007 立山・一ノ越[Sep 5, 2012]

さて、立山黒部アルペンルートで室堂まで来たというのに、全く歩かないのはつまらない。出張途中で疲れを残す訳にはいかないが、いつかまた来る時の予行演習ということで、立山登山道の一ノ越まで歩いてみることにした。

コースタイムは1時間弱。室堂に着いたのは1時過ぎなので、5時発の最終バスには余裕であろうと思われた。駅の周りを様子見してから1時10分過ぎにスタートする。室堂から東にそびえる立山連峰と、その南に続く室堂山の間、峠にあたる部分が一ノ越である。一ノ越には大きな山小屋があり、室堂からも見えるので目印になる。

歩き始めると、下が石畳なので結構歩きにくい。しかし一年のうちかなりの期間は雪と氷で凍結しているだろうから、この方が安全なのだろう。石畳道はくねくねと曲がりながら一ノ越まで続いている。ここまでは、特に装備がなくても大丈夫そうだ。とはいえ、この時期にもかかわらず下がアイスバーンという場所も一ヵ所残っていた。

しばらくはゆるやかな登り坂。何しろ標高が高いのであまりハイペースで進むと高山病に似た症状が出るおそれがある。ちょっと心配なのでスローペースで進む。何しろ出張途中で、次の日は朝からしっかり仕事が入っているのである。

この室堂から一ノ越のルートは、「孤高の人」加藤文太郎が登ったルートでもある(もっとも冬だが)。剱沢小屋で前のパーティーに追いついたところ、「ちゃんと案内人をつけて来い。案内人を雇う金がないなら冬山に来るな」と室堂に追い返されるのだが、直後に剱沢小屋は雪崩に襲われてしまうという場面がある。本当の話である。

新田次郎の小説にはそこまで書いていないのだが、この時加藤を追い返したパーティーのリーダーは華族の子息であった。それもあって、この時の捜索は当時としてはかなり大掛かりなものであったらしい(剱御前小舎のHPに当時の新聞記事がある)。

こうした背景を考えると、「カネのない奴は冬山に来るな」と言われた一介のサラリーマン加藤の心境は、たとえばミラージュのエグゼクティブルームに迷い込んだ私に、秋元康が「ここはミニマム1万ドルだから」と言ったようなものだろうと推し測れるのである。

一ノ越山荘が斜め上に近づいてくると、登り坂の勾配も険しくなる。道は狭くなり、しかも崩れた箇所が工事中で作業している人や資材があるので、すれ違いが困難である。そこに、立山まで登ってきたと思われる中学校の団体が連続して下りてきた。1クラス40名ほどをやり過ごすのも結構時間がかかる。それが6クラスほどあったので、かなり待ち時間があった。

とはいえそれが逆に休み時間になってよかったのか、一ノ越までの最後の急坂もそれほどバテずにクリアし、標高2700mの一ノ越へ到着。1時間10分ほどかかったものの、待ち時間を除けばほとんどコースタイム通り。私にしては上出来の部類である。時間さえあれば、あと300mも上がれそうな気がした。

一ノ越山荘の向こう側は、朝方抜けてきた後立山連峰。ここ立山は日本でも初めて氷河地形が確認された山崎カールがあり、他に何ヵ所も雪渓を望むことができる。ここまで高い場所に登ったのは、二十年くらい前に北横岳2480m以来のことで、新記録となる。(北横岳もピラタスロープウェイが2200mまで通じていて、たいして登った訳ではない)

山荘でスポーツドリンクを一気飲みして、下山する。今回は下山の際に重心を前に置くことを練習したらかなりのハイペースで前のパーティーを追い抜いてしまい、なんと30分で駅前広場まで下りてしまった。コースタイムを下回ったのは、山登り再開以来初めてである。その後、予定を大幅に上回る3時半のバスで富山に向かいました。


登山道中ほどから室堂方面を振り返る。夏を過ぎたのに雪渓が残っていました。


一ノ越(建物の見えるあたり)までは標高差およそ300m。登山道を下りて来るのは、中学生の団体。

この日の経過
室堂駅前広場 13:10
14:20 一ノ越山荘 14:30
15:05 室堂駅前広場

[Oct 1, 2012]