040 四番大日寺 [Sep 5, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

7月の出張にあわせて試験的にやってみた半日の四国お遍路では、それほどの問題なく三番札所まで歩くことができた。若干の抵抗感があったのは観光団体お遍路との遭遇であったが、まあなんとか我慢できる範囲ではあった。

次の段階として、1泊2日でもう少し本格的に歩いてみることにした。1泊2日にしたのは、それ以上進むと「遍路ころがし」焼山寺道に入るため、2泊を通り越して一気に3泊4日になってしまい、休みの都合がつきにくいからである。机上の計算では1泊2日で羽田行の夜便に乗れるが、まだ遍路初心者でもあるので、後泊を入れて2泊3日の計画を立ててみた。

さて、限り打ちとはいえ本格的な歩き遍路を始めるにあたり、2つのことを考えた。一つは、当たり前のことだが、物見遊山ではなくお寺参りだということである。

特に前回、観光バス遍路の人達を見ていたら、必ずしも全員が読経している訳ではなくて休憩所で休んでいる人達がかなりいた。そういう人達も、長生きできる井戸とか弁慶の石などは見に行っているのだが、やはりそういうのはどうかと思った。

お参りするのは、私にとってある種の「お祓い」であり、目的はあくまで霊場で心身を清めることにある。もちろん、お寺の施設を見せていただくのはその延長上にあると思うし、地域の山海風土や歴史を身近に感じることも有意義だとは思うが、ただ有名だからという理由で名所を訪ねるのはやめようということである。

もう一つ考えたことは、そんなに急ぐ必要はないということである。前回の半日遍路以降、いろいろなホームページやブログを拝見させていただいたが、その際気になったのが、「次の札所へと先を急いだ」式の記載である。

考えてみれば、先を急ぐ必要などないのである。時間をかければそれだけ「お祓い」ができるということだし、デメリットがあるとすれば時間をかけ過ぎて宿も交通機関もないところで日が暮れてしまうリスクがあることと、その分費用がかさむということくらいであろう。

そんなことを考えながら徳島行のJAL便に乗ったのは9月5日の土曜日。この夏は8月終わりから秋雨前線が停滞して雨模様の日が続き、週末も微妙な天気予報であった。当日の朝はとりあえずまだ雨は降っていない。

徳島空港からJR徳島駅までバスで移動し、高徳線に乗るところまでは前回と同じ。そして、前は板東までだったが今回は2つ先の板野まで。列車が板野に近づくと、車窓右側の斜面に墓地が見えてくる。あれは前回歩いた極楽霊園だ。なんだかうれしくなる。

再びばんどう旅館の前を通って、遍路道に復帰する。ついこの間来たような気がするが、実際2ヵ月しか経っていないのだった。この日の足回りは普通のスポーツシューズ。まだ慣らし運転の段階なので、いろいろ履いて試してみようということと、前回のランニングシューズは軽くていいのだけれど、ややクッションが弱いような気がしたからである。

遍路地図によると、三番から四番までの距離は5.0km。三番金泉寺からでもJR板野駅からでも距離はほとんど変わらないようだ。前回歩いた二番から三番までが2.6kmだから、いきなり倍近い距離になる。


JR板野駅。前回はここまで歩いたので、今回はここから。正面に見える稜線の山裾を歩く。


大部分は舗装道路の歩きだが、古い遍路道に入るとこんな風景が出てくる。

駅からまっすぐ進み、曲がり角で進路を西にとる。このあたりは駅前からの商店街が続いている。じきに三番からの遍路道と合流すると、板野から北に方向を変える高徳線の踏切となる。

踏切の前には石碑がいくつも立っていて、線路に沿って進路を右(北)にとると大坂越とある。源平の昔、源義経が屋島を急襲した道である。四番大日寺に向かうには、直進して踏切を渡るので、ここで道が分かれる。石碑はかなり古いものだが、びっしりと苔が生えていて、いつ建てられたものかは分からなかった。おそらく江戸時代のものだろう。

周囲は商店街から住宅地に変わり、徳島工業短期大学を過ぎたあたりで、舗装道路から遍路道になる。「電気自動車充電可」みたいなことが書いてある。徳島は意外と先進的な県で、ポカリスエット、カロリーメイトの大塚グループ発祥の地として有名だし、私の若い頃は「一太郎」のジャストシステムが有名だった。今回の遠征中にも、徳島が四国でもっとも公衆無線LANの設置が進んでいるということも知った。

土の遍路道をしばらく進むと、道なりにお寺さんの境内に入ってしまう。三番奥ノ院の愛染院である。ここは刷毛(はけ)納経で有名なのだそうだが、遠征前に納経帳の余白を確認したところ5~6寺分しかなかったので、残念ながら割愛させていただいた。遍路道は愛染院の裏門から正門へ抜け、川沿いの道が続いている。5分ほど歩くと、右手に「うどん萌月(ほうげつ)」が見えてきた。この日はここでお昼にする予定である。

まだ10時45分くらいだったので営業しているか心配だったが、店の前には「営業中」の幟りが立っている。のれんをくぐると、ご主人が畳敷きの小上がりに座って書き物をしていた。「よろしいですか?」と、テーブル席の方に座らせていただく。店内は10人も入ると一杯になりそうだ。奥が厨房になっていて、大きな鍋から湯気が上がっている。ざるうどんの大盛りをお願いする。普通盛りが500円、大盛りだと100円増しとなる。

この店はお客さんが来てから茹でるので、かなり時間がかかるということはWEB情報で知っていた。まあ、この日は七番までなので、それほどあわてなくても30分くらいは平気だろうという読みであった。ただ、実際に茹で時間は結構あって、20分くらいはかかったのではないだろうか。厨房で湯加減をみていたご主人が戻ってきたので、雑談かたがた情報収集する。

ここでお昼をとって十楽寺泊まりなら、のんびり歩いても全く問題ないとのことである。ただ、翌日が十楽寺スタートで藤井寺まで打って夕方の飛行機に乗るとなると、ちょっと急がないといけないということであった。私の場合は徳島に後泊する予定だが、夕方便も乗れる時間に徳島着として歩くつもりであったので、参考になった。ご主人によると、遅くとも正午前には十番切幡寺を出るくらいでないとということであった。

ようやくうどんが茹であがる。見るからに太い手打ちうどんだ。薬味にゴマ、ネギ、生姜とかぼすが付けられている。かぼすというのは徳島らしい。他の薬味はつゆに入れ、かぼすはうどんの上に直接絞る。かぼすの爽やかな酸味がうどんに移って、たいへんにおいしかった。ただ、大盛りでも個人的には普通盛りなので、もう少し量がほしかったかな。

幸いに他にお客さんがいなかったのでゆっくり食べることができた。「まだ9月入ったばかりだから、まだまだ歩きの人は少ないですよ」とのご主人談。そして、ほとんどの歩き遍路は初日に六番か七番まで歩くので、一番からだと、ここに着くのはもう少し遅い時間になるようだ。

うどん萌月を過ぎると、遍路道はやや登り坂となるがそれほどの傾斜ではない。まもなく高速・徳島自動車道の下を通って北側へ。この高速は、これから十番まで何度も行ったり来たりすることになる。


三番奥ノ院を過ぎて5分ほど歩くと、「うどん萌月(ほうげつ)」に到着。太い手打ちうどんは茹で上がるまで20分ほどかかりますが、薬味のかぼすを絞るとおいしい。


うどん萌月を過ぎると、遍路道はやや登り坂となる。この後十番まで、何度も高速道路の下を行ったり来たりする。

黒厳山大日寺(こくがんさん・だいにちじ)、黒厳山の山号は、三方が山に囲まれ人里離れたこの集落が「黒谷」という名前であることによる。かつては地名どおり黒谷寺とも呼ばれたようで、江戸時代初期の巡礼記である澄禅「四国辺路日記」、寂本「四国遍礼霊場記」では、黒谷寺とも大日寺ともいっている。

矢来重氏の著作「四国遍路の寺」によると、ほとんどすべての札所が弘法大師由来と主張しているけれど、江戸時代以前に札所を訪れた記録等や、寺の施設やご本尊、ご詠歌など昔から変わらない要素をもとに考察すると、弘法大師以外が出自と考えられる霊場も多いらしい。それはその通りだと思う。

大日寺の寺号については弘法大師がここで修行した際、大日如来像を彫ったことが由来とされるが、真言宗の最高仏である大日如来の名前を採っている以上、少なくとも弘法大師の教えに沿った寺とはいえそうだ。なお、八十八札所の中に大日寺は3ヵ所あって、うち2ヵ所が阿波(徳島)のお寺さんである。空海自身の著作でも、阿波・土佐で修業したと書かれている。

山号から思い浮かべるイメージが谷のずっと奥であり、実際に遍路道から最初に見えてきた大日寺は山のぎりぎりに建っているように見えたのだけれど、実際に歩いてみると「黒谷」と言われるほどには暗くはない。11時40分到着。うどん萌月で30分以上休憩したことからすると、板野駅から2時間弱というのはまずまずのペースである(遍路本の三番~四番標準タイムは1時間26分)。

寺に着くとまず最初に、駐車場に観光バスが止まっていないか確かめてしまうのが悲しいところ。幸いに、この日は観光バスの姿は見えずほっとする。本堂前で、数珠と経本を取り出して読経。この遠征に合わせて新調した山野袋にそれらの遍路備品を入れてあるので、いちいち背中のリュックを上げ下ろししなくていいのは非常にスムーズである。

今回の遠征に備えて、iPODに般若心経をダウンロードし、毎日通勤の行き帰りにそのスピードとリズムを練習してきた。真言宗の監修なので、お遍路には最適であろう。この音声によると、再生時間は3分30秒で、昔のシングル盤1曲分とほぼ同じ。唱えるにはちょうどいい時間である。

はじめに一礼して開経偈、読経後に光明真言。最後にご本尊のご真言、弘法大師のご宝号を唱えさせていただき、「ありがとうございました」と一礼。この順番がいまのところ一番しっくり来るようである。こちらの本堂から大師堂への回廊には、観音像が何十体も置かれている。まだ、今回の遠征で最初のお寺さんだったから、ゆっくり見る余裕がなかったのは残念。

ちなみに、観音菩薩は法華経と関係が深い仏様なので、真言密教や大日如来とはやや色合いが異なる。江戸時代初期に書かれた澄禅「四国辺路日記」によると、荒廃していた寺を室町時代に地元の富裕者である杢兵衛が再興したということのようだ。大名や教団ではなく在家の富裕層が作るとなると、観音さまというのはなじみがあるのだろう。

大師堂での読経が終わって、納経所でご朱印をいただく。あわせて、本堂大修理の寄付が募られていたので、志だけ寄付させていただく。そういえば、観音様の置かれている回廊とか山門前の駐車場あたりが、工事のため狭くなっていたようである。

山門を出ると、ちょうど正午であった。お昼も食べたし、歩き始めはとても快調で、どこも痛くない。これは今日は楽勝だな。荷物を置いて八番まで往復できるかな、などと考えていたのだけれど、もちろん実際はそんなに甘いものではなかったのである。

[行程]JR板野駅 9:45 → (3.0km) 10:40 うどん萌月 11:15→ (1.8km) 11:40 四番大日寺 12:00


ほとんど谷のどん詰まりに位置する大日寺。でも登り坂としては、この後と比べるとまだまだ。


大日寺山門。ここまで来てみると、それほど谷の奥に建っているという感じではない。

[Oct 22,2015]