019 大菩薩嶺 [May 17-18, 2013]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

雲取山荘からの帰りに、小菅からのバスに乗るため深山橋まで歩いた。西東京バスのハイキング時刻表をみると、小菅からは大菩薩嶺に行けるようだ。大菩薩といえば山梨側からの印象が強く、休日には大変なにぎわいのようだが、もしかしたら小菅方面は静かな山行が楽しめるかもしれない。ということで、大菩薩に行ってみることにした。

大菩薩といえば、われわれの世代にとって記憶に残るのは「福ちゃん荘」である。東京オリンピックから5年後、大阪万博の前年にあたる昭和44年(1969年)、武装蜂起をもくろむ赤軍派がこの福ちゃん荘に集結との情報を得た警視庁機動隊が数百人体制で早朝の山小屋を急襲、運動家学生53人を凶器準備集合罪で現行犯逮捕した事件である。

最近では、「皇太子ご夫妻ご休憩の宿」を売りにしている福ちゃん荘であるが、ことと次第によってはあさま山荘になりかねなかったのである。せっかく大菩薩嶺に行くからには、やっぱり福ちゃん荘に泊まりたい。という訳で、山梨側から入って福ちゃん荘に泊まり、翌日大菩薩峠を越えて奥多摩側の小菅に下りる計画を立てたのでありました。

中央線塩山からバスに乗り、大菩薩登山口のある裂石(さけいし)で下りる。正面に大菩薩の稜線、左手に武田氏ゆかりの雲峰寺(うんぽうじ)を見ながら舗装道路を登って行く。この雲峰寺、開設はかの行基だというから、先日訪れた地図と測量の科学館とつながっている。このまま舗装道路を進んでも目的地には着くのだが、途中からショートカットの登山道に入る。

この登山道、勾配はそれほどでもなく整備された道なのだが、いかんせんこの日は暑かった。今月のはじめ塩原に行った時には雪が降っていたくらいだから、寒暖の差が激しい。そういえばその昔、森クンが川口にデビューした時もこんな季節こんな天気で、走路温度が50度超えた日だったなあと突然思い出した。

途中で登山道が崩れている箇所があっていったん舗装道路に上がり、再び登山道に入る。歩き始めて2時間、カーブを過ぎると突然大きな建物が見えた。上日川(かみひかわ)峠のロッジ長兵衛である。ここまでは車で入れるので、かなり人が多い。逆にいうと、駐車場を起点とした登山道を外せば、あとは静かな山道ということでもある。

ここから福ちゃん荘までは20分ほどの登りのはずだったが、20分では着かなかった。登山道と並行して下の方に車道が見えるので迷いはしないのだけれど、なかなか着かないので少しあせる。と思っていたら藪の向こうに建物が見えた。福ちゃん荘は正面売店側からの写真がよく知られているが、登山道からは裏手から入ることになる。

受付をして、沸かし湯だけどお風呂に入れるのはうれしい。夕食は6時。それまでビールを飲みながら次の日に登る稜線を眺めたり、中に入って本棚の本を見せていただいたりしてゆっくりする。この日の泊り客は私だけのようだ。三条の湯のときと同じである。駐車場が上日川峠まで来ているので、日帰りの人が多いのかもしれない。

玄関の奥に、皇太子ご夫妻の写真がたくさん飾られている。その中に、額1つだけ赤軍派事件の新聞記事があった。コピーで複写したものは白いままなのだが、当時の新聞や週刊誌の切り抜きはみんな変色している。もはや、過激派とか学生運動は前世紀のできごとになってしまったようだ。

福ちゃん荘宿泊者入口。登山道から登ってくると、こちらが先に見えます。


この日の夕食には、岩魚の塩焼きが付きました。味噌汁は根菜がいっぱい。


福ちゃん荘といえば、この事件。もう45年前のことになってしまいました。色が変わった新聞や週刊誌が、時代の流れを感じさせます。

翌朝は5時半に起きて、6時から朝食。私ひとりのために営業していただくのは気が引けると思っていたら、この時間にはもう登ってくる人がいる。事前の情報どおり、大分にぎやかなことになりそうだ。早々に出発してカラマツ尾根から大菩薩嶺へ登る。名前のとおり両側カラマツの尾根道で、涼しい朝に新緑が鮮やかだ。

カラマツというと、昔モンティ・パイソンで前後の脈絡なくカラマツの映像が出て、“Larch”とコメントが入ったのを思い出した。カラマツの新緑を見上げながら、“Larch”と言ってみる。しばらく歩くと急坂になって、そんな余裕はなくなった。

カラマツ尾根は福ちゃん荘から大菩薩の稜線・雷岩に出る尾根道で、2万5千分の1図で見ると最後のひと登りだけが急登のように見えるのだが、そんなことはなくて、その前の小さなピークと合わせて3回の急登がある。裂石(さけいし)から福ちゃん荘まで標高差800mを登っているのであと300mは何でもないと思っていたら、とんでもない話なのである。

1つめのピークを越えたあたりで振り返ると、大菩薩湖をバックに富士山がきれいに見える。急坂を登って標高を上げていくと、大菩薩湖の湖面がだんだん広がっていき、富士山も大きく見える。富士山から右方向には、まだ雪をかぶった南アルプスの山々を望む。天気にも恵まれて、うれしくなる大パノラマである。

ところでこの大菩薩湖は、揚水発電を行っている上日川ダムのダム湖である。揚水発電は上のダムと下のダムで水を上下させて発電を行っているが、下のダムに当たるのが葛野川(かずのがわ)ダムで、大菩薩峠から南に伸びる稜線の地下深くをトンネルが通っている。

そして、大菩薩湖の水はそのまま流れると富士川へ、葛野川ダムの水は相模川へ流れるので、本来自然のままであれば行き来しない水が行ったり来たりしていることになる。もちろん環境アセスメントとかいろいろ手順は踏んでいるのだろうけれど、本当の自然って何だろうと思ったりする。

雷岩まで1時間ほど登ると、広い休憩スペースがある。まだ朝早いのに、結構人がいる。おそらく昼ごはん時には、大変なにぎわいになってしまうのだろう。早く大菩薩峠を抜けてひと気のないところに行かないと、騒がしいことになりそうだ。

頂上である大菩薩嶺2056mは、雷岩から10分も歩かないくらい近い。頂上は木々に囲まれているので、見通しはきかない。スペースもないし後から人も上がってくるので、すぐに来た道を引き返す。ここから稜線を大菩薩峠までは、基本的に下り坂である。

自動車が通る前は、青梅方面と甲州は大菩薩峠を越えて往来したという。現在は丹波から先、今回スタートした裂石あたりを青梅街道が伸びているが、江戸時代には秩父・青梅・甲州は山道を行き来したのだろう。いまならいったん都心経由で移動する方が全然早いけれど、人力しかない当時は山道を突っ切った方が早かったはずである。

昔の大菩薩峠だった賽の河原を抜け、小高いピークを越える。下り坂なのだけれど、下は岩でガレていてスピードは出ない。最後の急坂を下って、現在の大菩薩峠である介山荘に出る。このあたり駐車場のある上日川峠から直接登って来れるので、かなりの人混みである。

中里介山の小説「大菩薩峠」は名前だけは通っているけれども、あまり面白くないという評判である。wikipediaによると、最後の方はただ長い小説を書くというだけの目的で書かれていて、登場人物がどうなるでもなく結局オチもないまま未完で終わるらしい。それでも、大菩薩峠ある限り、中里介山の名前は残ることになる。

さて、ここからが今日の本番、小菅村までの長い下りである。富士山とは逆方向、奥多摩方面を望むと、はるか遠くの方に集落が見える。おそらくそこが目的地の小菅村である。どうみても、2時間や3時間で着きそうにない。介山荘でスポーツドリンクを補充して、9時15分、奥多摩方面へ下り始めた。


カラマツ尾根の名前のとおり、カラマツの新緑が涼しげな朝です。このすぐ後に急登が始まります。


カラマツ尾根の途中から振り返ると、富士山が見事。下に見えるのはダム湖の大菩薩湖。

山に行くようになって気付いたのは、ガイドブックなどで紹介されているルートやその山のメインルートはやたら人が多いのだが、少し外れただけでほとんど人が来なかったりするということである。大菩薩峠から小菅に抜ける道もすれ違ったのは3人、抜かれたのも一人だけである。大菩薩峠には9時過ぎで数十人もいたというのに。

人とずっと一緒というのは何かあった時には安心ではあるが、どこに行っても他人の話し声が聞こえるというのは、私にはあまり好ましくない。せっかく山に来たのだから、一人でひいこら言いながら登りたい。だから、小菅への下り道を選んだのだけれど、予想通り快適であった。

稜線の岩交じりの道から、落ち葉の積もった柔らかい下り坂になり、とても歩きやすい。30分ほど下ると、ニワタシバという標識が立った場所に出る。これは「荷渡し場」という意味で、江戸時代にはここで青梅側と甲州側で荷物の交換が行われたということである。現在はそれほど広くなっていないが、昔は開けていたのだろうか。

昔の山村を調べた資料によると、明治時代終わりくらいまで山村には現金収入がほとんどなくて、村内では貨幣代わりに米がやりとりされていたということである。峠越えの荷運びはポピュラーな副業で、かなり貴重な現金収入源となったということである。小菅や丹波の人達も、ここまで荷運びをしたことがあったのだろうか。

ニワタシバからさらに30分ほどでフルコンバに着く。ここは、小菅村への道と丹波村への道が分かれるところで、昔は山小屋が建っていたという。周囲が広がって気持ちのいい場所であり、人通りが多かった時期にはひと休みする人が多かったと思われる。近くに水場があるらしいが、よく分からなかった。もしかしたら藪の中を探せばあったのかもしれないが、単独なので足でも踏み外したら大変だし、蛇とかいたら怖い。

大菩薩峠から小菅林道まではおよそ2時間半と読んでいたのだが、延々と森の中の道が続いてなかなか先が見えない。奥多摩ではおなじみの東京都水源林の表示や森林整備の鳥の巣箱などがあるので道は間違いないが、大分下ったのにまだまだ下に林が続いている。もっとも、標高差で1000mを下るので、そうそう簡単には着かなかったのである。

下り始めて2時間、11時過ぎてようやく沢の音が聞こえてきた。ここで、道が2つに分かれる。まっすぐ進めば赤沢方面、右に折れれば日向沢方面とある。右に折れた方が林道には早く着くと思ってしばらく進んでみたら、だんだん狭くなって最近人の通った形跡がない。安全策をとり道幅が広い赤沢方面への道を進む。

ここから沢を二つ越えて、ようやく小菅林道に出ることができた。大菩薩峠から3時間弱、12時過ぎの到着である。昼近くなって日差しが強烈になり、最後の方はちょっとバテてしまった。日陰を探して座り込み、水分とカロリーを補給。下るだけだと思ってあまり水を用意していなかったのはよくなかった。やっぱ、水は大事です。

20分ほどお昼休みの後、林道を下る。途中、白糸の滝を見て、延々と砂利道を歩く。スピードは出るのだが、登山道と違って日差しをさえぎるものがないのが難点であった。バス停のある橋立という集落に着いたのはちょうど2時。自動販売機があったのでスポーツドリンク500mlを買って一気飲みした。こんな山の中なのに定価というのはうれしい。

もう少し涼しかったら申し分なかったけれど、大菩薩峠よりこちらはとにかく静かだった。ほとんど人はいなかったけれど、登山道は整備されていて危険個所は全くなかった。帰ってから調べたら、分岐点から日向沢に下りても特に問題はなかったようだ。休憩所の建物の日陰で休んでバスを待った。今回もいい山行でした。


親不知の頭というピーク付近から。大菩薩峠と介山荘が見えてきました。


小菅側に1時間ほど下ると、丹波方面への分岐となるフルコンバに着く。昔は小屋があったということで、広くなっています。山梨側の混雑と対照的に、ほとんど人は通りません。

この日の経過
烈石バス停 13:30
14:00 登山口 14:00
14:40 上日川峠 15:45
16:20 福ちゃん荘(泊) 6:30
7:45 雷岩 7:50
8:05 大菩薩嶺 8:05
9:05 大菩薩峠 9:15
10:05 フルコンバ 10:15
12:05 林道登山道分岐 12:05
12:15 無名橋(昼食) 12:35
12:40 白糸の滝 12:50
14:00 橋立バス停

[Jun 3, 2013]