130 十三番大日寺 [Nov 2, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

十二番焼山寺から十三番大日寺までの経路は、「四国遍路道指南」によると右衛門三郎の塚(杖杉庵)から、さうち村(左右内)、あかは村(阿川)、ひろ野村(広野)と順路が書かれているので(現在はすべて神山町である)、玉ヶ峠を越える山道(上の地図だと、鍋岩から府中、長代、本名を経由して広野で合流するルート)を行ったと思われる。

現在では神山町中心部まで下り、鬼籠野(オロノ)経由で広野に出る道が多くの人に使われている。こちらの方が道路がいいし、宿泊の便もいいからであろう。私もこの経路を選んだのだが、それは翌日歩く距離が短くて済むと思ったのと、神山温泉があるので山で疲れた後ゆっくりできると考えたからである。

新旧いずれの経路をとるにせよ、杖杉庵(じょうしんあん)から鍋岩までのルートは共通である。そして、このルート、下り坂で3~4kmだから大したことはないと思っていたらとんでもない。かなり時間のかかる道なのであった。杖杉庵までは山道の下りなのでやむを得ないが、杖杉庵から鍋岩の間も足下が滑りやすい一枚岩だったりして油断できないのである。

歩いている道の両側の木々は梅やスダチのようで、スダチの小さな実がいっぱい落ちているのはもったいないようであった。また、ところどころ家のあるあたりでは、自家製の梅干しがビニール袋に入って売られている。もう少し余裕があればゆっくり見ていきたかったが、もうお昼を回って残りあと10kmだから、そうそうゆっくりしてもいられない。

結局、焼山寺から鍋岩集落までの3km足らずに1時間半かかってしまった。集落に出たところに大きな建物があって、横の壁に大きく「遍路の食事どころ △△食堂」と書いてあるのだが、現在は営業していないようだった。食堂跡を過ぎるとプールの残骸が現れた。もう使っていないのに水が張られていて、そこに藻が繁茂して緑色になったコースが1から3までしかない。

山の中にこんな施設があるとはと思ってよく見ると、プールサイドに階段があり、そこから下に出られるようになっている。その先をよく見ると広い校庭と校舎がある。なるほど、と合点がいった。遍路地図に載っている、休校中の左右内(そうち)小学校である。

焼山寺の登りでこりとり川のあったあたりも左右内村だったし、ここも左右内村というのが江戸時代の地名のようである。そして、このあたりの小字名を鍋岩というようで、道標にもそう書いてあったし、小学校の先の公衆トイレにも「鍋岩公衆トイレ」と書いてある。遍路宿の老舗である「なべいわ荘」は、鍋岩にあるからそう名付けられたのであろう。

午前中に通った左右内集落にせよ、いま歩いている鍋岩集落にせよ、そんなに子供などいないだろうと思われるくらいの過疎地域である。と思っていたら、神山町中心部から自転車で登ってくる体操服姿の中学生に「こんにちは」と挨拶された。さすがに徳島市街まで1時間、子供がいないなんてことはなかったのであった。

さて、休校中の小学校の少し先、公衆トイレのある広場の向かいあたりに、有名な遍路宿である「すだち館」がある。最初は野宿しそうな若い人をご接待で泊めていたのを、それではいろいろ差しさわりがあるということで、1泊2食4000円とほとんど実費以下で泊めた上に神山温泉まで無料送迎しているという、頭の下がる話である。

忙しそうにしている老夫婦がそうらしい。せっかくだから私も何か買わせていただこうと、入口のガラス戸に貼ってあったソフトクリームがあるかどうか聞いてみたところ、「すみません。切らしてまして」と言われてしまったのは残念なことであった。ソフトクリームは私の大好物であり、ここまで歩いて疲れたのでぜひ栄養補給したかったのだが。

すだち館を過ぎてしばらく行くと、道の右奥になべいわ荘が見える。結構大きな規模で、建物も新しく立派に見えた。そして、なべいわ荘から少し下ったところに玉ヶ峠への遍路道の分岐がある。新しい石碑が建てられているので分かりやすい。木の橋がかけられて山の中に細い道が森の奥へと続いているので、この先の険しさが想像できるようであった。今回はそのまま舗装道路を下って行く。

舗装道路とはいってもそんなに楽ではない。なべいわ荘から神山市街まで1時間、そこから神山温泉までさらに1時間を要した。朝明るくなってから出発していたら、このあたりを歩く時間には暗くなっていただろう。日の短い時期には、スケジュールや泊まる場所をよく考えなければならない。

そういえば、神山町中心部から神山温泉に向かう途中のこと、ちょうど私くらいの年恰好のおばさんが近づいて来て、「おばあさんが歩いているのを見ませんでしたか」と尋ねられた。特にそういう風体の人は見なかったからそう答えると、そこから引き返して道の両側を何百mも探して行くのだった。おばあさんは一体どこまで行ってしまったのだろうと気になった。

焼山寺から鍋岩に下る道には、左右に梅やすだちの木が植えられている。梅干しがいろいろなところで売られていた。


「すだち館」「なべいわ荘」の少し下で、左に遍路道が分かれる。ここから玉ヶ峠を越えるのが「道指南」のルート。

鍋岩から1時間歩いて、ようやく神山町の中心部が見えてくる。ここから神山温泉まで、さらに1時間を要する。

夜遅くから降り始めた雨はかなり激しく降り、朝起きて外を見ると屋根の上に雨粒が跳ね返っているのが見えるくらいだった。軽装白衣の上に、上下ともレインウェアを着けて出発する。7時から朝ごはんだったが、支度に時間がかかってしまい出発は7時45分になった。

上下レインウェアで白衣は見えないのだが、山野袋を下げていたので歩き遍路と分かったのか、駐車場で「今日は雨だよ。でもこういう時こそご利益があるというから。」と話しかけられた。そう言うおじさんは車に向かっていたので歩き遍路ではないのだった。私の方は傘を広げて、道の駅の方向に向かう。

遍路地図には、焼山寺から大日寺へのルートとして、甲・乙・丙の3つのルートが記載してある。甲ルートは玉ヶ峠から阿川に下りるルートで、この道はすでに前日に鍋岩で分かれている。乙ルートは神山中心部に出てからオロノ経由広野のルートで、今回選んだ道順である。そして丙ルートが、オロノから北上して養瀬トンネルを通らずに直接大日寺方面に抜けるルートである。これ以外にルートはないと思い込んだのが、今回少し考えが足りないところであった。

さて、神山温泉からオロノまでは大きく2つの峠を越えるが、地図では分からないけれどその他にも登ったり下ったりかなり起伏があった。傘を差しているので手の自由が利かない上に、歩道がない場所もあり、交通量も多いので猛スピードで行き交う車の水しぶきを浴びないようひどく神経を使った。

道の駅からしばらく進んだところに、おそらく車用と思われる「大日寺15km」の標示があった。15kmといえばおよそ4時間、加えて強い雨の中という悪コンディションである。それ以外には、遍路シールも行先表示も見当たらない。いずれにしても先は長いので、ペースを抑えめにしなければならない。

長い登り坂を登って行く途中、峠らしきところに人影が見えた。最初は集団登校の小学生が待ち合わせているのかなと思った(この日は平日であった)のだが、ずっと見ているのに動きがない。なんだかおかしいなと思って近くまで行ってみると、それは人形であった。全部で20体近くあって、中はサザエさんの家族に似せた人形もある。

添えて立てられていた説明書きによると、この人形はこの地区の伝統的な工芸品であり、阿川にある保存会の方々が作ったということである。阿川といえば遍路道指南に書いてある「あかは村」、遍路地図のAルートで玉ヶ峠から下りてきたところである。いま歩いている道から左に折れると、4kmほどで阿川に出るらしい。

雨が降っていなかったら地図をよく見て検討したところだったが、立ち止まって地図を出すのもおっくうだし、遍路地図に載っていないルートだから問題があるんだろうと思ってそのままオロノに向かったのだった。

しかし帰ってからよく地図を見てみると、ここから阿川経由広野への道は川に沿った下り坂であり、そちらを通ればオロノ付近で余計な登り下りをしなくてもよかったのである。それにそのルートをとれば、阿川から先は昔からの遍路道と合流するので標識も整っていたと思われるし、(この先で通るところの)養瀬トンネルからの怖い道を通らなくてもよかったのである。

出発から50分ほどでオロノに到着、ここまで歩いてきた国道438号線から左(北)に進路を変える。雨が降り続いているし休む場所もないので歩き続ける。オロノからはまたもや登り坂である。そして、歩道だと思って擁壁の上を通る道に上がって行ったら、そこは行き止まりだった。

たかだか100mをくよくよしながら引き返し、もとの場所に戻って歩道なしの車道を歩く。相変わらず交通量は多い。たいていの車は除けて行ってくれるけれども、すぐ横を水しぶきを上げて疾走していく車もあってとても気疲れする。

長い登り坂を登り切ったところにトラック用の駐車スペースがあり、隅の方に丸太を倒してベンチのようになっている。屋根がないので濡れていたけれども、レインウェアを着ているので腰をかけさせてもらって一休み。山野袋に入れておいたドライフルーツとミネラルウォーターを口にすると、なぜか頭がはっきりしたように感じられた。5分ほど休んで、再び歩き始める。

緩やかな登り下りをクリアすると、道が3つに分かれる。直進すると養瀬トンネル、左折は集落に続く道で、右に折れると一宮、つまり大日寺に向かうと表示されている。一宮への道が遍路地図の丙ルートである。乙ルートはトンネルを直進するか集落を経由するかだが、雨も降っているのでトンネルの方が楽である。とはいえトンネルの中を見ると、歩道はあるにはあるがかなり幅が狭いのである。


翌朝はざーざー降りの雨。レインウェア上下の完全武装で大日寺までのロングルートに臨む。


オロノまでの国道は結構な登り下りがあり、雨の中の歩きは厳しい。登り坂の上に人影が見えたと思ったら人形だった。ここから阿川に道が分かれる。あるいはそちらに向かうのがベターだったか。

 

トンネルの中に歩道はあるにはあるが、幅は50cmちょっとくらいしかない。おまけにトンネルの上部は半円形になっているから、頭のあたりはさらに狭く感じられる。ただ、遍路地図にはトンネルの中に赤線が引いてあるから、多くの歩き遍路がここを通っているはずである。いずれにせよトンネルの中には雨は降っていないので、傘をたたんでトンネルに入る。

念のため、ヘッドランプを装着する。このヘッドランプは、前の晩登山靴と一緒に家に送り返す荷物の中に入れたのだけれど、そういえばトンネルがあったはず、と思い出していったん荷造りした中から戻したものである。路側帯がほとんどなく歩道も狭いので、トラックが来るとすごく怖い。あまり意味がないとは思いつつ、すれ違う際にはいったん壁に寄ってやり過ごす。

トラックが通るときは怖かったが、この日初めて傘を差さないで歩くことができ、またわずかながら下り坂であったことから、車が来ない時は非常に快適であった。500m余りのトンネルだったので、それほど歩かずに反対側に出ることができた。しかしそこから先は、高い橋の上を通るこれまた怖い道なのであった。

行く手の左側には急傾斜の斜面があり、標高差で50~60m上に集落の家々が見える。もしかしてトンネルに入らず集落への道を選んだ場合には、あの高さまで登ることになったのかもしれない。そして、橋の上には歩道がない。50cmもない路側帯で、トラックとすれ違わなければならないのである。

欄干の脇まで一段上がれば少しはスペースができるが、そうすると今度は欄干の高さが50cmくらいしかなくなるので橋から落ちてしまう危険がある。橋を越えると50mくらい下に流れている川まで、何もない。向かってくるトラックが怖いか、落ちたら助からない平均台のような欄干が怖いか、究極の選択である。

まあ、普段なら交通量もあまりないだろうし、そこまで心配する必要はないのかもしれないが、少なくとも私には安心して通れる道ではなかった。こんな道だと分かっていれば、人形のある分岐から阿川に向かう道を選んだところである。地図で見る限りそんなに距離は違わないし、道は下り坂だし、途中から遍路道に合流する。何にせよ人為的な危険は少ないはずなのである。

どうにかこうにか危険地帯を通過して、左右にうねりながら道はゆるやかに下って行く。下を流れているのは鮎喰(あくい)川の支流のはずだが、支流とは思えないくらい水量がある。ともあれ、川に沿って歩いているということは、基本的に下り坂ということで何よりである。

出発から2時間経過した午前10時、ようやく雨が小降りになってきた。玉ヶ峠から直行する遍路道と合流するのが広野である。遍路道指南の時代には「ひろ野村」だったが、現在は神山町広野になる。ちょうど橋の向こうから、お遍路姿の人が歩いてくるのが見えた。

合流点からしばらく行くと学校があり、公衆トイレの標識がある。この先トイレがあるかどうか分からないので、標識に沿って脇道に入る。公衆トイレは神山東中学校の校庭に面しており、道路から見えた校舎から校庭を挟んで反対側にある。

まだ新しい休憩所で、トイレの前にはベンチもあり屋根も付いている。この日、宿を出てから初めて見る休憩所らしい休憩所であった。雨も止みそうなのでレインウェアの下を脱ぎ、傘も折り畳んでステッキに持ち替え、リュックのカバーも外すとかなり身軽になった。ここで休めたのは大成功であった。

20分ほど休んで出発。しばらく歩くと、先ほど玉ヶ峠の方から歩いてきたお遍路の人に追いつく。20分も休んだのにすぐに追いついたものだと思っていたら、この方、なんと手に大きなビニール袋を持って、路上に捨てられている空き缶やゴミを拾いながら歩き遍路をしているのであった。

非常に立派なことだとは思ったが、一緒のペースで歩いていたら帰りの飛行機に間に合わない。申し訳ないことであったが、タイミングをみて抜かせていただいた。そうこうしているうちに、予報通り雨は完全に上がってくれたようだ。

その後は一宮寺までノンストップで歩く。途中、徳島刑務所があるので遍路道から見えるかと思っていたけれども、山の奥へと道が続いているだけで敷地も施設も見えなかった。番外霊場・建治寺への道を分け、残り2kmくらいで休憩所「おやすみなし亭」前を通ったが、考えていたよりも時間がかかっていたので、残念だが立ち寄らなかった。

おそらく役所であろう建物に、「気に入った、入田」と書かれている看板があった。おそらく、市町村合併以前は「入田町」という自治体だったのではなかろうか。それはそれとして、この看板を見てこの地名は「いった」と読むと思ってしまったのだが、少し先にあった交差点のアルファベット表示にNyutaと書いてあったのでおそらく「にゅうた」が正しい。

大日寺の前の県道は、微妙にカーブを描いている中をトラックが飛ばして行く。道を挟んで大日寺と一宮神社が向かい合っており、10mほどしか離れていないものの、車通りが多くて渡るのに気を使う。到着時間は11時50分、神山温泉から休みを入れて4時間かかった。11時過ぎには大日寺という胸算用であったので、それからするとかなり遅れてしまった。


養瀬トンネルを越えると、歩道のない橋。路肩が狭いのにトラックが向かってくる。低い欄干の向こうは50m下に川!


約2時間の歩きで広野の町が見えてくる。向こう岸に見える家並みは、玉ヶ峠を下って阿川から来る昔の遍路道に沿っている。


神山東中学校の校庭にあった、お遍路用トイレ兼休憩所。ここで休んだのは大正解。

 

十三番札所、大栗山大日寺(おおぐりさん・だいにちじ)。弘法大師の創設と伝えられるが、もともとこの場所にある札所は阿波一の宮であり、「四国遍路道指南」等にも「一宮寺」と書かれている。一の宮とはその国で一番の神社という意味であり、もともと寺ではない。また、一の宮自体は阿波国府のできた頃にはあったはずだから、空海よりも時代的に古い。

明治になって神仏分離令が出される以前、神仏習合は当り前であり、神社にも仏様を祀ってあったし、寺にも神様が祀ってあった。明治政府が無理矢理神仏を分離したのでいまの姿となっているが、もともと神様と仏様の区別はファジーなものであった。

八十八札所のうち、もともと寺ではなかった霊場は、阿波、土佐、伊予、讃岐それぞれの一ノ宮と、仁井田五社(37番)、稲荷宮(41番)、三嶋宮(55番)、八幡宮(57番)、琴弾八幡宮(68番)、崇徳天皇社(79番)で合計10を数える。多くは天皇家のご先祖をお祀りしている神社であるが、明治時代になって神仏分離により、別当寺(神社に付属する寺)が新たに札所となったのである。

十三番札所も、明治以前には阿波一ノ宮が札所となっており、別当寺と一体化して一宮寺と呼ばれていた。それが、明治になって分離せよということになり、一宮神社と大日寺に分かれた。その結果、大日寺が札所ということになっているものの、本来の由緒としては阿波一ノ宮が札所なのである。

ちなみに、律令時代の阿波国府はこのあたりに置かれていた。江戸時代以降今日まで、徳島城が置かれたためJR徳島駅周辺がこの地方の中心になっているが、古い時代にはこのあたりが中心だった訳である。「国府」「府中」は地名・駅名に残っているし、国分寺・国分尼寺もこの周辺にある(国分寺は十五番札所だ)。

なお、WEBを調べると山号の「大栗山」は一ノ宮のある山から名づけられたという説がある。しかし、それだと大粟山(おおあわさん、粟はもちろん阿波と通じる)と呼ぶのが本当のようだ。そのあたりの経緯はよく分からない。

境内はそれほど広くなく、山門の左に手水場と本堂、右に大師堂と納経所がある。山門の脇に何脚か木のベンチが置かれているが、ここでお昼を食べられるほどの広さはない。お寺で何か売っている訳でもないので、WEBには、セブンイレブンでお昼を買ってここで食べると書いてあったけれど、ちょっと難しいかもしれない。

ご朱印を押してもらってから、お向かいにある一宮神社にお参りする。広さという意味ではこちらの方が広く感じるが、あるいは建物が少ないのでそう感じるのかもしれない。気になったのは大きな馬の銅像で、本殿前に置かれていて、お参りするにはその馬の腹の下を通って行かなければならない。

よほど由緒ある馬なのか、あるいは馬上にどなたかやむごとなきお方がいらっしゃると想像せよということだろうか。意味がよく分からなかった。

[行程]焼山寺 11:55 →(1.8km)12:45 杖杉庵 13:00 →(8.2km) 15:30 神山温泉(泊) 7:45 →(9.1km)10:00 広野・神山東中学校前 10:20 →(7.2km) 11:50 十三番大日寺 12:15 →


神山東中学校の休憩所から、1時間半ノンストップで大日寺へ。道路をはさんで大日寺と一宮神社が向かい合っている。


こちらが一宮神社。馬の銅像の腹の下を通って本殿にお参りするのだが、意味はよく分からなかった。

[Apr 26, 2016]