240 二十四番最御崎寺 [Oct 14, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

うまめの木は、室戸岬にある宿である。この日は35km以上歩いて、日が暮れてからバスに乗ってようやく着いたのだが、バス停を下りて場所が分からなくてきょろきょろしていたら、車で通りかかったご近所の方が親切に教えてくださった。

1日に3組しか宿泊できない小規模な宿だが、WEBの評判がいいし、ホームページも開いてあるので大体の様子が分かって安心である。それと、無線LANがあるのはたいへんにありがたい。そして、実際にお伺いして大変うれしかったのは、浴室とトイレがとてもきれいだったことである。

客用のトイレ・浴室は2階客室エリアにあって、オーナーの住居エリアとは完全に分離されている。着くとすぐにお風呂を沸かしていただいた。やや大きめののシステムバス(ユニットではない一般家庭用)なのだが、これがまたたっぷりのお湯で気持ちいいのである。

食堂に飾ってあった椎名誠(同郷である)の色紙が9年前の日付だったから、新築という訳ではない。それでもあれだけきれいに維持してあるというのは、非常に手入れが行き届いているということであろう。

食事はお刺身や天ぷら、煮付けなどが作った順番で出てくるので、温かいものは温かく、冷たいものは冷たい。思わず生ビールをおかわりしてしまった。前日の鯖大師に続いてこちらの泊り客も私ひとりであったが、もともと3部屋しかないのでそういうこともあるのだろう。私一人のために、おかみさんが調理してお酒のおかわりのために待機していただいていたのには恐縮した。

洗濯はお接待でやっていただける。脱水したものを部屋に持ってきてくれて、ハンガーに掛けて一晩干したら、朝にはすっかり乾いていた。食堂入口の冷蔵庫に土地の牛乳が冷やしてあって、1本100円で購入できるのもうれしい。朝食は和食・洋食を選ぶことができる。

こちらの宿はバス通りから1本海岸寄りに出た55号線沿いにあり、窓を開けると目の前はもう海である。布団に横になっても、打ち寄せる波の音が間近に聞こえる。1日よく歩いたので、本当にぐっすり眠った。

翌10月14日は6時起床。椎名まで引き返すバスの時間が午前8時過ぎなので、朝食は7時からお願いしてある。かなり時間があると思ってメールチェックとかゆっくり準備していたら、うかつなことにぎりぎりの時間になってしまった。急いで支払いを済ませてバス停に向かう。

朝になって気付いたのだが、バス停から山の方向を見上げると、大きなカーブで頂上付近から下りてくる道路がよく見える。室戸スカイラインである。最御崎寺への登りは遍路道を通るが、下りはこのスカイラインを下る。だから、ちょうど昼頃に再びこのバス停を通ることになるのだった。

バスにはすでにお遍路姿のご年配の方が乗っていて、次のバス停であるスカイライン入口で下りた。最御崎寺に向かうのであろう。ここからの乗客は私ひとりで、前日の夕方バスで通ってきた道を引き返す。椎名バス停まで10分少々。この日のスタートは8時25分。

前の日に尾崎を通り越して椎名までがんばったので、残す距離は9km少々である。これなら、弘法大師ゆかりの御蔵洞に立ち寄っても昼までには最御崎寺に登ることができそうだ。

歩き始めて間もなく、ジオパーク室戸の巨大な駐車場の前を通る。こんなに目立つ施設なのに、遍路地図には何も書いていない。帰ってから調べてみるとジオパークは室戸東中学校跡にあって、中学校の位置はきちんと載っているのである。ジオパークは安芸からのバスの終点になるほど地元では力を入れているのだから、そう書いてあげてもいいのにと思った。


「うまめの木」の朝食。夕食もたいへんおいしかったのですが、順番に出てくるのでまとめて撮った写真がないのでした。


「うまめの木」エントランス。清潔で、たいへん居心地のいい宿でした。


椎名まで引き返してスタート。前日がんばったので、あと残っているのは約9km。何重にも見えた岬も、もう一つ二つになりました。

室戸岬は足摺岬とならんで、太平洋に突き出している場所である。

おそらく、朝鮮半島や南西諸島から日本列島に入ってきた古代人たちにとって、四国の突端は地の果てに感じられたに違いない。アイヌの人たちが、知床を「シリエトク=(アイヌ語で)地の果て」と呼んだのと同様の感覚があったのだろう。室戸岬、足摺岬とも四国札所中屈指の霊場であり、さらに本州に渡って紀伊半島の先には熊野がある。

室戸、足摺、熊野は中世に補陀落渡海(*)が盛んであった土地でもある。これらの岬は太平洋に突き出ていて、行く手に島影が全くない。九州のどの岬からでも島が見える(もともと原・日本人はそこから海を渡って来た)のに、室戸・足摺岬から海の彼方には何も見えない。だから、そこに観音菩薩の浄土があると考えられたのであろう。

((*)補陀落渡海とは、南方にある観音浄土を目指し、小舟に乗り食糧もほとんど持たずに船出すること。阿弥陀如来が極楽浄土、薬師如来が瑠璃光浄土を持つのと同様、観音菩薩は補陀落浄土を持つとされる。)

そして、空海自身が「三教指帰」の中に、「土佐の海」で修行したと書いている。本当に御蔵洞(みくろど)で座禅を組んだかはともかくとして、自然の猛威を目前にして得るものがあったことは間違いない。そもそも空海という号自体が、山と海から名づけられたこともまた間違いないのである。

洞窟での修業といえば、いまから40年前、大学の哲学の授業で「人生というものは、洞窟の中からわずかに見える外の世界を覗いているようなものだ」という話を聞いた。哲学者の誰が言ったことなのか全く覚えていないのだが、そこだけ覚えているのも妙なものである。

さて、歩き始めて間もなくジオパークを通過し、左手に海岸を眺めながら進む。ジオパークはバスの周辺にもなっている施設なのに、遍路地図には載っていない。というのは、ここはもともと室戸東中学校で、そこが廃校となった跡地がジオパークなのである。遍路地図にはいまだに室戸東中学校と書いてあるが、そこにあるのはジオパークなのであった。

国道なのでキロポストがあり、歩き出しのペースは1kmを14分、13分、12分、12分と悪くない。三津漁港を抜け、海洋深層水の工場・倉庫を抜け、順調に先に進む。

ただ、不思議だったのは、そろそろあるはずのロッジ室戸岬がいつになっても出てこないことであった。通り過ぎてしまったのかと思った頃、ジオパークから1時間以上たってから、ようやく右手にロッジ室戸岬が登場した。こちらも歩き遍路によく使われる民宿であり、私も候補に入れていたのだけれど、宍喰からここまで歩くのはちょっと大変なのでバスを使ったのである。

ロッジ室戸岬を過ぎて15分ほどで山の中腹に白い巨大な像が見えてくる。青年大師像である。どうやら入場料を払うと中に入れるらしいが、あまり(というかほとんど)関心はないので写真を撮って通過する。青年大師像のすぐ先が御蔵洞(みくろど)である。

御蔵洞に来てたいへんがっかりしたのは、洞の入口の前に太い横木で柵がしてあって、入れなくなっていることであった。掲示してある注意書きを見ると、風化により落石が多く、危険防止のため立入禁止にしてあるということであった。かつては中に入って弘法大師と同じ風景を見ることができたのに、残念である。

せっかくなので般若心経を読経させていただき、柵の前から後ろを振り返る。左右の岩の間から、海と空を望むことができた。千年の昔、空海が見た景色もこれに近いものだったのだろうかと思う。「四国遍礼霊場記」には、「座ると波の音が耳に入り続け、空海は、あらゆる現象は因縁の積み重なりによって存在しているとの法理を感じた」と記されている。

御蔵洞入口の案内所に「納経行います」と書いてあって、朝早く人もあまりいないのに、年配の女性がひとり待機されていた。せっかくなので、納経させていただく。弘法大師ゆかりの旧跡であり、こうして朝早くから準備されていただいているのだから書いていただくべきものであろう。

御蔵洞から先、いよいよ海岸線は大小の岩でおおわれるようになり、遊歩道が整備されている。まさに奇観である。いきなりバスで来たらそれほど驚かないだろうが、1日かけて数十キロ歩き、サーフィンのできる砂浜から奇岩が迫る海岸まで見て来ると、まさに奇観と言うべき景色である。

そうこうしていると、右手に登山道との分岐点が現われた。ここから遍路道は55号線と別れ、最御崎寺への直登ルートをとることになる。


青年大師像。ここまで来れば、もう御蔵洞はすぐそこ。


御蔵洞は落石のため、現在は立入禁止となっている。WEBには洞の中からの写真も残っているのに。


御蔵洞前から見た室戸の海。弘法大師もこの風景を見て、名乗りを「空海」と改めたのかもしれない。

室戸山最御崎寺(むろとさん・ほつみさきじ)。最初は岬の名前なのに山号にするのは妙だと思っていたのだが、実際に来てみると結構な登り坂の上にあるので、室戸山という名前に納得した。「ほつみさき」の「みさき」はもちろん室戸岬のことである。

五来重氏「四国遍路の寺」によれば、「ほつ」は「火」のことで、護摩行をする岬の寺という意味だということである。空海が修めた虚空蔵菩薩求聞持法によると、行者は真言・行道・聖火の三つの行をしなければならない。「ほつ」の火は、その中の聖火(護摩焚き)のことを指す。

ご本尊は十二番焼山寺、二十一番太龍寺と同じく虚空蔵菩薩。このご本尊を持つということは、空海が求聞持法を修業した寺ということである。ちなみに、虚空蔵菩薩をご本尊とする札所は、焼山寺、太龍寺、最御崎寺の他にはない。

また、室戸岬周辺にある3つの寺は室戸三寺と総称され、その位置関係から「ひがしてら」「つてら」「にしてら」とも呼ばれている。ご詠歌にもそう詠われているし、納経のご朱印にもそのように書かれている。一方で真念「道指南」には最御崎寺、津照寺、金剛頂寺ときちんと書かれているので、それらの寺に通称と正式名があることは江戸時代から知られていたのであろう。

登山口から山門までは案内標示によると700mほど。標高差が150mあるので、歩くと20分くらいかかる。そろそろ着くと思われるあたりにベンチが置いてあり、もしかするとまだ半分あるのかと疑心暗鬼になるのは悩ましい。標高差100mと聞くといっぺんに登ってしまおうと思うのだが、そう簡単にいかないのは山登りと同じである。

ようやく山門に着いた。11時ちょうどである。計画よりも1時間早い。山の上にあるせいか境内はコンパクトで、本堂と大師堂が隣り合っている。他にも経堂や鐘楼などの建物が密着して建てられており、その中に古い石造りのお大師様がいらっしゃる。たいていのお寺さんではりっぱな銅像のお大師様なのだが、こうした素朴なお大師様も歴史が感じられてたいへんありがたい。

本堂・大師堂で読経し、納経所でご朱印をいただく。前回、薬王寺で押していただいてから、8ヵ月ぶりで新しいご朱印が加わった。前回から八十八札所とそれ以外はご朱印帳を分けているので、前日の鯖大師、この日の御蔵洞は新しいご朱印帳であり、最御崎寺からは一番霊山寺以来使っている八十八札所用の納経帳なのである。

納経所を出たところが少し迷うところで、左に進むと室戸岬灯台、右に進むと室戸スカイライン方面とある。せっかくなので室戸岬灯台に行ってみようと思ったけれど、境内を出て左はいきなり下り坂で、しかもかなり下らなければならないようだったので断念した。下ったら帰りは登りなのである。

右に進むと、駐車場とへんろ会館があった。こちらのへんろ会館は室戸岬ではポピュラーな遍路宿なのだが、順打ちの歩き遍路だと一日の最後に過酷な登りになるので大変だ。後から分かったのだが、逆打ちでもスカイラインを延々と登らなければならない。基本的に自動車やバスで回る人達が使う宿のようである。

駐車場から表参道を通って、スカイライン方向へ。下りはこちらから、室戸市街・津照寺に向かうことになる。

[ 行 程 ] 二十三番薬王寺 2/27 12:00  →(15.2km) 16:05 JR牟岐駅 10/12 11:10   →(17.6km) 14:55 走出(はせど)バス停  7:45   →(34.7km) 16:05 椎名バス停 8:20  →(7.2km) 10:00 御蔵洞 10:25 →(2.4km) 11:00 最御崎寺 11:25 →


いよいよ最御崎寺への遍路道。国道から右に分かれる。


これまでの舗装道路から、いきなり登山道へ。10kgのリュックが背中に重くのしかかる。


最御崎寺境内。正面が本堂、左手が大師堂。さすがに多くの人が参拝していました。

[Feb 11, 2017]