250 二十五番津照寺 [Oct 14, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

最御崎寺へは東の斜面から登ったが、西のスカイライン方向へ下りる。左右にカーブを切りつつ坂を下って行く景色は、いろいろなWEBで紹介されている壮大な景色だ。足下には太平洋に突き出た室戸岬を望み、右手に安芸そして高知へと向かう海岸線がどこまでも続いている。

ただ、歩道のあるところとないところがあるので、歩き遍路には難儀である。難儀と言えば、江戸時代には最御崎寺は女人禁制で、女性はこの道を通らずに御蔵洞から岬を回って合流しなければならなかった。山に登らないだけ体力的には楽かもしれないが、それはそれで難儀なことである。

最御崎寺の標高は165mということだが、スカイライン経由だと大回りなのでずいぶんと時間がかかる。11時25分には下り始めたのに、スカイライン入口のバス停まで下りると12時になっていた。登りが20分に対して、下りが35分である。普通こういうことはあまりない。車道を通っても登山道を通っても、たいして時間が変わらないケースがほとんどなのである。

さて、最御崎寺には食堂も売店も見当たらなかったので、ここから津照寺までの間に食べるところを探さなければならない。スカイラインから見ると、これから歩く津照寺への道は建て込んでいるので、お昼を食べるところを探すのにそんなに苦労しないのではないかと思われた。

ところが、スカイラインを下りてすぐ、バス通りにあった食堂には「準備中」の札が下がっており、その後かなり歩いても登場する気配がない。そもそも、ひと通りがほとんどない。自動販売機は一定間隔であるし、郵便局もあったのでおカネも下ろせたのだけれど、座って何か食べられそうな店がない。コンビニもない。休憩所もベンチもない。あるのは津波避難のタワーばかりである。

そういえば、日和佐の薬王寺もそうだったが、港にあるお寺は高台にあることが多い。おそらく、過去には津波や高潮による被害があったので、そうした懸念の少ない高台に寺やお墓を置いたに違いない。そんなことを考えながら歩いていると、郵便局の少し先に港があり、紀貫之上陸の地という石碑が立っていた。この港は海から水路をさかのぼって小高い丘の裏にある。きっと、台風や高波を避ける工夫なのだろう。

紀貫之の土佐日記は、貫之が土佐国司の任期を終えて帰るまでの記録であるが、土佐国府から室戸まで20日間もかかっている。当時はエンジンなどないから、順風が吹くまでじっと待たなければならなかった。円仁の「入唐求法巡礼行記」を読むと中国沿岸では人力(櫂)で船を進められたようだが、太平洋の荒波が打ち寄せる土佐では潮の流れにとてもかなわない。

20日間もかかるのなら歩けばいいと思うのは治安がいい現代の発想で、紀貫之の場合は国司からの帰任であるため、赴任地で貯めこんだ財物を持って帰る必要があった。当時は銀行もないし送金手段もないから、いちいち持って運ばなければならなかったのである。だから、土佐日記でも海賊の心配ばかりしている。海路だから船に乗ってくる海賊だけが心配なので、陸路ならば山賊・追剥ぎが自分の足で襲ってくる。数も多いので、心配の種が増えるのである。

スカイラインを下りてから旧道を歩いて来たが、紀貫之の碑の少し先で55号線に戻る。そろそろお腹がすいてきたのに、旧道にはお店の気配がなかったからである。しかし、国道に戻ったところで何もないことには変わりがなかった。仕方なく、廃校となった室戸岬中学校の前で、リュックを下ろして一息つく。もう午後1時である。最御崎寺から1時間半歩いたことになる。

室戸岬中学校の前から、案内表示にしたがって旧道に入る。引き続き、座る場所もない住宅街が続く。途中で「お好み焼き」と書いてあるお店があったが、そろそろ津照寺だと思いがまんして先に進む。30分ほど歩くと、再び船着き場に出た。先ほどの紀貫之上陸の地とよく似ているが、こちらの方が船が多い。

「四国遍礼霊場記」の津照寺の挿絵に真四角な港が描かれているが、その絵にたいへんよく似ている。そして、「霊場記」のとおり、港の少し先が津照寺の参道入口であった。午後1時40分到着。遍路地図には、最御崎寺・津照寺間の距離は6.5km、所要時間は1時間50分と書いてあるが、休憩時間を除いて正味1時間55分かかった。


スカイラインの上からみた室戸市街。かなり建て込んでいるので、お昼を食べるところを探すのに苦労しないと思ったのだが違った。中央海岸沿いの黄色の建物が「うまめの木」。


室戸市内の旧道。ご覧の通り自販機はあるのだが、食堂とか売店、遍路休憩所の類は見当たらない。


津照寺のすぐ近くの港。「霊場記」の挿絵にたいへんよく似ている。

宝珠山津照寺(ほうじゅさん・しんしょうじ)。室戸三寺のひとつで、真念「道指南」によれば「津寺(つてら)」とも呼ばれている。これはもちろん「津」(港)にある寺だからである。ご詠歌でも「のりのふね いるかいづるかこのつてら」と詠まれている。山号の宝珠とは本尊・地蔵菩薩のシンボルである如意宝珠から採られたものである。

津寺というくらいで、山を下ると津、つまり港である。室津川の河口にあたるこの地は古くから港であったところで、現在でも室津港がおかれている。「道指南」にも「霊場記」にも、室戸岬は港の普請が立派だという記事が載っている。霊場記の挿絵には、津照寺の足下に真四角に石組みされた港が描かれている。

たびたび引き合いに出す五来重「四国遍路の寺」によると、東寺と西寺はもともとセットで弘法大師由来の霊場であり、津寺は別系統の海上安全の神様だったのではないかと考察している。確かに、最御崎寺と金剛頂寺は山の上に本堂があり、麓の海岸に洞窟などがあって修行場としての構成をとどめているのに対し、津照寺は港の高台にあり多くの堂宇を有するスペースはない。

東寺・西寺は女人禁制の伝統があるが、津寺はそうではない。ご本尊も衆生救済の地蔵菩薩であり、空海の修業した寺というよりも、海上安全を主眼とした寺にふさわしい。現在の本堂も鉄筋コンクリート造で、札所の建築としては珍しい。もちろん、海辺に近く風も強いので伝統建築では持たないということはあるのだが、なんとなく異質な印象を受ける。

さて、最御崎寺から2時間以上かかって、津照寺の門前に着いたのが1時40分すぎ。宍喰以来久々に見るにぎやかな商店街である。目に留まったのが角にある「遍路の駅 夫婦善哉」、売店と食堂を兼ねている。お昼には遅い時間だったが、聞いてみるとまだ食事はやっているとのことで、ざるうどんと天ぷら(四国で天ぷらといえば、さつま揚げのこと)を注文する。

お腹が落ち着いた後、津照寺に向かう。参道は「夫婦善哉」の先で、細い道が急な石段へと続いている。手すりが中央にしかないので、登りの人と下りの人で取り合いになる。傾斜が急なので、すごく危ない。

百段くらい登ったところが踊り場になっていて、そこから右に90度折れさらに登ると本堂である。本堂は山の上のごく狭いスペースにあって、あまり大人数が一緒にお参りできない。一番後ろまで下がっても、鉄筋コンクリート造の本堂全体を写真に収めることができないくらいの狭さである。しかし、景色はいい。はるか下に海までの景色が望めるのは、「四国遍礼霊場記」の挿絵どおりである。

本堂で読経した後は石段を下りて、グラウンドレベルにある大師堂と納経所へと向かう。こちらもあまり広くはなくて、大師堂で読経している人達の前を通らないと納経所への出入りができない。

帰る時に、再び「夫婦善哉」に寄ってアイスクリームを買った。暑くなって冷たいものが欲しくなったことがひとつと、さきほどのざるうどんがいまひとつしっくりこなかったからである。ただこれは、うどんに問題があったのではなく、私の味覚がおかしくなっていたことが原因らしいことがあと数日で判明するのであった。

[ 行程 ] 最御崎寺 11:25 →(1.7km) 12:05 スカイライン入口 12:05 →(3.2km) 13:00 室戸岬中学校跡 13:05 →(1.7km) 13:40 津照寺 14:20 →


角のお店が「遍路の駅 夫婦善哉」。どら焼きが名物とのこと。中に食堂と売店があり、仕出しもやっているようだ。宍喰以来の品揃え。


津照寺本堂までの石段は大変急傾斜で、しかも手すりが中央の1本しかない。上の踊り場から90度折れて本堂に上がる。


津照寺の鉄筋コンクリート造の本堂。スペースがせまくて、一番後ろまで下がっても全体を写真に収めることができない。

[Feb 25, 2017]