170 十七番井戸寺 [Nov 2, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

十六番観音寺を出た時点で、すでに時刻は3時近い。予定ではすでに井戸寺を出ていなければならない時間であり、ちょっとあせる。徳島駅前の「びざんの湯」で汗を流して着替えるためには、少なくとも4時には井戸寺を出発したいところである。

十六番観音寺から十七番井戸寺までは市街地を通る。方向としてはJRの線路を南から北へ渡るので、そんなに大きく間違いようがないけれども、それでも道間違いは避けたい。山野袋に入れておいた遍路地図のコピーを取り出し、手に持ちながら歩く。

しかしながら困ったことに、このあたりの遍路地図は南北逆さなのである。私にとっては、北が上の方がずっと分かりやすい。というよりも、そうでないと間違える。カーナビでさえ、進行方向を上にしていると訳が分からなくなるのである。

観音寺の前の通りをまっすぐ進むと東である。つまり、方角としては徳島に向かっている。井戸寺は線路を渡って北なので、方向としては前か左に向かわなければならない。しばらく歩くと有名な遍路宿である「鱗楼」(うろころう)があった。閉まってはいないようだがあまりひと気はないようだった。

鱗楼の先で太い通りと交差したので、左に折れてみる。左手は大きな神社である。「大御和神社」と書いてある。井戸寺の項で触れたように、崇神天皇の時代に建てられたという、前時代の支配者の神社である。国分寺と違って、境内にはひとの手が頻繁に入っているように感じられた。上から押し付けられたものはあまり根付かないが、人々が畏れ奉った神々は、長い時代を生き残るということだろうか。

大御和神社の前をまっすぐ進むと、やがて交通量の多い通りに出る。近くにスーパーマーケットも見えるので、駅前通りなのかもしれない。このあたりで、井戸寺に向かう道案内を見つけた。この大通りを渡って、反対側の細い通りへと行き先を指示している。しかし、指示のとおりに通りの向こう側に渡ると、案内もシールもなくなってしまった。

幸いにすぐ近くがJR府中(こう)駅である。遍路地図を見ると、駅の先で線路の北に出るようなので、それらしき道を探す。しかし、そんな道は見当たらない。仕方なく、渡れそうな踏切のある道まで200mばかり歩く。すぐそばに病院が見えたので遍路地図の示す経路よりずっと先(東)なのだけれど、その道を北上して踏切りを渡る。

この道は、車は通れるものの真ん中に線は引かれていない一車線の道路である。だから、車が来るたびに立ち止まってやり過ごしてという繰り返しであった。とはいえこのあたりからようやく遍路シールが復活したので、少し安心していたのである。

向こうから来た車が端に寄って止まったので、よけようと思って道の中央に出たら、車を運転していた中年の女性が下りてきた。何だろうと思っていると、手に持っていた昔風の買い物かごを差し出して、「お接待させてください」と差し出すのである。おお、これが名高いお接待か、と驚いたのが半分うれしいのが半分である。

かごの中には、お手製の巾着袋が十個くらい入っている。ありがたく一ついただいた。「どこからいらっしゃったんですか?」「今朝は雨だったんで、大変だったでしょう」など、歩き遍路ならではの話題を振っていただき、「それでは、気をつけて」と車に戻られたのである。

この回は泊まらずに徳島から帰ったので、家に帰ってから開いてみると、小さな巾着袋の中に、おせんべいやクッキー、キャンディ、柿の種とピーナッツ、黒糖などいろいろな種類のお菓子が詰め合わせてあった。ありがとうございました。

初お接待から5分ほど歩くと、十七番井戸寺が見えてきた。住宅街の中、はるか向こうから山門が見えた時にはうれしかった。時刻はまだ3時半、なんとか徳島に戻って風呂に入れそうな時間である。


十六番観音寺を出たところ。ここからはほぼ街中である。シールも減って分かりにくい。


国府駅から北上する細い通りを振り返る。この道で、お接待のお菓子袋をいただきました。家に持って帰ったら、奥さんが大変喜んでくれました。

 

十七番札所、瑠璃山井戸寺。「四国遍路道指南」には井土寺と書いてあるが、意味としては同じである(井土の方が本来の意味に近いともいえる)。弘法大師空海が、水不足に悩む土地の人のため掘った「面影の井戸」があり、これが寺の名前となったとされる。

弘法大師空海ゆかりとされるのは、面影の井戸だけではない。国の重要文化財に指定されている十一面観音菩薩像は、空海御製とされているのである。しかし、この十一面観音菩薩、他の札所のご本尊と比べても格段に古い仏様であるにもかかわらず、井戸寺のご本尊ではない。

山号の瑠璃山とは、もちろん薬師如来の瑠璃光浄土(浄瑠璃世界ともいう)のことである。つまり、本尊である薬師如来からとられている。そしてこの薬師如来、聖徳太子が作ったと言われているのである(実際に造ったのは鞍作鳥だろうが)。もちろん、聖徳太子は空海より200年以上古い。

また、「道指南」には「明照寺ともいふ」とある。寺伝によると、天武天皇(空海より150年前)の勅願により開かれたとされ、その頃の名前が明照寺ということである。ときの天皇陛下にお名前をいただいたのに、空海が井戸を掘ったから井戸寺に変えたというのは、陛下に対していかにも軽々しいような気がする。

これについて五来重氏の「四国遍路の寺」では、本尊格の仏像が複数あること、それに境内の構造等からみて、複数の寺が現在の井戸寺に併合されたとの仮説を立てている。ありそうなことである。

「道指南」には「△△寺または▲▲寺ともいふ」という書き方がいくつかある。四番大日寺に黒谷寺、室戸岬3寺に東寺・津寺・西寺という別名があるのは、一種の通称と考えられる。そして六番安楽寺を瑞運寺とも呼ぶのは、徳島藩の駅路寺制度にともなう改称、つまりお殿様の命令である。

おそらく真相は、戦国時代に一度焼かれてしまったので、周辺の寺と仏様をひとつ所にまとめたということなのではないだろうか。だとすると五代説に近いことになる。いずれにしても、土地の人達にとって、弘法の井戸も七仏薬師も、いずれも霊験あらたかでおろそかにはできなかったに違いない。

これから徳島に向かうので、さっそく本堂へ。札所の中でも、本堂の中にお参りすることが可能なところは決して多くはない。こちらでは本尊七仏薬師が祀られている本堂をお参りし、ご本尊の目の前で読経することができる。

七仏薬師の絵画は結構な数残っているが、仏像は少ない。私自身、七仏薬師像は初めて見た。観世音菩薩が6つの世界それぞれに違った姿(馬頭観音とか千手観音とか)で現われるのと同様、薬師如来は7つの世界に違った姿で現われるとされる。

ちなみに、七仏薬師は平安朝における加持祈祷では頻繁に用いられたようだ。薬師というお名前と、薬壺を持っていることから、病気の治療や安産の祈祷に用いられたらしい。(ちなみに、奈良の浄瑠璃寺にあるのは九体阿弥陀仏)。

境内には本堂・大師堂の他にも大きな建物がいくつかある。ゆっくり見て行きたかったが、予定時間をかなりオーバーしていたので、4時になる前に失礼させていただく。あとは徳島駅まで平地の舗装道路。6kmくらいなら1時間と少しで着くだろうと思って歩き出したのだが、最後に再びつらい目に遭うのであった。


住宅街の彼方に、ようやくこの日最後の札所、井戸寺の正門が見えてきた。


井戸寺正門。脇に納められているのは普通なら金剛力士像だが、こちらの場合は大きなわらじが奉納されている。

 

井戸寺から徳島駅までは江戸時代すでに開けていた場所であったようで、「四国遍路道指南」には「あくい川 徳しままでは家つづき」と書かれている。井戸寺を出たあたりでは田園地帯であるが、やがて交通量の多い片側2車線の道路にぶつかる。ここからはビルの連続で、まさに「家続き」の状態である。

さて、この2車線道路で右折するのか、細い通りを直進するのかちょっと迷う。遍路シールも行き先案内もない。交差点で彼方を見てみると、2車線道路の向こうに橋があるようで登り坂になっており、さらにその後方に眉山が見える。眉山ということは徳島市街の方向である。仮にひとつ通りを間違えて鮎喰川を渡ったとしてもそれほど距離のロスはない。

と考えて、2車線道路へと右折した。最初に見当をつけたとおり、遠くに見えた橋は鮎喰川を渡る橋で間違いなかったのだが、そこまで到達するのが長かった。すでにこの日は神山温泉から大日寺までの15kmを歩き、大日寺から井戸寺まで切れ切れとはいえ7、8kmを歩いている。すでにかなり膝に来ている。

足を引きずっているのか、右足を付く時に金属的なこすれる音がしているのがしばらく前から気になっていた。信号待ちの時にスポーツシューズを脱いで裏返してみると、大きな石のかけらが2つ靴底に刺さっていた。ゴムの靴底に食い込んでしまっていて、取るのにやや手間がかかった。でも、そのかけらを取ったら音はしなくなり、歩きやすくなった。

ようやく鮎喰川の橋にたどり着く。ここまでビルに囲まれていたので、しばし開けている景色を楽しむ。結構な川幅がある。11月で4時をとうに回っているから日が暮れて少し暗くなってきた。あまりゆっくりしているような余裕はないようであった。

川を渡ってしばらく行くと、遍路地図の指示に従ってショッピングプラザの先を右折して裏通りに入る。このあたりから遍路シールが復活するが、道幅は狭く車が来ると避けなければならない。立体交差を抜けて踏み切りを渡ると、徳島大学病院の前に出た。病院前の太い通りが、JR徳島線と並行して走る国道192号線である。ここまで来れば、徳島駅まで一直線のはずである。

少しほっとする。それと同時に、もう徳島駅に着いたかのような錯覚を覚えてしまった。通りかかりにオフィスの時計を覗いてみると4時45分。これなら5時頃には着くのではないかと思ったのだ。

ところが、そんな甘いものではなかった。徳島の隣の駅が佐古だが、「佐古×丁目」の表示が延々と続く。歩けども歩けども佐古である。5時を10分ほど回ってようやく「←佐古駅」の表示が出た。一体、佐古は何km続いているのかと思った。

佐古が終わってようやく徳島駅に近付いたと思ったら、今度は横断歩道のない交差点が連続する。交通量の多い道路なので仕方ないのだが、30km歩いてきた1日の終りに歩道橋の昇り降りが続くというのは、足腰よりも心に響く。ようやくそごうの前まで来ても、サンルートの側に行くには歩道橋に昇って交差点を3/4周しなくてはならないのだ。

結局、びざんの湯に到着したのは5時半。尾瀬御池に下りてきた時ほどではなかったものの、あわただしく風呂と着替えを済ませたのであった。急いで風呂に入り着替えたため、徳島空港に向かうバスの中で、びざんの湯にステッキを忘れてきたことに気付いた(着払いで送ってもらった)。第三次お遍路の最後は、やはりあわただしいことになってしまった。

[ 行程 ]観音寺 14:45 →(2.8km) 15:30 十七番井戸寺 15:50 →(6.5km)17:25 JR徳島駅


左の建物が十七番井戸寺本堂。中に入ることができ、ご本尊の七仏薬師如来を拝むことができる。


井戸寺から徳島までは、眉山をめざして進む。この7kmはきつかった。

[Jun 24, 2016]