010 マスコミの責任と求められる見識 ~350万年前の子供の化石報道 [Sep 25 ,2006]

しばらく前に、≪ゴッドハンド≫F氏による旧石器時代の出土品捏造という事件があった。在野の愛好家からわが国トップクラスの研究家といわれるに至ったF氏の研究成果のほとんどすべてが、あたかも出土したように装った偽装であったという事件である。この事件、確かに本人が一番悪いのだが、それをあおった要因の一つがマスコミによる過剰な取り上げであったと思っている(皮肉なことに現場を押さえたのも毎日新聞の張り込みだったのだが)。

古代史とか人類史といった遠い過去の研究は一朝一夕に成るものではない。仮説は度重なる検証を受けてはじめて定説となりうる。新発見などというものはそう簡単にできるものではなく、多くの場合は一つの仮説が立てられただけのことにすぎない。ふだん歴史とか考古学に触れる機会の少ない読者に情報を提供する立場にあるマスコミは、そうした点に留意しつつ、読者に誤解を与えないような記事を書くべきであり、記者にはその前提となる見識が求められると思っている。

何のことを言っているのかというと、9月21日の読売新聞に載った「350万年前の子供の化石、発見」という記事である。この見出しを見た読者が何を想像するかというと、「350万年前に人間がいたのか」「しかも子供の化石というのは珍しい」「なるほどこれは大発見なのだろう」ということなのだろう。

全くのミスリードである。これを書いた記者には、人類学に関する見識もなければ、記事を読むことにより読者に知識を得てもらいたい、人類の歴史に興味を持ってもらいたいという志が全くない。テレビの視聴率と同じく瞬間的に他人の関心が得られればそれでいいという考えが見え隠れする。

ちなみに、350万年前というのが正しいのかどうかもこれから検証されることになるのだが、それ以前に、350万年前にいたとされるのは「人間の」子供ではない。現人類とすでに滅びてしまった人類に近い種族の共通の祖先の、そのまたチンパンジーと分かれた直後の種族なのである。道具や火を使ったとされるペキン原人やジャワ原人がせいぜい100万年前、ミトコンドリア分析により現在生きているすべての人類の共通の祖先であるひとりの女性がいたとされるのが20万年前だから、それよりはるか昔のことである。

もちろんこの化石の分析により、現人類とすでに滅びてしまった人類に近い種族がどこでどう分かれたのか(いわゆるミッシング・リンクの問題)の研究には大いに役立つことが期待されるが、あたかも人間の子供の化石が、それも350万年前のものが発見されたかのようなニュースにすることは、視聴率獲得以外には何のプラスにもならない。いずれにせよひとつの仮説が提出され、これからそれが検証の過程に入るという前提を省略して大発見と大騒ぎする感覚は、第二、第三の≪ゴッドハンド≫を生む素地となりかねない。

わが国のマスコミは、近畿で新しい遺跡が発掘されるたびに「卑弥呼の遺跡か?」と大騒ぎするのだが、これも同様である。魏志倭人伝(及び前後の歴史書)を常識的に読む限り、邪馬台国は九州以外ではありえないのだから、近畿は近畿文明圏として紹介すればいいだけのことである。

誰が目的地を説明するのに、「東京からJR総武快速線に乗って△△駅まで行き、駅前からバスに乗って○○で下り、2つめの信号を左に折れてコンビニの角を右に折れたところにあるマンションから車で5時間」なんて道案内をするか、という話である(魏志倭人伝はそう読まないと邪馬台国が近畿にはならない)。

[Sep 25, 2006]