002 長谷川、ウィラポンを攻略 [Apr 16, 2005]

WBC世界バンタム級タイトルマッチ(2005/4/16、日本武道館)
O ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ、47勝33KO1敗2引分け)
長谷川 穂積(千里馬神戸、17勝5KO2敗)

戦績に歴然と現れているように、百戦練磨のウィラポンにかなり分のある戦いである。長谷川につけ入るスキがあるとすれば、年齢(36歳)からくるウィラポンのスピードダウンだけだが、仮にヒットアンドアウェイでうまく立ち回ったとしても、西岡の第一戦のVTRのようになるのではないか。しかし打ち合えば長谷川に勝ち目はない。ウィラポンの判定勝ちが6割、KO勝ちが3割とみる。

この試合の前座では、日本スーパーバンタム級タイトルマッチ、中島吉兼vs木村章司戦があるし、注目のホルヘ・リナレス(世界ランカー)、粟生隆寛(あおう・たかひろ、元高校チャンピオン)も登場する。もう一試合がなければ絶対に日本武道館に行ったと思う。自分が払った入場料が奴のファイトマネーになると思うだけで腹が立つから行かない。新井田豊(にいだ・ゆたか)のことである。

新井田はもう3~4年前になるが、世界チャンピオンになったとたんに一度引退した。「達成感」のためだそうである。22、3の奴が20戦もしてないのにジムや周囲の力で世界戦を組んでもらって、「やるだけやった」というのも笑わせる。多分、無敗(引分けはある)のまま引退したらかっこいいとかそんなことだったんだろうと思う。

許せないのは、彼が他でもない横浜光ジムの選手だからだ。横浜光ジムの会長は関光徳(せき・みつのり)、かつて東洋フェザー級チャンピオンを5年以上にわたり防衛した名選手である。関が活躍したのは1960年代、原田や海老原の時代である。当時は今のように世界戦統括団体が4つもなく、しかも軽量級にはジュニアクラスもない。世界チャンピオンは、現在の4団体・2クラス(スーパーバンタム、フェザー)8人が1人であった訳だから、強さもさることながら世界戦を組むだけでも大変な時代であった。

しかも、当時の世界フェザー級チャンピオンとして君臨していたのはビセンテ・サルディバル、メキシコの国民的英雄にして、1960年代を代表する名選手であった。関は東洋では無敵を誇ったものの、サルディバルの牙城を崩すことはできず(判定負け、KO負け)、とうとう世界チャンピオンにはなれなかった。あと20年、いや10年遅れて生まれていれば、間違いなく世界チャンピオンになれただろう。

そんな会長にお世話になりながら、世界チャンピオンになったとたんにやめるというのは、まさに「人生意気に感じない」奴である。目や体を壊したわけではないことは、その後引退を撤回したことで証明済み。ボクシングも粘るばかりで面白みがなく、彼の試合はいつもダブルタイトルマッチだ(ピンを張れない)。同階級のイーグル京和とは技術的に雲泥の差。今回も面白くない試合になるだろう。

亀田興毅の移籍問題がニュースになっているが、彼はきわめてお行儀のいいグリーンツダジムの選手であったことに感謝すべきだ。訳の分からないジムであれば、かつての西島洋介山の二の舞(飼殺し)になるところであった。日本のジム制度の後進性(相撲部屋と似ているのは、日本の興行制度がそもそも同じようなものだから。芸能界もそうですね)もなんとかすべき時期にきているとは思うが。

 

WBC世界バンタム級タイトルマッチ(4/16、東京)
長谷川 穂積 O 判定(3-0) X ウィラポン・ナコンルアンプロモーション

ウィラポンの勝率9割と予想したが、10割にしなくてよかった。長谷川の勝因は圧倒的不利が予想された中で、開き直って打ち合ったこと。ウィラポンはスロースターター気味であるので、そこに長谷川の小気味いい左ストレートが適確にヒットした。オーソドックス対サウスポーではありがちなパターンとはいえ、同様にサウスポーの西岡にも打たせなかったウィラポンなので、やはり年齢から来る衰えなのだろう。

中盤はさすがにウィラポンの巻き返しに危ない場面もあったが、ここでも打ち合いに応じて、9回、10回には疲れの見えたウィラポンをあわやダウンかというところまで追い詰めた。長谷川自身も24歳と若く、まだ強くなっているということなのだと思う。とにかく、一流のチャンピオンを明らかな判定で下しているのだから、文句のつけようがない。これで、ジュニアクラス以外では、畑山隆則(ライト級)以来のチャンピオン誕生である。

長谷川の上昇度と、ウィラポンの下降度がちょうどマッチングした、タイミングの良さ、巡り合せを感じさせたが、ここで思うのは西岡利晃のことである。西岡は2000年から合計4度ウィラポンに挑戦し、判定負け2度、引分け2度でいずれも王座獲得はならなかった。特に2度目の対戦(引分け)の時は、ちょうど昨日のような戦いでウィラポンを追い詰めた。違うのはウィラポンが今ほど衰えていなかったということだけである。運が悪いといえばそれまでだが、多分それだけではないのだと思う。

西岡はウィラポンへの4度挑戦の間の約4年間、ウィラポン以外とはほとんど戦っておらず、しかも強豪との対戦は全くない。そもそも世界ランカーになって日本チャンピオンを返上して以来、生き残りを賭けたここ一番という試合をやっていないのである(昨年秋の中島との試合が久々)。

一方長谷川は、東洋チャンピオンを獲得、鳥海純(世界ランカー)との挑戦者決定戦(非公式だが)を経てタイトルマッチに臨んだ。こうした積み重ねというか階段を一歩ずつ上がるまっとうなやり方が、運というか巡り合せを呼び込んだのだと思わずにはいられない。