050 五番地蔵寺 [Sep 5, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

今回の第二次お遍路にあたり、新調した遍路用品が2つある。

1つは上下の白衣。これは納経所でお遍路だと分かってもらうために必要のように思ったので、WEBをいろいろ探して「いっぽ一歩堂」というお店の軽装白衣上下を購入した。自分の体質を考慮した場合、寒くて薄着で難儀する可能性よりも、暑くて大汗をかいて苦しむ可能性の方がずっと大きいと思ったからである。

ひとつ懸念されたのは、パンツのサイズにLLまでしかないことで、正直なところもう1サイズ上があればよかったのだけれど、寸法をみると大丈夫そうだし、ウェストラインはゴムで伸縮が利くのでとりあえず買ってみることにした。実際はいてみると、ところどころメッシュが入ったり風通し穴が開いているのがいい。

問題はどこで着替えるかということで、徳島空港にはお遍路用の着替えスペースがある。ただ、空港バスやJRを遍路姿というのはちょっと恥ずかしい。試しに奥さんに聞いてみたところ、「私は恥ずかしくないから、着て行ったらいいんじゃないの」という。「じゃあ家から着て行ったらどうだ」とさらに聞くと、「ご近所に恥ずかしいからやめてくれ」とのことであった。

空港で着替えないとあとは駅のトイレということになるので、それはちょっと差支えがあるかもしれない。という訳で、その日は下だけ着替えておいたのだが、下だけでも、上に普通のシャツを着たところで遍路装束だというのはまる分かりのような気もする。

板野の駅で上を着替える。女子高生が時間待ちをしていたのでちょっと恥ずかしいが、まあお遍路の駅でもあり勘弁してもらおう。板野駅から四番大日寺まで、坂道や狭い遍路道も歩いてみたけれど、違和感はない。白衣のパンツはきついようで伸縮が利き、裏地が網目になっているので少々の汗ではなんともない。さすが軽装白衣として売り出しているだけのことはある。

四番大日寺から坂道を下り脇道に入ったところにある喫茶店の前に、等身大の人形が椅子に座っていた。これはTVとかWEBかで見たことがある。四国のどこかの過疎の村で、案山子(かかし)の人形を作っている人がいて村のあちこちに置いているというあの人形である。

昔、村にまだまだ人が多かった頃にいた人を思い出しながら作って通学路やバス停に置いてあるそうで、今では住んでいる人より人形の方が多いそうである。ネットで見た外国人がわざわざ村に実物を見に来るということだ。

せっかくだからこの喫茶店に寄っていこうかとも思ったが、先ほどうどんを食べたばかりで休憩にはまだ早い。残念だったがなだらかな坂道をさらに下って行き、再び高速道路の下を抜ける。

四番から五番までは2.0kmと距離的にはわずかであるが、道案内がほとんどないので少し不安になる。遍路地図を見るとまっすぐ坂道を下りて行けばよさそうなのだが、太い通りを渡る際にあたりの電柱を見る。ところがこういう時に限って、遍路シールがないのである。案内がないのはまっすぐだと判断して先に進む(これが原因で、このあと道を間違えるのだ)。

20分ちょっと歩いた頃、右手に五百羅漢駐車場が見えてくる。五百羅漢は、五番地蔵寺の敷地内にある施設で、等身大の五百羅漢像が置かれている。順路なので、せっかくだから寄らせていただく。


今回から導入した白衣上下と山野袋。ここに納経帳や数珠・経本を入れておくと、リュックは背中からほとんど下ろさずに済みます。前回の教訓を生かして改善しました。


四番大日寺下の喫茶店の前にあった人形。確かこういう人形を作る人が四国にいて、過疎の村に置いてある人形は人間の数より多いとか。

五番札所、無尽山地蔵寺(むじんさん・じぞうじ)。嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が創建したと伝えられる。山名の無尽とは、御仏の功徳は尽きることがないという意味で、もともと法華経の言葉だったが、後に庶民金融「頼母子講」の別名となった。いまに残る「むじんくん」は、無人と無尽をかけたネーミングである。

まず五百羅漢をお参りする。コの字型になった建物が内部でつながっていて、正面の建物が釈迦如来をお祀りする釈迦堂、向かって左が弥勒菩薩の弥勒堂、右がお大師様の大師堂である。弥勒堂から入って大師堂が出口である。

入口の前に、拝観料徴収の建物があり、おばあさんと孫で番をしている。拝観料200円をお納めすると、お孫さんの方が「パンフレットです」と色刷りのパンフを手渡してくれた。

内部に入ってみる。見ているのは私だけである。かなり暗い上に木像の彩色も剥がれかけているので、細部が見えづらい。写真撮影禁止とは書いていないようだが、写すかどうかは拝観者の良心に任される。私の場合は携帯のカメラなのでフラッシュ撮影ができないため内部の撮影はしなかった。本来は遠慮すべきものだろうと思う。

羅漢(らかん)ないし阿羅漢(あらはん)とは仏教教団の出家修行者のことであり、五百羅漢という場合は釈迦入滅後の初回結集の500人を示すといわれる。いずれにしても、釈迦に従って修行中の弟子という位置づけであり、如来や菩薩とは違ってほとんど普通の人間の風体で造形されている。

この五百羅漢が作られたのは比較的新しく、江戸初期の巡礼記(澄禅「四国辺路日記」、寂本「四国遍礼霊場記」等)には出てこないし、ご詠歌にも触れられていない。安永・天明年間というから江戸時代も後半に入ってから作られたもので、五来重「四国遍路の寺」によると、当時の仏教復古主義が影響しているとのことである。

羅漢とは釈迦に従った出家修行者のことであるから、自力作善の小乗仏教で重視される。だから空海の真言密教とも、絶対他力の浄土宗とも、只管打坐の禅宗ともなじみの薄い存在である。しかし江戸時代半ばの仏教復古主義では、そうした後からの解釈ではなく、釈迦の仏教に戻るべきだという主張がなされたらしい。ありそうなことではある。

ひな壇になり奥の方が高くなっていて、3列に羅漢が並んでいる。印形を結んだり仏具を持ったりしている者が多い。初回結集時代はインドのはずだが、なぜか中国風の顔つきで作られているようである。すぐに目が行ってしまったのが、眉毛がもみ上げまで伸び、そのままあごひげに繋がってしまっている羅漢。そういう毛深い羅漢が4、5体はいらしたようである。

あと、中ほどのあたりだったか、両手に力を込めて腹の中を開けている羅漢がいる。おそらく仏典にモデルがあるのだろう。腹の中には何もないので見ろ、ということだろうか。ゆっくり歩いて見ていくが、座るところがないので10分もすると出口に着いてしまった。

五百羅漢を出て本堂までは、石の階段を下って行く。下りる分には大したことはないが、登るのは結構大変かもしれない。ちょうど下りきったところで、中年のおばさんから「五百羅漢は上に見えるあれですか?」と尋ねられる。そうですよ、と答えると、

「行く価値はありますか?」と尋ねられる。

それは本人がなぜこの寺にお参りしたかによるだろうと思ったが、何と答えたらいいか迷っているうちに、

「腰が痛いから、あそこまではちょっとね」と言いながら行ってしまった。

このおばさんを含むグループは観光バスで来ていたようで、出る時に駐車場に止まっていた。今回の遠征で観光バス遍路に遭遇したのは、この時だけであった。巻き込まれないように、手早く、かつ丁寧に読経をすませ、納経所へ。この日二つ目のご朱印をいただく。

次は六番安楽寺、ここから5.3kmがこの日の長丁場だったので、気を引き締めて望んだのだが。

[行程]四番大日寺 12:00 →(1.8km) 12:25 五番地蔵寺(五百羅漢見学) 12:55


五番地蔵寺の北、階段を登ったところにある五百羅漢。この写真で正面が入口の弥勒堂、入口横が拝観料徴収所。建物がコの字型に並んでいる。


五百羅漢内部は撮影しなかったので、いただいたパンフレットから引用。五百体の羅漢像が3列に並んでいる。


地蔵寺山門。こちらが正面になるが、五百羅漢から入ると出口になる。山門の背後にそびえる大木は樹齢七百年といわれる大銀杏。

[Oct 31, 2015]