150 十五番国分寺 [Nov 2, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

常楽寺ではネコに阻まれてチョコクロワッサンを食べ損ねたので、お行儀は悪いが十五番国分寺までの道すがら食べながら歩く。午前中悩まされた雨はすっかり上がって、食べながら歩くのに何の支障もない。常楽寺の敷地を囲んでいる石垣を回り込むような形で、来た方向とは反対側に坂を下りて行くと両側に住宅が立ち並ぶ道に出た。

すでに時刻は1時半近く、予定した札所はあと3つ。歩きに1時間参拝に1時間とみると、井戸寺を打ち終わるのは早くて3時半。それから1時間半で徳島に着けば5時だから風呂には入れるが、それより遅いと6時過ぎの空港バスにギリギリである。

雨は止んだがどんよりとした曇り空で、お日さまは顔を出さない。その上曲がりくねった道なので、依然として方向感覚に苦しむ。太陽さえ出ていればたいてい何とかなるのだが。

方向感覚は人並み以上にはあって、道に迷うことはあまりない。少なくとも東西南北どちらの方向に進んでいるかを間違うことはほとんどない。以前、房総の石尊山で大間違いをしたけれど、あれは北と北北東に15度ばかり方向の違う尾根を辿ってしまったためであり、平地であればそのくらい間違えても大きなトラブルにはならない。

ところがこの日歩いたルートは、曇り空で方向がつかみづらい上に周囲は住宅地で見通しが利かず、土地勘もない。1/25000図でも持っていれば多少は違うのかもしれないが、持っているのは北が上になっていない遍路地図である。困ったものである。

遍路地図の困ったところは、北が上になっていない(ことが多い)ことと、縮尺がページによってまちまちなことである。特にこの日歩いたような住宅地の場合は、もう少し分かりやすくしてほしいと思う。また、推奨ルートの赤線はあくまで参考であり、最終的な決定は自分でしたい。最短経路でなくても、起伏の少ない道や紛れのない大通りを通った方がいいことも多い。

とはいっても、1/25000図は住宅地が分かりにくいことについては同様であるし、遍路地図に代わる地図は現実的にはほとんどない。多少の不具合には目をつぶって、使わざるを得ないということなのだろう。いずれにせよ、最終的なリスクは自分で取らなければならない。

十四番常楽寺から十五番国分寺までの距離は0.8km、800mである。坂を下りてしばらくすると左手に規模の大きいお寺さんが現れる。十四番奥ノ院である慈眼寺(じげんじ)である。後から調べたところ、この慈眼寺には杉の木に刻んだ「生木の地蔵尊」という仏様が置かれているらしい。

さて、国分寺への道はまっすぐな一本道となったが、道案内はあまり出てこない。そうこうしていると、交差点に工事のトラックが数台、道幅一杯に広がっている。細い生活道路であり、のんびり地図を広げていたら後から来る人の邪魔になるので、瞬時の判断で直進する。道案内は「国分寺→」と続いていたので合っていたようである。

そんなこんなで神経を使っていたら結構長く感じた。トラックの交差点からしばらく進むと、畑と住宅地の間から、奈良市内でよく見る雰囲気の建築物が見えてきた。あれが国分寺に違いない。


住宅街の向こうから、忽然と奈良にあるようなお寺さんが見えてくる。いかにも国分寺という雰囲気である。


境内に置かれていた説明書きによると、現在の国分寺は奈良時代の国分寺のごく一部だそうである。

十五番札所、薬王山国分寺。国分寺とは奈良時代に聖武天皇が国家鎮護を目的として各国に設置した国分寺のことであり、当然のことながら弘法大師空海よりも古い時代の寺である。ちなみに、一ノ宮と同様、国分寺も阿波、土佐、伊予、讃岐の4ヵ寺とも八十八札所に含まれている。

境内に置かれていた説明板を読むと、かつて、奈良時代に置かれていた国分寺の領域は周辺の住宅地も含む広さであり、現在の国分寺は当時の何分の1の規模しかないそうである。それでも、本堂と大師堂、納経所は広々として境内にはかなりの空間がある。「四国遍礼霊場記」には、荒廃して礎石と本堂のみが残り、旅の僧(乞食坊主?)が住んでいるだけと書いてあるから、江戸時代初期にはそういう状況だったのだろう。

山門を入ってまず感じたのは、えらくあっさりした寺だということであった。境内の広さの割に建物が少なく、駐車場だけがやけに目立つ。本堂と大師堂の間も、途中に何もないものだからえらくそっけなく、こんなに離さなくてもいいのにと思うくらい広い。大師堂はつい最近建てられたもので、まだ新しい。札所には珍しく曹洞宗ということもあったのだろうか。

おそらく、蜂須賀の殿様の時代から、由緒あるかつての国分寺を再興するということに意味があって、檀家がいて住職と弟子がいてというような普通のお寺さんではなかったのかもしれない。普通の寺だと本堂の裏には墓地があるのだけれど、ここではそういう庶民の生活的な施設は見当たらなかった。

蜂須賀の殿様が寄進して建てられた本堂はなかなか立派である。宗派が曹洞宗というのは、その時に招へいしたご住職が曹洞宗だったのだろう。本堂と大師堂の間には、塀に囲まれた空間がある。非公開の庭園である。国の名勝に指定されているとのことだが、塀に囲まれている上に特に何も書いていないのでは、工事中と変わらない。

かなり驚いたのは、手水場の水が底にたまっているわずかの量しかなかったことである。水道の蛇口にホースがつないであるのだが、栓は外されていて捻ることができない。普通はこういう場合、少しずつ水を出し続けているところなのだが、止めたままなのである。

私はそうしていないけれども、手水場では口もすすぐという作法もある。まさか雨水ということはないだろうが、いつから溜めてあるか分からない水を口に入れる人がいるのだろうか。かなり首をかしげるところなのであった。

さて、国分寺で納経を終えると2時ちょうどになった。あと札所は2つ、距離は4kmちょっと。3時半は無理だとしても、何とか4時には井戸寺を出られそうな目処がついてきた。徳島発空港行のバスは6時25分。5時半に駅に着いて大急ぎで風呂に入れば間に合いそうだが、ご飯を食べる時間はなさそうである。

ともかくも、十六番観音寺へと急ぐ。WEB上にあるお遍路の記録をみてあまり急ぐのは考えものだと思っていたのに、自分がその羽目に陥ってしまったのは残念なことであった。

[行程]常楽寺 13:20 →(0.6km) 13:35 十五番国分寺 14:00


本堂はさすがに蜂須賀の殿様が寄進しただけのことはある。鐘楼も立派。


しかし大師堂は最近の建物だし、手水場に至っては水が出ていない。江戸時代に真念らが「荒廃している」と嘆いた名残りがいまだに残っている。

[May 21, 2016]