと子育て地蔵があり、さらに参道を進むと薬師堂・観音堂といった建物がある。お参りすべきかどうか少し迷うが、遍路の場合は本堂・大師堂が本筋だろうと考えて奥に進む。(遍路本を読むと、お遍路の場合はまず本堂、大師堂の参拝が先で、その他のお堂や旧跡の見学は後から行うのが正しいようである)

白い砂利を敷いて整えられている参道や、何十台も収容できる駐車場から考えると、ここ極楽寺はお遍路の二番札所というよりも、願掛けや子宝・子育て祈願にご利益のあるお大師さんのようだ。首都圏でいえば、川崎大師とか佐野厄除け大師の立場である。あるいは、年末年始には初詣で大勢の参拝客を集めるのかもしれない。

本堂・大師堂は参道を薬師堂・観音堂まで進み、突き当たりを左に折れて階段を上る。この階段が結構急である。ご年配のお遍路さんの場合、足元が厳しいかもしれない。帰りに階段脇に、「上り下りとも必ず手すりを使用してください」と書かれていた。上りにもあったのかもしれないが、気がつかなかった。

本堂・大師堂にそれぞれお参りする。この時気づいたのが、お堂の前に椅子とか腰掛けるものがあるとは限らないので、 参拝用具を簡単に出し入れできて、しかも両手が自由になるようにする工夫がいるということであった。リュックを手に持ったままで、中からお経本と数珠と納め札を出し、それらを持ったままで再びリュックを背負うというのはなかなか大変なのであった。

しかも、そうしている間にも汗が噴き出してくるので、タオルを手放すことができない。直射日光を遮るもののないLv.1(階段の下)の境内に比べるとLv.2(階段の上)はお堂の陰になるけれど、それでも午後2時、真夏の太陽が容赦なく照り付けるのである。ようやく支度が整いお経を唱えるが、額から汗が経本の上に落ちてしまうほどの暑さである。

 


極楽寺山門前。一番札所と比べるとかなり広い。中には宿坊も備えられている。


山門をくぐると境内は広い。参道右に子育て大師、正面の建物は観音堂。その左から本堂への階段が始まる。

今回の遠征でよかったと思うのは、この極楽寺で、本堂・大師堂のお参りを一人でできたことである。真夏の炎天下でそれほど人はいないだろうと予想してはいたものの、一番でも三番でもそれなりに人はいたのに、二番ではほとんど誰もいなかった。遠慮なく声を出してお経を読むことができ、大体の感覚を得ることができたのは、予行演習としては得がたい機会であった。

経本のどこを読まなければならなくて、どの真言が必要不可欠なのかという点については、WEBでも書いている人ごとにかなりの違いがある。時間の余裕が十分にあれば、略さずにすべて読むのがベターなのは言うまでもないことであるが、団体お遍路が参拝中の場合や個人だけでも混み合っている場合など、そうとばかりも言っていられないケースも多いはずだ。

そういう課題を持っていたので、ここ極楽寺では大体の内容を音読してみた。そうしてみて思ったのは、お経等をご本尊あるいはお大師様と読経している自分との会話と考えた場合、合掌礼拝、開経偈と般若心経、ご本尊真言(大師堂の場合はご宝号)が必須なのではないかということである。

それでは他の推奨項目は省略可なのかというと、そう割り切っていいかどうかは自信がない。けれども、ほとんどの書き手は「本来、形式は自由です」といっている。光明真言や懺悔文、回向文など、自分でも読経の意味を十分に把握していないこともあり、今後の研究課題としたいと考えている。

帰りは宿坊の脇を通って個人の納経所となっている売店に向かう。こちらは木陰になっているので幾分すずしかった。そして、売店の前にはいくつかベンチが置かれていたけれども、まさに炎天下の直射日光で路面温度が50度くらいにはなっているのではないかと思われた。

売店奥が納経所となっている。「お願いします」と納経帳を差し出す。「やっておきます」と言われたので他に仕掛があるのかと思ったけれども、すぐに私のを書き始めたのでそういうことではなかったようである。あるいは「やっておきます」というのが決まり文句なのだろうか。「お預かりします」の方がいいような気もするが、まあ郷に入っては郷に従うのが常道である。

書き上がるまでの間、売店内の遍路用品を見る。菅笠は日よけ効果は期待できそうだが、着けたり脱いだりするのが面倒だし、私のような大汗かきの場合どうなのか。必要と思われたのが山野(さんや)袋で、読経の際に両手を自由に使えるようにするには、リュックの他にもうひとつ肩から掛けられるものがあった方がよさそうだ。

(その場では買わなかったが、帰ってから防水仕様の山野袋を2000円で入手した。次回以降のお遍路で使用することになる。)

そうこうしている間に納経が終わり、300円をお納めする。帰りに売店の人から、「お餅はいかがですか?」と言われたが、さすがにこの炎天下にお餅は食べられなかった。ソフトクリームがあったらぜひお願いしたいところだった(一番札所にはあったのだ)。

[行程]  霊山寺 13:30  → (1.4km) →  13:50  二番極楽寺(参拝、納経) 14:15  →


極楽寺の本堂まで登る階段は、かなり急だ。「手すりをつかんで上り下りしてください」と書いてある。


極楽寺大師堂。ご覧のとおり誰もおらず、落ち着いて読経することができました。

[Sep 12, 2015]