060 六番安楽寺 [Sep 5, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。「神宅」のあたりで南に迂回しているのが道間違い(汗

さて、五番地蔵寺から六番安楽寺までのおよそ5.2kmは、一番霊山寺の前を通っていた県道12号線に並行して遍路道が通っている。だから、距離は多少長いけれど、道に迷うことはあるまいと思っていた。ここが大きな落とし穴であった。

この日の行程は、JR板野を下りてほぼ真西へ向かう。四国北部を西から東に流れている吉野川の左岸を遡上することになる。

一方、JR高徳線は板野を過ぎると90度右に折れ、瀬戸内海に向かって大坂峠を越えていく。この曲がり方がやけに機械的だと思っていたのだが、実はもともとの線路は板野を過ぎても吉野川に沿って直進し、六番安楽寺のちょっと前、鍛冶屋原というところまで走っていたのであった。国鉄鍛冶屋原線という。

1971年の交通公社時刻表をみると、1日に7往復しか走っていない弱小ローカル線だが、その起源はというと大正12年に池谷から鍛冶屋原まで開業したもので、高徳線よりも古い歴史があった。しかし、1972年というから、まだ国鉄のうちに廃線となってしまったのであった。板野から2つ目の駅が羅漢といったが、これは地蔵寺の近くの地名で、五百羅漢からとったに違いない。

地蔵寺を出てしばらく進むと、進路を左にとれと遍路シールが指示する。左ということは南であり、遍路道と並行して南を走っている県道を渡ってしまうと思ったのだが、県道との交差点には何も書いてない。書いてないということはまっすぐだろうと思って、そのまま県道を横断する。さらに歩く。歩いても歩いても、次の指示が出てこない。

10分くらい歩いた後、これはちょっとおかしいなと思った。それでも来た道に引き返さなかったのは、上に書いた鍛冶屋原線の記念碑があるのが県道の南なので、90度右に折れて県道の南を並行すれば、かえってショートカットできていいと思ってしまったのである。

川を渡って西方向に進路を変えたと自分では思っていたのだが、この日は曇りでお日様は出ていない。かなり歩いて大きな通りに戻ったのはいいが、そこは最初に横断した県道12号線であった。およそ30分無駄な歩きをしてしまった。おまけに、遍路地図で見当をつけていた場所より1km近く手前であるらしい。このことに気が付いて、どっと疲れてしまった。

これ以上は間違えたくないので、県道の道端を歩く。交通量の多い幹線道路なので依然として車が多く、ところどころ歩道がない。しばらく進むとセブンイレブンがあったので、「いろはす」みかん味を買って一息つく。さらに大きな川があったので、県道から少し北に入って橋を渡る。橋の名前は泉谷橋で、これは遍路地図に載っていた。ようやくこの時点で正確な現在位置が確認できた。

泉谷橋の対岸には、遍路地図には載っていなかったが小奇麗な遍路小屋が建っていた。小柿休憩所と書いてあって、中には般若心経とかお大師様の写真が貼ってある。壁に沿って座れるようになっていて、座布団も置いてある。へんろ道ならぬへんな道を通ってかなり疲れてしまったので、ありがたく休ませていただく。

5分ほど休んだら、だんだん元気が出てきた。迷ったとはいえ、すでに六番への中間くらいまでは来ている。変なことは考えず、初心者らしく慎重に目印を確認しながら進むことが大切だと痛感した。リフレッシュして出発、時間はまだ2時、十分に余裕がある。


1時間近く迷って、ようやく正規の遍路コースにたどり着いた小柿休憩所。しばし休ませていただきました。


遍路コースに沿って進むと、かつての中心街と思われる通りとなる。思わず携帯カメラのシャッターを切る。

せっかく正規の遍路道に復帰したので、迷わないように慎重に進む。遍路地図で指示されたルートは再び県道12号線を越えて南側に渡る。一定間隔で電柱に遍路シールが貼ってあるので、先ほどまでとは違い、正規のルートであることを確かめながら進むことができる。

県道を渡ると、遍路道は旧街道のような通りとなる。左右に並んでいる住宅には古いものが多い。大正年間に鉄道が通ったくらいだから、古くから栄えている地域なのだろう。時折、明治大正時代から建っていると思われる古い家もみられる。

しばらく進んだあたりで、昔はそれなりの旧家であったと思われる古いお屋敷の庭が、もう誰も住んでいないのが明らかなほど荒れ果てていた。よく見ると、家の側面の土壁が骨組みだけになってしまって、あとは何かのきっかけで倒壊するのを待つだけのようだ。こんなに道路近くにあるのに、親戚なり縁者がいて後片付けをしないのだろうか。

さらに進むと、今度は家の前に大量のゴミ袋、空き缶、空き瓶を積んで、異臭を放っている建物があった。人が住んでいるような様子ではあるが、まともな住環境とはいえそうにない。何十年か前には、それなりに整った通りだっただろうに、今日ではこの状態である。この先復活する望みも、おそらくない。

こうした街の盛衰をみて何かを感じるのも、お遍路の目的の一つのように思える。とりあえず思うのは、盛者必衰であり諸行無常ということだろうか。永遠の繁栄もないし不滅の組織もない。かつてはこれだけ大きい家に嫁げば一生安泰と思っていた美人もいたかもしれないが、何十年か経ってしまえば廃屋という現実がある、なんてことをふと考える。

そして、これまでは諸行無常が仏教の悟りだと考えていたのだけれど、毎度札所で唱える般若心経には「諸法空想不生不滅」「空中無色無受想行識」の言葉がある。文字通り解釈すれば、すべては空であり、盛者必衰の「盛」も「衰」もなく、諸行無常の「行」がそもそもないということであろう。

こうして札所をお参りするのは、現世利益を求めてのものではない。そして、盛者必衰や諸行無常を理解することでもなさそうだということもだんだんと見当がついてきた。それを通り越しての「空」の境地に至ることができるのかどうか、それはこれから歩いていくうちにおいおい分かってくるのかもしれない。

そんなことを考えながら古い商店街を撮っていたら、路地の向こうに「阿波銀行」の看板が見えた。阿波銀行といえば、例の鍛冶屋原線記念碑の建っているところである。探していると道に迷うのに、探さないでいると偶然目に入ってくるというのも妙なものである。路地を抜けて太い通りに出る。阿波銀行の前面で特に道幅が広くなっていて、かつての終着駅の姿がおぼろげに想像できるようだ。

さて、記念碑は駐車場にあるのだったかなと思い出しながらそれらしいところを探すと、銀行と隣の建物の境い目、どちらの土地か判然としないあたりに記念碑はあった。じかに地面に置かれている上、それほど大きいものではないので目立たない。「国鉄鍛冶屋原線跡」と読めるが、特に来歴や説明書きはなく、もうしばらくすると何の記念碑なのか分からなくなってしまうような気もする。

宿題を一つ片づけて、再び先ほどまでの旧街道というか古い商店街に戻る。そして再び県道12号線を渡って住宅街の道を進む。しばらくすると、竜宮城のような山門が見えてきた。六番安楽寺である。


国鉄鍛冶屋原線記念碑。大正時代に開通した歴史ある鉄道なのだが、1972年というから国鉄時代に廃止された。


記念碑前の道路は道幅が広くなっていて、かつての終着駅の様子が想像できるようである。

温泉山安楽寺(おんせんざん・あんらくじ)。温泉山の山号は、文字通りこの地に古くから温泉が湧出することによる。ここ安楽寺には宿坊があり、天然温泉の大浴場があるそうだ。そういえば、全国の温泉でもかなりの数が、弘法大師による開湯という伝承があるのはおもしろい。

さて、この安楽寺は江戸時代には駅路寺とされており、当時の名前を瑞雲寺という。駅路寺とは徳島藩蜂須賀家独特の制度で、一定間隔で寺に宿舎が置かれ旅人の便宜を図る一方で、治安維持、つまり不審人物の取締りに当たった。安楽寺自体は戦国時代に焼ける前はもっと山の中にあったようで、温泉もそちらに出たらしい。そのこともあるのか、江戸時代には駅路山とか瑠璃山という山号で呼ばれていた。

竜宮城のような山門をくぐると、左手に多宝塔が、右手に宿坊が見える。境内の敷地は、それほど広くはない。納経は宿坊でやるのかなと思っていたら、「納経は本堂で行っています」と書いてある。まっすぐ進んで本堂へ。

本堂の建物に入るとご本尊があって、その前にいつもの銀色の納札入れがある。さらに左、ご本尊の並びの位置に納経してくださる方が座っている。それはいいのだが、よく分からないじいさんが、ずっと大声でその方に話しかけているのである。すぐそばで読経している人達がいるのに、たいへん無神経なことである。

ともかく集中して読経する。そして、本当なら大師堂をすませてからご朱印をいただくのだが、せっかくこちらにいらっしゃるのだから納経をお願いする。この方は、雑談じいさんにあまりつきあわず、粛々と納経していただいたのには安心した。

本堂を出て大師堂で読経。境内にある多宝塔は、その前に「厄除けのさかまつ」という大きな掲示があったように何やら由緒がありそうだっだが、手を合わせるにとどめた。七番十楽寺への順路は入ってきた方向とは90度ずれていたのでそちらに進むと、売店になっていてソフトクリームのオブジェが置いてある。ちょうど3時過ぎだし、ソフクリで休憩もよかろうと思って入ってみる。

ところが、ここにいたのが先ほど本堂で大声を出していた雑談じいさんである。しまったと思ったがもう遅い。おまけに、出てきたのはソフトクリームではなくアイスクリームだったので、ちょっとがっかりする。じいさんは今度は売店の人に大声で話しかけている。内容を聞いていると、この寺のOBか、あるいはかつて出入りしていた業者らしく、寺の内情に詳しい。

こういうじいさんに先輩顔してたびたび来られたら、相手する方はたまったもんじゃないよなと思っていたら、今度は矛先がこちらに向かってきて、「どこから来た」だの「今日はどこに泊まるか」だの、うるさく聞いてきた。

和顔施(わがんせ)といってこういう場合もおだやかに対応するのがお遍路の心得とされるが、それをいいことに傍若無人にふるまうような者にやさしくできるほど人間ができていないので、いい加減に答える。こいつは相手にならないと思ったのか再び売店の人に、「今日は泊まりか」などと話かけていたから、ここで時間をつぶすべく強く決心しているのであろう。

WEB情報によると、お遍路目当ての詐欺などもあるそうだ(送ってやるというので車に乗せてもらったら白タクだったというような)。これはお遍路側にも非常識なことをする奴もいるのでどちらが悪いとも決められないが、お遍路だからといって関わり合いにならなくていいものにはならない方がいい。

お接待は断ることができないとか、お遍路はかくあるべきなどという予備知識に惑わされるよりも、普段の生活が常識的であり自分にも他人にも恥ずかしいものでないならば、自分で考えて判断しそのように振る舞うことに特に問題があるとは思わないのである。

[行程]五番地蔵寺 12:55 →(3.8km) 13:50 泉谷橋・小柿休憩所 13:55 →(1.7km) 14:20 鍛冶屋原駅跡 14:25 →(1.4km) 14:50 六番安楽寺 15:15


竜宮城のような安楽寺山門。正面が本堂、右奥に見える屋根が宿坊。


境内に入ると、由緒ありそうな多宝塔がそびえる。その前の「厄除さかまつ」は、例によって弘法大師ゆかりの逸話がある。

[Nov 21, 2015]