231 番外霊場鯖大師 [Oct 12, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

遂に定年前に退職することができて、これからのお遍路は日程の心配がなくなる。そもそもお遍路を思い立ったのは「禊ぎ」という意味であったから、これまでのサラリーマン生活を省みて身を慎むという意味で、本来の趣旨でお遍路をすることができる。ありがたいことである。

前回まで4回の区切り打ちで、阿波の国・徳島県は二十三番薬王寺まで打ち終わり、JR牟岐駅まで歩いて来た。だから今回は、いよいよ室戸岬から土佐に抜けるコースになる。よじ登ったとされる阿波・太龍嶽と並ぶ空海の修行地、室戸の海である。

退職してしばらくは、それなりに片づけなくてはならない雑務もあり、そもそも暑くて、歩くにはあまり向かない季節であった。秋になると歩くにはいい季節だが、今度はNFLが始まって長いこと家を空けたくない。ということで、9泊10日の計画を立てた。これならば、1週だけ録画すれば翌週にはLIVEで見ることができる。

いずれにしても、これまでの最高3泊4日が3倍になる訳であるから、きちんと準備する必要がある。本来であれば予行演習を兼ねて山に行きたかったのだけれど、2016年9月はやたらと雨が多くて難しかった。仕方がないので山歩きの代わりに、家の周りを13km、8km、16kmと歩いた。自然が残る千葉ニュータウンに住んでいてよかったところである。

そして、この予行演習の後、なぜか体が甘いものを要求するのである。思えば、昔マラソンをしていた時にカーボローディングという言葉があった。体力を使うマラソンの前には、炭水化物を摂取して体内にグリコーゲンを貯蔵する方法である。まあ、スポーツ選手ではないのでそこまで徹底する必要はないが、体力を温存することは大切だろう。

今回の長丁場にあたり、荷物をどうするかいろいろ考えた。何と言っても不安なのは、洗濯が定期的にできるかということである。後半戦はビジネスホテルなのでコインランドリーはあるだろうが、前半は宿坊・民宿中心なのでできるかどうか分からない。そこで、当日着て行くものの他に、着替えを2セット用意した。

となると、雨具や緊急用キット、宿で着る普段着・下着、iPAD、手持ちの洗面用品や諸々考えると35リットルのリュックには入り切らない。リュックの重さ自体が500g重くなるけれども、45リットルのリュックで行くことにした。

主な装備品は以下のとおりである。

① リュック45リットル (中味)遍路白衣2セット、速乾シャツ、CW-X、靴下2、下着2、Tシャツ、トレーナー、リカバリーウェア(寝間着兼)、登山用緊急セット(ヘッドランプ、ツェルト、テーピングテープ、ロープ等)、折りたたみ傘、モンベル登山用レインウェア上下、折りたたみデイパック、iPAD、洗面用品・薬品類、充電器、タオル予備、ビニール袋

② お遍路バック  (中味)納経帳、数珠、輪袈裟、経本、納札入れ、サングラス、遍路地図・時刻表コピー、予備バッテリー・乾電池

③ 身に着けたもの 登山用長袖上下、速乾下着上下、靴下、ウォーキングシューズ、帽子、メガネ、タオル、携帯(カメラ兼)、ガーミンGPS、財布、小銭入れ

出発前にリュックの総重量を量ったところ8.5kgだった。かさばる割に衣服が中心だから、それほどでもない。お遍路中は水と食料が加わるけれども、それでも10kgくらい。登山では10kgより重くなければほとんど影響がないので、おそらく大丈夫だろう。荷物を預けてデイパックで歩けば2~3kgですみ、これなら登り坂でバテることもなさそうだ。

今回のお遍路、前の週に阿蘇山が大噴火して噴煙が1万メートル以上におよび、四国でも広範囲に降灰があったというニュースが流れた。急いで荷物の中にマスクを準備して入れた。また、2、3日前に急に涼しくなってそれはよかったのだが、荷物から半ズボンを除き、Tシャツを減らして長袖のトレーナーを入れるなど直前になってあたふたしてしまった。

徳島空港に下り立ったのは、少しディレイして2016年10月12日の朝9時。空港バスでJR徳島駅に向かう。牟岐線の特急むろと1号は9時51分発なのでぎりぎりになったが、何とか間に合う。駅前のセブンイレブンで非常食を仕入れる。サラリーマン時代から何度も訪れた徳島だが、今回帰るときは高知からになるのでしばらく来ることはない。いろいろと感慨深い。

牟岐までは1時間と少し。徳島・小松島間は仕事の関係で何度も行き来したものだから、見慣れた風景である。そして小松島から先、車窓から立江寺は見えるし、阿南はかつて泊った街である。平等寺の後、新野から阿波福井にかけて歩いたし、日和佐には阿波最後の札所である薬王寺がある。そして日和佐から牟岐まで、ほぼ線路に並行して走る国道55号線を歩いたのだ。


牟岐の駅を出発するとまもなく、国道55号線の標示は室戸まであと66km。


八坂八浜の名前にたがわず、国道は登ったり下ったりを繰り返しつつだんだん海に近づく。

さて、牟岐から歩くと約4kmで名高い鯖大師である。この鯖大師、もともと弘法大師ではなく行基の事跡で、真念「道指南」にもその話が書かれている。

行基が行き会った馬方に鯖を分けてほしいと頼んだのを無下に断られたので、「鯖ひとつ行基にくれで駒ぞ腹病む」と唱えると、馬方の連れていた馬が七転八倒してついに倒れてしまった。驚いた馬方が大変申し訳ありませんと鯖を差し出すと、行基は「鯖ひとつ行基にくれて駒ぞ腹止む」と唱えて、馬は元通り立ち上がったという話である。「くれて」は施してくれること、「くれで」だとくれないこと、一字違うだけで逆の意味になる。

たびたび引き合いに出す五来重「四国遍路の寺」によると、戒律を重んじる行基が生臭ものの鯖を所望したというのは首をひねるところで、魚の「鯖」ではなく「飯」、つまり托鉢をしたのに何も施さなかったということだろうと推察している(「生飯」は唐時代の発音だとサンバンとなるという)。そして行基以前から、峠道で山の神に供え物をするのは不文律であり、それを怠った者に罰が当たるというのがもともとの説話だったらしい。

そういう訳で、牟岐から出発するならせっかくなので鯖大師にお参りするものだろうと思って、今回の一日目は鯖大師に泊まる計画を立てた。

しかし、朝一番で行くと昼過ぎには鯖大師に着いてしまう。それはちょっと早すぎるだろうということで、少し先まで進んでおいて、夕方に列車で戻ってくることにした。前に書いたように、歩き以外の交通機関を使ってもいいが、次の日は前日歩いたところからスタートするというのが歩き遍路のマイルールなのである。

特急むろと1号は、牟岐に11時ちょうどに着いた。身支度を整えてさっそく出発する。さて、鯖大師を通り過ぎてJRで戻ってくるのはいいが、問題は、海部まで歩くのか宍喰まで歩くのかということであった。帰りの牟岐方面列車の時刻は3時38分に宍喰、3時48分に海部である。これを逃しても40分後に次の列車があるとはいえ、鯖大師の納経時間を考えるとできるだけこの列車に乗りたい。

そうすると、持ち時間4時間半で海部ないし宍喰まで歩くということになるが、牟岐・海部間の距離は約12km、牟岐・宍喰間は約19kmと、帯に短し襷に長しという微妙な距離なのである。全コース平坦であれば4時間半で19kmは大丈夫そうだが、道中何ヵ所かの登り下りがある。ここは、「八坂々中八浜々中」と「道指南」に詠われた難所なのである。

まあ、そのあたりは歩き始めてから考えることにした。そもそも、遍路地図(この記事で遍路地図という場合、「四国遍路ひとり歩き同行二人地図編」第10版のことである)の距離表示がそれほど信用できるものではないのは、前回歩いて感じたことなのであった。(太龍寺から平等寺の道中とか)

前の週まで長雨が続いたり、10月だというのに真夏日になったり逆に冷え込んだりして心配だったが、徳島に着くと穏やかな秋晴れである。第一感は東京より5℃くらい気温が高く、厚手の服ではちょっと暑いかもしれないということであった。牟岐の駅からまっすぐ進み、商店街を右折する。すぐに国道55号線で、室戸までは基本的にこの道をまっすぐ進めばいい。

牟岐を出てすぐ、お接待のある遍路小屋があるというWEB情報で、実際に国道のトンネル前に小屋はあったのだが、誰もいなかった。どうやら、この日はお休みのようだ。一息つくには早すぎるので、そのままトンネルを進む。なんだかペースが上がらないので後ろを振り返ると、さっそく登り坂であった。

登り下りを繰り返してトンネルをいくつかくぐると、左手には海岸線が広がる。どの浜もよく似た景色に見える。「フラクタル」(注)という言葉が脳裏をよぎった。1時間ほど歩くと、右に鯖大師への道が分かれる。夕方に戻ってくることになるが、いまは先に進む。

注.フラクタルとは、単純な式を合成することにより複雑な図形が作られるという幾何学の理論。ユダヤ人の数学者マンデルブロが提唱し、コンピュータグラフィックスの基本的な理論となった。この理論によると、リアス式海岸のような複雑な地形も実は単純な動きの積み重ねにより造られ、しかもそれぞれがよく似た形となる。

牟岐から鯖瀬までの間に「逢坂、松坂、しだ坂、ふくら坂」の4坂、鯖瀬から浅川までの間に「はぎの坂、かぢや坂、あはの浦坂、からうと坂」の4坂合わせて八坂と、坂を下った八浜を称して「八坂々中八浜々中(やさかさかなか・やはまはまなか)」と呼ぶ。かつては海岸線に沿って登り下りがあった難所であり、現在ではトンネルや橋があるものの、やはり歩けばそれなりの難所である。


鯖瀬から浅川にかけての海岸。このあたりはサーフィンのメッカなので、10月なのにサーファーの姿がみられた。


鯖瀬を抜けて、大砂海岸に出る。このあたりまで来ると八坂八浜を抜けて、比較的平らな道が続くようになる。

浅川から海部までは、国道55号線を直進するルートの他に、昔の浜街道などのへんろ道ルートがあり、たびたび左右に行先表示がある。ただ、ちらっと見た限り、いきなり急坂があったり道に雑草が繁茂していたりするので、あえてそちらを通ることはしなかった。まだ先は長く、10日間体調を保たなければならないのである。

ようやく八坂八浜の区間を抜けて、JRの高架線が見えるあたりが浅川である。橋の上に無人駅があり、55号線沿いに待合室がある。歩き始めて1時間45分、ここで最初の休憩をとることにした。

10kgの負担重量は登山を考えればたいしたことはないと思っていたのだが、舗装道路の登り下りを続けるとさすがに背中に影響が出る。まだ歩き始めて1、2時間なのに肩や背中が痛い。ただ、国道のキロポストをみてラップを計ってみると、登り下りがあった割には㌔14~15分のペースを維持している。あまり長く休むとかえって疲れるので、5分休んで出発。

浅川を過ぎて次のJR駅である海南まで、最後の大きな峠がある。55号線は左右にカーブを切りながら、長い坂道となった。なかなか厳しい。しかも、日差しが強くなってきて汗がしたたり落ちる。ただ、道の左右には事務所のような建物やゴルフ練習場があって、人里離れたという感じではない。歩き遍路のためのベンチも、何ヵ所か置かれている。

坂を下りると海南の市街地で、さっそく見つけたローソンに飛び込んでペットボトルのいろはすを補充する。まだ自販機もコンビニも頻繁にあるのだが、もう少し先に進めばどうなるか分からない。

ローソンを過ぎると、周囲は開けた住宅地となり、時々飲食店もみられるようになる。ローソンから10分ほどで、道路の左手に遍路小屋が見えてきた。こちらが名高い遍路小屋第一号「香峰おへんろさん休憩所」である。せっかくなので、中で休ませていただく。

小屋の入口には水道が引いてあって、たいへん水質のいい水だという説明がある。大汗をかいた後なので、顔を洗わせていただく。その先の椅子スペースの傍らにはアイスボックスが置かれていて、お接待のオロナミンCが冷やしてある。初日から、今回のお接待第1号である。こちらもありがたくいただいた。一番奥にはトイレがあって、至れり尽くせりである。

しかし、基本的に市街地にある遍路小屋なので、仮眠・宿泊禁止と入口に書かれている。歩き遍路の人も常識的に行動してくれる人ばかりではないから、やむを得ない(鶴林寺道中の遍路小屋でゴミを放置したお遍路は忘れられない)。置いてあったノートに、お礼を一言書かせていただいた。

10分ほどゆっくりして、再びリュックを背負って出発。たいへん気持ちのいい休憩小屋で、リフレッシュした。15分ほど歩くと海部大橋。橋を越えると、ショッピングセンターのある海部の駅である。時刻はまだ午後2時。折り返しの列車が来るまで1時間半もある。

さて、この状況は計画段階で想定できたことで、その1時間半で次の駅である宍喰までの約7kmを歩けるかどうかが問題であった。ところが実際に55号線を歩いてみると、たびたびバスが往復するのとすれ違い、バス停もけっこう頻繁にある。時刻表をみると鯖瀬に帰るバスに適当な時間の便はないが、午後3時前後に宍喰駅前経由甲浦行きという便があった。

時間的に、このバスが宍喰から牟岐方面行きの列車に接続しているものと思われる。だとすれば、あと1時間ほど先に進んでこのバスに乗り、宍喰で帰りの列車に乗ればいいのではないだろうか。計画変更してドツボにはまる例は少なくないが、この場合はあまりリスクはないようである。という訳で、バス便に期待して海部から先に進むことにした。

海部駅を過ぎると、再び55号線は登り坂となる。ホテル遊遊NASAの入口のあたりまで、長い登りである。そして下りになると、目の前に海、その向こうに再び陸地という奇観が続く。那佐湾である。向かいに見える陸地は太平洋に突き出た半島になっていて、まるでカリフォルニアのようである。半島が風よけになるので、湾内は至るところ船着き場となっている。

ところが、この那佐湾に入ってとたんにペースが上がらなくなった。引き続き国道55号線なのでキロポストがあるのだが、微妙な勾配があるとはいえ㌔18分などというとんでもないペースになってしまった。できれば道の駅宍喰まで歩きたいと思っていたのだが、これはちょっと厳しそうだ。


遍路小屋第一号である海南町の遍路小屋香峰。オロナミンCのご接待があり、ありがたくいただきました。


海部大橋を越えると、この先の鉄道駅宍喰までは7kmある。並行して走っているバスに期待して先に進む。

遍路地図をみると、道の駅宍喰の約1.5km前に「走出」(翌日、バスのアナウンスを聞いたら「はせど」と読むようだ)というバス停がある。ここに午後3時ちょうどに到着したので、遠征初日はこのあたりで撤収することにした。リュックを下ろして汗をふき、落ち着いたら屈伸運動をする。バスは3時18分だったので、ちょうどいい休憩時間になった。

よく考えると、この日は朝一番の電車に乗って羽田空港に向かったので、3時半起きであった。10kg以上の荷物を背負ってすでに十数km歩いているのだから、疲れが出ておかしくはない。この日歩いた歩数は30,129歩、帰ってからGPSで測った距離は17.6kmだった。

時刻より5分ほど遅れてバスが来た。乗ってみると、道の駅の前で右折して宍喰駅に向かい、狭い駅前通りを抜けると、今度は田圃道を通るというたいへん長い道のりであったので、歩かなくてよかったと思った。帰り列車の時刻までに宍喰駅に着くのはもちろん無理だったし、道の駅でバスを待とうにも、バス停の位置が分からなかったおそれがかなり大きかった。

宍喰は無人駅ではなく、グランドレベルにちゃんと駅員さんがいる。ホームは高架の上にあるが、この階段を上がるのもかなりきつかった。5分ほど待つと甲浦発海部行き一両のワンマン列車が到着した。阿佐海岸鉄道はトンネルが多いのでイルミネーション列車が名物なのだが、この日乗ったのは小学生の絵がたくさん飾られている列車だった。これもまた地元密着でなごやかな雰囲気である。

この列車は隣の海部駅までで、向かいのホームに停まっている徳島行きに乗り換える。こちらもワンマン列車、JRなのでちゃんと広告が掲示されている。お客さんなどあまりいないと思ったのに、夕方のせいか結構席が埋まっていた。海南、浅川、鯖瀬と歩いた場所を戻る。3時57分鯖瀬着。たいそう苦労して歩いたのに、列車だとあっという間であった。

鯖瀬の駅は無人駅。高架になっていて、階段を下りるとすぐに国道55号である。下から見ると4両編成でも止まれるくらいホームが長かった。いまは1両かせいぜい2両しかないはずだが、かつてはもっと長い列車も走ったのだろうかと想像する。ホームの端の方は基礎がやや弱くなっていて、あまり頑丈ではないように見えた。

「鯖大師本坊すぐ」の案内板があり、本当に駅前すぐに寺の施設がある。広い駐車場になっていて、十二神将の守り本尊の像が納められたお堂のようだ。ここから細い道を2、3分歩いて山門まで。山門の正面に本堂がある。

さっそく本堂でお参りさせていただき、読経の後、納経所でご朱印をお願いすると「OOさんですか?」と名前を聞かれる。よく考えれば大荷物を持って夕方にお参りに来るのだから、泊まりの予約客であるのはみえみえであった。

納経所の横から宿坊である鯖大師へんろ会館に向かう。部屋数は本館・別館・新館で合わせて30あり、収容人数は150名だそうだが、この日の泊まり客は私だけであった。「少し早いですが、夕食は5時前にお出しします。お風呂は部屋のユニットバスをお使いください」とのことであった。

WEBに掲載されている大浴場を使えないのはとても残念だが、コインランドリーの順番待ちの心配がないのはたいへんありがたい。さっそく部屋で着替える。山の中なので窓を開けるのは心配だったので(虫が)、空調を入れさせていただいた。少し冷房を入れた方が気持ちいいくらい、夕方だというのにまだ暑かった。


宍喰で予定した列車に間に合って鯖瀬まで戻る。


駅から歩いて5分かからずに鯖大師本坊に到着。正面が本堂。

鯖大師、こちらでは本坊を付けて鯖大師本坊と称している。山号・寺号は八坂山八坂寺で、もちろん「八坂々中」にちなんでいる。

別格二十霊場の四番札所であるが、別格札所としてよりも、鯖大師単独でたいへん名前が通った霊場である。こちらのお大師様は、「鯖絶ち三年」といって、三年間鯖を絶てば願いをかなえてくださるという。私ならそんなに問題ないが、家の奥さんは魚好きだから大変そうだ。

さて、夕飯のお膳が来たのだが、これがまた豪華でたいへんうれしかった。1泊2食で6800円なのでそれなりかと思っていたら、カツオのたたき、野菜のてんぷら、煮しめ、ごま豆腐、茶碗蒸し、酢の物、枝豆にデザートの果物までついている。ビールは大浴場前にコインランドリーとともに自動販売機も置いてあって、洗濯するついでに調達できた。

長い距離を歩くと、なぜか夕飯にはビールを飲まないと物足りない。出発前には毎晩飲む訳にいかないだろうと思っていたのだが、歩き始めてみると毎晩飲まない訳にはいかなかったのは妙なものである。宿坊では夕飯が早いのを恐縮されていたが、何を隠そう、私は普段から夕飯は5時なのでいつもと同じなのであった。

夕飯が終わり、コインランドリーに洗濯物を取りに行って、お風呂にゆっくり入っても、まだ午後6時過ぎである。さすがにまだ眠れないので、遍路地図を見て翌日の計画を立てたり、宿坊に備え付けの法話の本をつらつら読んでいた。それでも、7時半には電気を消して寝た。

鯖大師でいちばん楽しみにしていたのは、強制参加である朝のお勤めである。以前泊った十楽寺の宿坊では、宿泊客が少なかったためお勤めがなかったので、四国では初めての朝のお勤めができると楽しみにしていた。

この日も宿泊客は私だけだったのだが、受付の時に「朝6時からお勤めがありますので、10分前にロビーに来てください」と確認されているので、たいへんうれしかった。翌朝は5時に起きて、布団をたたみ荷物の整理をした。時間にはお遍路装束の白衣に着替えて宿坊のロビーまで下りる。

ちょうどご住職が庫裏の方から来られたところだった。ご一緒して、大浴場の横から護摩堂に向かう。「この蓮の花の下には聖地の土が埋め込んでありますので、踏みながらいらしてください」ということなので、ちょっと大股になるが片脚ずつ蓮の花のタイルを踏んで進む。

すぐそこまでかと思ったのに、インドの霊場、弘法大師にちなむ中国の霊場、別格二十霊場、八十八札所、西国三十三霊場と合計百以上のタイルを踏まなくてはならなかった。帰ってから調べたら、この通路は本堂裏の山腹をくりぬいて作られた観音洞という全長88mの洞窟で、蓮華のタイルを踏むのはお砂踏みという修行だそうである。

その際、いくつかの部屋を通って行くのだが、その横にはおびただしい数の仏像や位牌が奉納されている。これは全国の信者の方々が寄進したものなのであろう。そして、直径十数mはあるだろう巨大な円形の護摩堂に出た。

ご就職は中央の護摩壇に上がり、私は指示された椅子に座る。正面にはご本尊である不動明王が鈍く青色に光っている。脇侍の二柱の仏様は誰だろう。ご不動様がご本尊のお寺に行ったことがあまりないので、よく分からない。そして護摩堂の周囲は、通路と同様におびただしい数の仏像が置かれている。

ご住職ははじめに読経した後、護摩焚きを始められた。お堂中央に、白い煙が上がる。換気をするためか、外から冷たい空気が入ってくる。前の日はあんなに暑かったのに、早朝のお堂の中は寒いくらいである。護摩木をくべながら、何々県の誰それ、何々の祈願、とひとつひとつお祈りする。最後に、私の数珠もお浄めしていただいた。

お勤めが終わり、「朝食は6時半からです」とお札を渡されて部屋に戻る。白衣から部屋着のTシャツ、リカバリーパンツに着替えて朝食会場に向かうと、なんと再びご住職がいらっしゃって「じゃ、般若心経唱えましょうか」。読経した後は朝食のあいさつを唱和して、「では、ゆっくり召し上がってください。食後の挨拶を忘れないように」。

本当に、私ひとりのためにここまでしていただいて、たいへんありがたいことであった。朝食は目玉焼き、焼き魚に切り干し大根、お漬物、ご飯、お吸い物とデザートのみかんもついていた。お膳にはお茶だけでなくインスタントコーヒーの用意もしてあって、これもまたたいへん気が利いていたことであった。

[ 行 程 ] JR牟岐駅 11:10 →(10.7km) 12:45 浅川 12:50 → (2.4km) 13:30 遍路小屋第一号香峰 13:40→(4.5km) 14:55 走出バス停 [→ 阿佐海岸鉄道宍喰駅 → JR鯖瀬 → 鯖大師本坊(泊)]


納経所の横を奥へ入って行くと、鯖大師へんろ会館がある。収容150人と大規模。さらに奥に朝のお勤めのある護摩堂がある。


たいへん豪華な夕食でした。泊り客は私ひとりでしたが、翌朝のお勤めをさせていただきました。

[Dec 24, 2016]