200 二十番鶴林寺 [Feb 25, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

立江寺の次はいよいよ阿波第二の遍路ころがし・鶴林寺である。この間の距離は13.1km。JR徳島駅からの累計では約27kmになる。無理すれば1日で歩けないことはないが、寺には宿坊がなく近くに宿泊施設もない(昔はあったらしい)。だからその日のうちに参拝できたとしても山を下って勝浦町に戻るか、先に進んで大井小学校跡あたりで野宿することになる。

とはいえ次の日に平等寺まで行ったとして、それより先に進むと次の薬王寺まで19.7kmもあってしかも途中に宿がない。それこれ考え合わせると、朝に鶴林寺、昼に太龍寺、夕方に平等寺というのがこのあたりを歩く際の常識的なスケジュールとなる。であれば、無理して鶴林寺まで登らなくても麓の勝浦町で泊まり、翌朝に鶴林寺というのが望ましいように思われた。

ということで、この日の泊まりは「ふれあいの里さかもと」、鶴林寺の登山口から7、8km奥にあるので迎えに来てもらうことになる。電話したところ、勝浦道の駅まで迎えに行きますということだったので、お言葉に甘えることにした。バスもあるにはあるのだが、1日に数本しか走っていないのである。

立江寺から道の駅勝浦まで、約10kmある。鶴林寺まで13kmのうち10kmだから距離的にはかなり近くまで来ていることになるのだが、この先は山道なので感覚としては中間点くらいになるだろうか。いずれにしても道の駅まで2時間以上みなくてはならない。幸いなことに晴天、風もなくおだやかな遍路日和である。

立江寺からへんろ道に戻ってしばらくは、右に住宅街、左に低地という景色が続く。低地の向こうは山で、この山の向こうに番外霊場の取星寺(しゅしょうじ)がある。そして、この低地に無骨なコンクリートの建造物が一列に並んでいるのである。雄大な景色の中に、ちょっと興ざめしてしまった。

帰ってから調べてみると、どうやらこれは徳島・阿南間に建設中の四国横断自動車道の橋脚の一部らしい。国道55号線があれば高速がなくても十分なように思うけれども、高速道路が近くに欲しいというのは地元住民の悲願なのだろう。

おだやかないい景色なのに残念なことだとは思うが、これはたまに来る余所者の感傷にすぎないのかもしれない。いまはまだおだやかなこの道を1時間ほど歩くと、沼江(ぬえ)に向かう県道22号線と合流する手前で、有名な善根宿「寿康康寿庵」の前に出る。

この宿、プレハブの飯場にも見えるのであるが、中には寝具とお茶道具、流し、トイレもあって野宿の歩き遍路の方々によく利用されているようである。「里山再生事業本部」との看板も掲げられているので、地元の方々が集まる拠点としても使われているのだろう。

戸を開けて覗いてみると中は結構広く、3~4人程度は泊まることができそうである。時間があったら休みたい頃合いだったが、すでに3時近くになっており、計画していたより1時間ほど遅れている。写真だけ撮らせていただいた。

寿康康寿庵を過ぎてしばらく行くとへんろ道は幹線道路と合流し、車通りが多くなる。それと、遍路地図ではよく分からないのだが結構な登り坂なのである。工事現場の資材置き場のような無愛想な景色の場所を抜け、峠のようなところで道が左右に分かれる。右に坂を下って行くと右下方に集落が見えてくる。真念「道指南」にも書かれている沼江(ぬえ)である。

このあたりで、前回遠征の井戸寺以来のお接待をいただいた。へんろ道でお遍路の方々に手作りの品をお接待されていた女性で、手作りのティッシュケースにティッシュが入っていた。帰ってから奥さんが見て、きっと着なくなった和服で作ったんだろうということだった。ありがたいことである。

山の中を曲がりながら下りて行く舗装道路を勝浦川まで下ったところに、ローソンが現れた。コンビニだけでなく、商店も自販機もほとんどない立江寺からの1時間であった。数少ないコンビニだけに、午後3時半という中途半端な時間にもかかわらず駐車場は満杯である。

翌日に備えて、1リットルのペットボトルや非常食のゼリー、菓子パンを購入。背中のリュックに詰めるのが面倒だったので、コンビニ袋を手に道の駅まで残り4kmを歩く。途中から道が細くなり、すぐ横を車が飛ばして行くので歩きにくかったが、勝浦川に沿ってほとんど平らな道なので、4時半前に道の駅に着くことができた。


立江寺からもとの道に戻り、沼江(ぬえ)に向かう。4kmほどは平坦な田園地帯で、道路の橋脚を作っていました。


有名な善根宿「寿康康寿庵」。沼江への登り坂の前にある。里山再生事業本部との表札も掲げられており、中には流しや布団が備えられている。


立江寺から6.4km、鶴林寺の途中にある唯一のコンビニ、ローソン。ここで水などを仕入れたが、道の駅のあたりでも大丈夫だった。

「ふれあいの里さかもと」は、遍路界において有名な宿である。廃校となった坂本小学校の校舎を再利用して運営されている施設で、設立から14年目になるそうだ。

この時間、道の駅で送迎していただいたのは私ともうお一人、60代の単独行の男性であった。この日は徳島の少し前、佐古に泊まったということなので、私よりも少し前を歩かれていたのだろう。お住まいは東北で、夜行バスで徳島に入り、一番霊山寺からここまで歩かれたそうである。

迎えに来てくださった男性が「せっかくだから、お雛様を見て行きませんか」と薦めてくれて、県道を少し先に進み坂本の集落に入った。車1台やっと通れるくらいの幅でかなりの起伏がある道の両側に民家が並んでおり、その軒先ごとに7段飾りのお雛様が飾られていたのであった。

よく見ると、お内裏様が二人いたり、お雛様が二人いたり、三人官女が5、6人いたりする。全国から送られてきた雛人形を2月の下旬から3月いっぱい、こうして飾っているということである。(後から「ふれあいの里さかもと」に行くと、校舎の階段に十数段飾りのお雛様もあった)

もちろんそのこと自体驚きなのだが、もっと驚いたのは、お雛様を飾っている道の両側の家々はいまやほとんどが空き家であり、住んでいるのは十軒に一軒もないということであった。だから、これらのお雛様は期間中このまま外に飾られているということである。雨が当たらないよう工夫はされているものの、やはり傷むのも早いそうだ。

お雛様を飾る数十軒の集落を抜けて、窪地に向けて坂を下って行くと「ふれあいの里さかもと」に着く。校舎自体は鉄筋の4階建てで、使用中の施設でもあることからそんなに古いという感じはしない。「改築して間もなく廃校になっちゃったからね」ということである。校庭はそれほど広くはなく、当時も生徒数は多くはなかったんだろうと思われた。

入口は当時の昇降口で、「坂本小学校」の金属製のプレートがそのまま掲げられている。入ると受付で、右に休憩スペース、多少のお土産品が置かれている。受付時に、洗濯機・乾燥機、浴衣、バスタオル等の使用の有無と、翌日に持っていくおにぎりの数を聞かれる。よく知られるように、翌日の鶴林寺・太龍寺周辺では、お昼を食べるような食堂もないし、売っているお店もないのである。

洗濯機・乾燥機は200円、コインを入れるのではなく受付で支払う。さっそく2Fの洗濯室に行くと、100円玉を入れる機械ではなく、普通の洗濯機・乾燥機と洗剤が置いてあった。「△△様からの寄贈」と書いてあったので、どなたかのご好意によるものであろう。ありがたいことである。洗濯機にその日の衣装を入れて、お風呂場に向かう。お風呂は1階の奥まったところにあり、私が泊まるひとり部屋はお風呂場の前であった。

このお風呂がまた、きれいなお風呂であった。築十数年とは思えないくらいきれいにお手入れされていて、浴槽は7、8人はいっぺんに入れるくらい広く、カランは6つほどあった。

この日の歩きは基本的に平らなところが多かったとはいえ、4時起きで朝一番の飛行機に乗り、徳島駅前から約20kmを歩いてきたので、お風呂が何よりのご馳走であった。湯船の中で足の裏やふくらはぎ、太ももをマッサージする。手足を思い切り伸ばせるのは、ビジネスホテルでは味わえない快感である。

お風呂を出ると2階に上がって洗濯物を乾燥機に移し、ちょうど夕飯の時間となった。あゆの塩焼き、こんにゃくのお刺身、野菜のてんぷら、野菜の煮物といった心づくしのメニューで、ぜいたくな夕食とはまた違った味わいがあった。連日、旅館・民宿に泊まっているお遍路さんにとって、胃にやさしい夕飯だと思う。ただし、生ビールはない。

乾燥機が終わるまでまだ時間がかかったので、受付横に置いてあった1袋100円のみかんを買う。これがまた8つも入っていて安くておいしい。そして受付周辺では無線LANも通じていて、メールチェックや翌日の気象情報などを見ることができたのはありがたかった。

朝が早かったので、乾燥機が仕上がったところで翌日の準備をし、9時前には消灯した。


廃校となった坂本小学校跡に作られた「ふれあいの里さかもと」。この日はお遍路さん5人の他、農業実習の団体さんが入っていました。


内装は至って普通の宿泊施設。1階に私の泊った1部屋とお風呂、写真の廊下、突き当たりを左に入ると食堂。


ふれあいの里さかもとの夕食。ちょっと量が少なかったか?

翌日の朝ごはんは6時半、出発は7時。時間がないので5時半頃には起きて支度をあらかた済ませ、着替えてから朝食会場に行った。朝ごはんは賽の目に切ったお芋の入った朝粥、あじの干物、卵焼き、サラダである。朝粥は胃にやさしく、足りなければ白いご飯もおかわりできる。

お遍路組は前日送迎車でご一緒だった方の他に三人いて、合計5名。うち4名が朝一番で鶴林寺に向かった。私は迎えに来ていただいた道の駅に送っていただくことにしたが、他の方は派出所前で下りて鶴林寺まで直登するコースをとった。道の駅で装備を点検して、7時25分に出発。いよいよこれから第二・第三の遍路ころがしである。

(後の話になるが、鶴林寺で追いついて追い越し、私が太龍寺を出る時に上がって来られたから、この日は平等寺の山茶花に泊まられたのだろう)

道の駅からしばらくは勝浦川の支流に沿った集落の中の道を進む。「四国遍路道指南」では、立江寺の後、取星寺、星谷岩屋寺、慈眼寺をお参りした後に鶴林寺に登っているのでこの間の記事が多くなっていて、「鶴林寺に直に行く時は もり村」とある。この「もり村」の現在の名前が「生名(いくな)」であり、ちょうど「民宿金子や」のあたりがその中心であったらしい。金子やを過ぎると道は徐々に登り坂となる。

この傾斜が舗装道路なのにかなりきつくて、オートバイだとひっくり返ってしまうのではないかと思われるくらい、標高をどんどん上げる。10分もしない間に、集落は数十m下になってしまった。

すでに大汗をかいてしまっているので、着ていた薄手のダウン(なんたって2月である)を脱ごうと思っていたらちょうど萱葺きの休憩小屋が現れた。ありがたく休ませていただいたのだが、なんとこの休憩小屋に、ウィスキーの空き瓶と、袋に大量に入れられたゴミが置きっぱなしになっていたのには驚いた。

察するところ、ここで野宿した「職業」お遍路が置きっぱなしにしておいたのだろう。この萱葺きお遍路小屋は、一部のWEB記事では善根宿にあげられている。とはいえ、平地にある善根宿と違って、水道もトイレもないし、ゴミを捨てるような場所もない。そういう使い方ができないことは、立地条件だけみても明らかなのである。

登山を例にとれば、山頂近くの避難小屋と同じことである。急に風雨が強まったり体力的にどうしても先に進めない時にやむを得ず泊まるのであって、ゴミが出たら持って帰るのが常識である。そもそも山の場合は、営業小屋であろうが避難小屋であろうが、ゴミは持って帰るものだが(とはいえ、私が持って下りるべきものでもない)。こういうことをするから、野宿お遍路が白い目で見られるのである。

本当に信心する気持ちがあって回っているのであれば、ウィスキーの瓶などは必要ないし(寒さしのぎだとしても一本空けてしまう必要はない)、大量のゴミなど出ないはずである。どうしてもゴミが出たとして道の駅まで往復してせいぜい1時間、捨ててくる手間を惜しんでひとに迷惑をかけ、休憩所を作ってくれた人の好意を無にしてどうしようというのだろう。

萱葺き休憩所の後もきつい傾斜の舗装道路が続き、さらに20分登ってようやく「阿波遍路道」の入口になる。遍路地図にある「水呑大師」のあたりである。

真新しい説明の看板が掲げられているのは、世界遺産登録をめざす運動の一環なのだろうか。世界遺産になって騒がしくなるのは歓迎しないけれども、昨日の「ふれあいの里さかもと」周辺で人が住まなくなった集落を見てしまった後だけに、地元の人にとって過疎化対策は重要だとは思う。難しい問題である。

へんろ道の登山道に入ると、かえって傾斜が楽になったように感じられた。不思議だったのは、こうした登山道につきものである石を敷いた階段は分かるのだが、その横、道の右端に、アスファルトが50cm幅くらいにずっと敷かれていたことである。それも、平らに整えられていれば歩きやすいように緩斜面にしたのだろうなと思うのだけれど、本当に無造作に、塗りたくったと言わざるを得ないほどの様子なのであった。

最初は、車椅子の人も歩けるようにやったのかなと思ったが、とても車椅子が上がれるようには連続していない。あるいは、これは工事で余ったアスファルトで、建設会社がお接待でやったものなのかとも思ったが、それだったらもう少し丁寧に仕事した方がいいのにと思った。

そんなことを考えながら登って行くとほどなく林道と合流してベンチが置かれている。このあたりでは、時折木々の間からはるか下に出発した生名の集落が、さらに勝浦川へと景色が広がる。やがて石畳の道になるとほどなく鶴林寺の山門が見えてくる。道の駅から1時間半、阿波遍路道入口から1時間、9時前に鶴林寺に到着した。


道の駅まで送っていただき、生名集落の中を通って鶴林寺へ向かう。


登る途中にあった萱葺き休憩小屋。せっかくいい雰囲気なのに、野宿お遍路と思われるウィスキー瓶やゴミが放置されている。こういうことだから野宿は嫌がられるのだ。


阿波遍路道が始まる。正直なところ、ここまで登る普通の舗装道路の方がきつかった。

霊鷲山鶴林寺(りょうじゅさん・かくりんじ)。四国遍路道指南等では、弘法大師がこの寺で修行していたとき鶴が地蔵菩薩を守護していたことが由来と伝えているが、実は「霊鷲山」も「鶴林」も釈迦(ゴータマ・シッタータ)関連の言葉である。霊鷲山は釈迦が説法をした地の名前だし、鶴林は釈迦の入滅を悲しんだ沙羅双樹が枯れて白くなったことを形容した言葉である。

ご本尊は鶴が守っていたという地蔵菩薩である。山門を入るとかなり大きな庫裏までまっすぐ道が続いていて、右手の斜面には苔が生え揃ってみごとである。この鶴林寺では昔、宿坊も経営していたらしいが、現在ではやっていない。あるいは大きな庫裏は、宿坊の名残りなのかもしれない。

庫裏につながる参道の中央から右に長い石段が伸びていて、本堂エリアにはここを登らなくてはならない。ここまで1時間半登ってきて、ほっとしたところで最後の登りはきつい。何とか登り切ると、本堂エリアは結構な混みようだ。今朝まで「ふれあいの里さかもと」で一緒だった人達もいた。

ここの名物は、「狛犬」ならぬ「狛鶴」である。向かって右の鶴は大きく嘴を開いて「阿形」、左の鶴は嘴を閉じて「吽形」である。おそらく、日本中でここにしかない。前後左右から狛鶴を眺めながら息を整え、本日はじめての読経。それほど広くないし混んでいたので、すぐに階段を下りて大師堂に向かった。

焼山寺でも思ったのだけれど、この鶴林寺も、寺自体は街中にある寺とほとんど変わらず、山の上にあるとは思えないくらいである。おそらく、寺域を取り囲んでいる樹木を取り払えばはるか下まで景色が広がるのだろうが、木にさえぎられて外の景色が見えないので街中と変わらない。

大師堂での読経を終え、この日はじめてのご朱印をいただいて時刻は9時10分。次の札所である太龍寺への道は、登ってきた道から90度方向を変えて南に下りる。道はすぐに見つかって、どんどん高度を下げて行く。

さて、この日の泊まりは阿南駅前のビジネスホテルである。平等寺まで打って、2km先の新野(あらたの)か、さらに3km先の阿波福井でJRに乗って阿南まで戻らなければならない。問題は時間で、新野発4時半を逃すと、次は2時間後の6時半なのである。

したがって、平等寺を4時に出れば4時半新野発にぎりぎり間に合う可能性があるが、それより遅くなると6時半まで待たなければならない。ならば駅で待つよりあと3km歩いて阿波福井というのが時間を無駄にしない方法だろう。いずれにしても3時半頃に平等寺に着けるかどうか。逆算すると、太龍寺を12時、阿瀬比を2時に通過できるかどうかが新野か阿波福井かを左右するポイントとなるのであった。

逆に、もう一つの可能性として、太龍寺突破に予想外に時間がかかってしまい、平等寺に5時までに入れなかったらどうしようという問題もある。5時までに着かないとご朱印がいただけないので、翌朝阿南を出て再び平等寺に戻ってそこから薬王寺ということになり、たいへんな遠回りとなる。つまり、遅くとも太龍寺を午後1時、阿瀬比を3時に通過しないと、大変なトラブルになってしまう。

これから太龍寺まで距離的には6.7km。標高差で400m下って400m登る難コースである。目標としては12時、遅くとも1時までには太龍寺を通過しなくてはならないのだが、さてどうなるか。

[ 行程 ]立江寺 14:15 →(6.4km) 15:30 沼江ローソン 15:35 →(3.5km) 16:25 道の駅勝浦 16:45 →(送迎) 17:00 ふれあいの里さかもと[泊] 7:00→(送迎) 7:20 道の駅勝浦 7:25 →(3.7km) 8:50 二十番鶴林寺 9:10 →


登ること1時間半、鶴林寺の正門が見えてきた。


境内には何ともいえない苔が。正面見えるのは大師堂。


本堂へはさらに急な石段を登らなければならない。登ったところに例の「狛鶴」がいる。

[Aug 27, 2016]