180 十八番恩山寺 [Feb 25, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2016年が明け、お遍路も2年目に入った。サラリーマン生活も延べ36年に及び、この先何をするにしても禊(みそぎ)はしなければならないとお遍路を思い立ったのは2015年夏。その後2015年に3回のお四国で十七番札所までお参りした。今年はいよいよ新たな出発の年、より本格的に歩くつもりである。

ものの本によると、歩き遍路でつらいのは3日目だそうだ。これまでの区切り打ちは2日連続までで、3日目に突入したことはない。そこで今回は初めての3日目に挑戦することにした。とはいえ、まだ遍路初心者のことゆえ3日目は後泊とし、3泊4日の予定を組んでみた。

という訳で、四たび徳島に向かったのは2016年2月25日。後泊なので朝一番の飛行機である。朝5時前に家を出て、7時10分に羽田発、8時半に徳島着である。前回は十七番井戸寺から徳島駅まで歩いたので、今回は徳島駅からのスタートとなる。井戸寺から恩山寺まで直行すると16.8kmあるが、すでに7km歩いているので、あと残すところ10kmである。

阿波の難所は「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われている。焼山寺はクリアしたけれども鶴林寺、太龍寺はこれからである。しかも、この2つの札所間には宿泊施設はない。1日で両方の札所を登り下りし、さらに次の平等寺までもう一回登り下りがあるという難所である。焼山寺遍路ころがしを終わっても、まだまだ油断できないのであった。

空港発のバスでJR徳島駅前まで。今回はここからスタートする。まずは国道に向けてしばらく街中を歩き、徳島県庁の先から国道55号に入る。最初の目標は約6km先、JR地蔵橋近くにあるへんろ用品四国電機・井上商店である。

前回、井戸寺から徳島駅に向かった時も思ったのだが、この平坦路が意外と長い。それと、都市部であるので当然ながら信号待ちがあってその都度いったん足を止めなければならない。これがかなり足を疲れさせる。右手に見えていた眉山が後ろに見えるようになると、もう郊外である。ビルに代わって国道の両側は水田地帯になる。

1時間も歩くと、かなりお腹が空いてきた。朝ごはんは4時だったので、10時を過ぎて腹が減るのは仕方がない。しかし、食べ物屋さんはいずれも反対車線である。わざわざ信号待ちして道路を横断してと思うと面倒くさい。

そうこうしているうちに、最初の目標であるへんろ用品店・四国電機が見えてきた。「お接待の井上商店 どうぞお休みください」と店の前に大きく看板が掲げられている。しかし、見た目も店の中も、普通の電器屋さんである。

せっかくだから気になっていた遍路用品(札所以外も記入できる朱印帳)があるか尋ねてみたけれども、残念ながら置いていなかった。お遍路さん向けに休憩スペースがあり、お茶の用意もあるのだが、まだ休むほどは歩いていない。中を見させていただいただけで失礼した。

四国電機を過ぎてすぐ、徳島市と小松島市の境である勝浦川を渡る。この頃になると、右手に剣山に至る稜線が近づいてくる。いちばん奥の頂は雪をかぶって白くなっている。この日の道のりは、いま渡った勝浦川からいったん離れた後、再び川に沿って遡上することになる。


歩き始めはJR徳島駅。ビルの向こうから眉山が見えます。


勝浦川を越えると、右手に山並みが見えてくる。一番向こう側、剣山の頂上は雪で白くなっていました。

しばらく前からお腹が空いて仕方なかったが、勝浦川を越えてすぐ、四国電機から10分も歩かないうちに、ようやく道のこちら側に食べ物屋が現れた。「ラーメン工房りょう花」と書いてある。営業時間は11時から。ちょうど11時になったところである。迷わず入らせていただく。この日最初の客であった。

ロードサイドに一軒だけあるラーメン店には当たり外れが大きいが、ここは店構えも内装も都会のラーメン店と変わらない。また、徳島ラーメンというと生卵が入っているので個人的には避けたいところだが、こちらはそういったラーメンではないようだ。一番人気の「鶏塩ラーメン」をお願いする、ランチタイムで焼きおにぎりをセットにしてもらった。

さっぱりした塩味で、麺にも腰がある。あまり考えずに選んだ割には、おいしい店であった。たいへん満足して店を後にする。時刻は11時25分。できれば午前中に恩山寺に着きたかったが、ちょっと難しいようである。

お腹も一杯になり、道も平坦で、快調に歩を進める。しかし、なかなか恩山寺への分岐点に着かない。遍路地図を見ると、勝浦川を渡って恩山寺の分岐までそれほど距離がないように見えるのだが、そんなことはない。細かい話になるが、遍路地図19ページの徳島市内は縮尺1/30000、20ページの小松島市内は1/35000で、20ページの方が見た目より実際の距離が長いのである。

30分ほど歩いて小松島警察署を過ぎ、ようやく右に分かれる道が住宅街の方へ伸びているのが見える。「↑恩山寺」と道案内も出てきた。ところが、ここから先もまた長いのである。考えてみれば、恩山寺は山の中腹にあり、いま歩いているのは平地だから、まだまだ恩山寺までは遠いということなのだが、遍路地図を見ているだけではなかなかそこまでは分からなかったのである。

分岐からさらに20分ほど歩いて、ようやく「民宿ちば」の大きな建物が見えた。ただ、「民宿ちば」の他には、門前町らしい遍路用品店とか、食堂とかが見当たらない。もう少し奥にあるのかなと思って進むが、再び山道になってそうした施設は見当たらない。そうこうしているうちに山門を過ぎ、舗装道路とへんろ道とが分かれる地点になった。

もう山門を過ぎたのだからどちらを通っても大した違いはなかろうと思ったのだが、ここのへんろ道は結構きびしかった。徳島駅からここまで平地ばかり歩いてきたせいもあるが、なにしろ傾斜がきついのである。それでも、この日はじめて土の地面を歩くのは気持ちよかった。何回か急坂をクリアして、ようやく本堂のあるレベルまで上がって来た。

12時20分、お昼を食べてから55分で到着した。「弘法大師御母公ゆかりの地」と石碑が建っている。それはいいのだが、その先に石段、さらに奥にまた石段が見える。平地にあるお寺さんだとばかり思っていたのに、実際はかなり山の上にあるのであった。


恩山寺が近づき、10km近く歩いて来た国道55号線とはお別れ。住宅街の道路を進む。


山門を過ぎると、車用の舗装道路と昔ながらの遍路道が分かれる。遍路道はけっこう傾斜がきつい。

母養山恩山寺(ぼようさん・おんざんじ)、四国遍礼道指南等の述べるところによれば、聖武天皇の勅により行基が開山したとされ、当時は大日山密厳寺という名前だった。その後、弘法大師空海がこの寺に母親を引き取ったという故事に由来して、現在の山号・寺号となったということである。

「四国遍礼霊場記」の挿絵によると、本堂・大師堂などの施設があるのは山の頂上である。地図で見ただけではそんな印象はなかったのだが、実際歩いて見ると山門から本堂までかなりの標高差があることが分かる。まさに、霊場記の説明のとおりの立地なのであった。

ただ、寺からみると西の方向に稜線が続いていて、景色が開けているのは東側である。山を下ってまっすぐ進むと小松島港、紀伊水道から奥まったところにある良港である。地形からすると、冬の季節風(北や西から吹くことが多い)があまり当たらない場所であり、土木建築に詳しかった空海が母親の隠居場所に選んだというのはありそうなことである。

ご本尊は薬師如来。この仏様は行基の作ったものといわれ、当時は山上に32の堂宇がありたいへん栄えたということである。そのお寺が、空海が来るまですっかり衰退していたというのである。

しかし、行基から空海まで時期的には50~60年しか違わない。そして行基の時代には、僧侶は国家資格であり、それ以降の時代と違って勝手に修行するということができなかった。そういう時代に、水の手もあまりない山の上に、30を超えるお堂があって大勢の僧侶が修行していたとは考えにくい。天皇の命令で作られた国分寺だって、そんなに大きなものではないのである。

そうした時代背景から考えると、この寺はもともと弘法大師が母親の隠居地として作ったもので、当時からそれほど大規模な寺ではなかったと考える方が、つじつまがあいそうである。

山門からかなり登って「御母公ゆかりの地」の石碑まで着いたけれども、本堂まではさらに石段を登らなければならない。登り標高差からすると、十番切幡寺と甲乙つけがたいくらいの登りである。本堂・大師堂でこの遠征はじめての読経を納めさせていただき、納経所でご朱印をいただく。

ここで前回と違ったのは、納経帳とお姿の他に、「散華です」といって色刷りの小さなカード様のものを渡されたことであった。

カードの中央には「十八番 母養山恩山寺」とご本尊の梵字が印刷されていて、その部分が楕円形に切り取れるようになっている。上部には「平成28年閏年限定 参拝記念散華」、下部には「四国八十八ヶ所霊場会」と書いてある。これは、この遠征で回った他の札所でも、色はそれぞれ違うけれども同様に渡されたのであった。

帰ってから調べてみると、今年は閏年ということで、八十八札所それぞれがこの散華を配っており、ネットで印刷したり霊場会に申し込んだりして台紙を入手し、各札所が一枚の花弁になるように貼って行くという趣向なのであった。(4県それぞれがひとつの花となる)

確かにそれなりに工夫した取り組みなのだが、私の場合は区切り打ちだし1年で全部回れる訳ではない。いま現在の予定では、ことし中に回れるのは徳島県の途中から高知県の途中までになりそうなので、4つの花のうち1つも完成しない。という訳で、いただいた散華はそのまま、お姿を入れる袋に入れたままにしているのでありました。

[ 行程 ]JR徳島駅 9:25 →
[7.2km] 11:05 ラーメン工房りょう花・小松島店 [昼食] 11:25 →
[4.3km] 12:20 十八番恩山寺 12:45 →


弘法大師が母親を迎えたことから母養山の山号を持つ恩山寺。東に開けた山麓にあって、冬は過ごしやすそうだ。


恩山寺本堂。このお寺は山門を入ってからかなり登り坂が多い。

[Jul 11, 2016]