006 ギリヤーク再起!新宿公演2013 [Oct 14, 2013]

ギリヤーク師の今年の北海道公演が中止となって以降、その後の状況は全く入ってこなかった。ご本人はネット上の配信など論外であろうし、検索しても私のブログが上位に入っている始末である。こうした中、新宿三井ビル55ひろばのサイトを定期的にチェックしていた。昨年の公演で、「来年もまたここでやります。」と話していたからだ。

10月の初めに、「10月14日 ギリヤーク尼崎 東京公演(大道芸)」の記事がupされた。前の週には、掲載されていなかったはずだ。昨年からの予約をupしているのならもっと前から掲載されていたはずで、このタイミングなら本人がやると連絡してきた可能性が大きい。「主催:ギリヤーク尼崎」にはちょっと笑った(「主催者はどちらですか?」と聞かれて、「私が主催です」と答えたのだろうか)。

ファンサイトにも告知が出てこないので、半信半疑で新宿に向かう。天気もいいので、帰りに何か食べさせるからと奥さんを連れて行く。奥さんがギリヤークを見るのは北海道以来である。55ひろばに着いたのは1時半すぎ。近藤正臣寄贈ののぼりがはためいている。思わず奥さんに、「本当に来たよ!」と叫んで、「大声出さないで!」と注意される。

それにしても、ろくに告知もしないのに、何でこんなに人が集まるんだろう。私が来た時にはブルーシートも敷かれていて、椅子も並べられており、50人くらいは待機していた。開演前には、昨年同様百人以上は集まっていた。私などは半分だめもとで新宿まで来たというのに、これだけの人がどうやって公演があることを知ったのだろうか。(この疑問は、ギリヤーク師のトークの中で解決することになる)

定時の2時を2、3分回ってから、スターバックス方向からギリヤーク師が登場した。まさかスタバにいた訳でもあるまいが、ちょっとうれしそうに見える。例によってカートにトランクとカセットレコーダー、スピーカーを乗せ、茣蓙などの入った包みを抱えて現れた。足下を見ると、革靴が新しい。新調したのだろうか。

ギリヤーク尼ヶ崎、御年83歳。最後の大道芸人とも呼ばれるパフォーマーである。四季に定期公演があり、春には関西、夏には北海道、秋にこちら新宿、冬には川越に登場する。今年の夏は二十年以上続けて来た北海道公演をヒザの古傷が悪化したため中止している。今回の新宿公演も開催が危ぶまれたが見事に再起、こうしてわれわれの前に姿を現した。

久しぶりの公演のためか、動きがどうもぎこちない。本人は、「ふんどしが緩くて・・・」などと言い訳していたけれど、何回も羽織や被り物の紐を結び直していたところをみると、あまり体調はよくないように見えた。それでも、長年続けて来た大道芸・青空舞踊の流れは体に染みついているようで、身支度、道具の配置、化粧とゆっくりながらこなしていく。

初めの出し物は「じょんがら一代」。赤い襦袢とエア三味線で動き回る。青く塗った撥(ばち)が真新しく、「壊れちゃうから」とか言い訳するもののうれしそうである。布のプログラムをめくって触れる。「じょんがらー。じょんがらー。じょんがらー。」ブランク前より若干声が小さくなったような気もしたが、これも久しぶりのせいだったらしく、そのうちに以前の調子が戻ってきた。


今年も新宿三井ビル55ひろばに登場したギリヤーク師匠。ちょっとうれしそう。


化粧に余念のない師匠。「自転車から落ちた時は、顔だけかばった。役者だから」とのこと。

 

演目は、「じょんがら一代」「よされ節」「念仏じょんがら」で昨年と同じ。しかし、支度に時間がかかったのと、途中でトークが大幅にはいったのとで、公演時間は1時間半近くに及んだ。本人も、「踊りながらこんなにしゃべったのは初めて」と2度3度言っていたくらいである。

最も心配されたのはケガの回復度合いであった。結局手術はせずに、具合を見ながら続けていくらしい。手術をすると1年近くは踊れないし(本人いわく「浪人生活になるし・・・」)、この歳で動かないでいると元の踊りに戻すことが難しいとのことである。それはそうかもしれない。

とはいえ、「あまり負担をかけず、痛まずに動く勘がつかめてきた」と言っていたくらいで、やっぱり痛むことは痛むのだろう。だから、あまりハードな動きはしないのだろうと予想していたし、「モスクワで踊った時は、走り回るのと水をかぶるのはやらせてもらえなかった」とも話していたので、そういう展開かと思っていた。

ところが、締めの「念仏じょんがら」では、やはりというか、被り物や前掛け、羽織を脱ぎ捨てると、ふらつく足取りで走り始めた。走ると言っても歩くのと大して変わらないスピードである。83歳だからこのくらいと思えなくもないが、82歳の昨年は本当に走っていたのである。

スタバ側の階段を上がり、人工地盤の上を走り抜け、新宿駅側の階段から下りてきた時には、もうふらふらである。そして、いつものバケツを持って中央に戻ると、やっぱり水をかぶったのでありました。

全体的に、ケガの影響は相当感じさせられたものの、ひととおりプログラムはこなしたし、これで痛みがひどくならなければとりあえず復活ということになりそうである。やはり3回か4回、「これなら手術しなくていいよー」と叫んでいたので、本人も手術はあまりやりたくないようだ。

動きが少ない分(おそらく、息が続かないのであろう)トークが長くなってしまうのだが、本人話すのが好きそうなので、これはあまり影響がなさそう。大目標の路上公演50周年に向けて、がんばっていただきたいものである。

後編では、かなり長時間に及んだトークの様子をかいつまんで。


じょんがら一代熱演中の師匠。


念仏じょんがらの階段のぼりは、半ば歩くよう。まさに命がけの熱演。

 

まず、自転車から落ちた事故について

「今年の3月にね、自転車から落っこっちゃったんだけど、うちにはお風呂がないから、12時の閉店ぎりぎりに銭湯に行こうとしたわけ。そしたら人とぶつかりそうになっちゃって、どうにも止まれなくて、そこから落ちちゃった。」

「どういうふうに落ちたのかは全然覚えてなくて、とにかく、役者だから顔だけは守らなくちゃいけないと思ったわけ。そしたら、膝から落ちたみたいで。膝は半月板取っちゃってるし、お医者さんにみてもらったら、半月板の下の座布団みたくなってるところも全部取れちゃってると言われて、もう手術するしかないって。」

「でも、手術したらしばらくは入院しなくちゃいけないし、踊れるようになるまで1年はかかるから、ここにも来れなくなる。北海道公演はそういうわけでできなかったんだけど、先生はボクの踊るの知ってるし、手術しないと良くはならないけど、そのままでも痛くならないなら踊ってもいいみたい。」

この日の公演について

「10月に入るまではできるかどうか分からないし、場所は押さえていたけど、できないって連絡しなきゃいけないと思ってた。でも、何とか踊れそうなので、日にちはなかったけど準備しました。だから、案内状を送るのがぎりぎりになってしまって、手も震えるから弟に書いてもらって、今日はあまり来てもらえないだろうと思ってました。」(なるほど、常連の人達は案内状をもらって集まるんだと納得)

「でも、今日11時に来たら誰もいないので、ああやっぱりと思ってた。30人くらいなのかなあと思っていたら、こんなに(百人以上)集まってもらって、精一杯踊ります。」(いくら何でも11時は早すぎでしょう)

演目について

「いまは”念仏じょんがら”が代表作ということになってるけど、自分としては”じょんがら一代”にも思い入れがある。外国に行って一番受けるのは”よされ節”。向こうの女子学生が、振りなんて何も知らないのに、私より上手に踊る。ニューヨークでもモスクワでもそうだった。」

「最近はヒザの調子が悪くて踊ってないけど、私の尊敬する出雲のお国さんの”うかれおわら”や、”念力”なんかも踊ってみたい。新しい出し物も考えてます。病気だから出し物を少なくするのがいいんだろうけど、ボクの場合は逆に、増やしていきたいと思ってます。」

路上公演50周年に向けて

「今年は、、、いくつだったっけ?83歳か。あと5年、88歳で路上公演50周年になります。それまで、がんばります!」

他にも、体操選手だった若い頃の話やら、ペースメーカーが長持ちしている話やら、TVや本を出す話やら、トーク満載の今年の新宿公演でした。


念仏じょんがらを触れる師匠。


決して暑くはないのに、やはり水をかぶってしまった師匠。この日はトークが多く、本人いわく、「踊りながらこんなにしゃべったのは初めて。」

[Oct 23, 2013]