003 マダムYの素敵な午後

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

マダムYがいつものように素敵な午後、つまり借りてきたDVDを見ながらソファに寝転がってうとうとしているお昼寝前のひとときを平和に過ごしていると、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。前の家の奥さんかしら、とインターホンの画面を見ると、全く知らないおばさんである。マダムYは受話器を取りながら、ため息をつく。

「はい?」
「あの、わたくし二丁目に住んでおりますF原と申しますが」
「なんのご用件でしょうか」
「もしお時間がございましたら、聖書についてお話させていただければと思うのですが」

そらきた。この時間に知らない人が尋ねてきたら、学問協会か帝国公館か、そうでなければ新聞の勧誘に決まっている。このあたりは働いている奥さんが少なくないので、専業主婦で昼過ぎに家にいるというのはそれほど多くはない。だから宗教も新聞も、もれなくマダムYのところに来ることになっているのであった。

ときどき平日なのに休んでしまう亭主がいると、たいへんな剣幕でインターホンを叩き切ってしまうのであるが、そんなことをして変に逆恨みされゴミでも捨てられたら嫌だし、お気に入りのアオハダに悪さでもされたら大変である。だからマダムYはそういう時ことさらおだやかに応対することにしている。

「せっかくなんですけど、これから出掛けなければいけないので、今日はちょっと時間がないんですが(明日もないけどね)。」
「そうでございますか。お忙しいところお時間をさいていただき、ありがとうございました。」

カメラがあることを知っているのかいないのか、ご丁寧にお辞儀をして去っていくおばさんを見ながら、マダムYはカーテンが開いていないか素早くチェックした。昼寝をしているのがバレたら、引き返してくるかもしれない。聖書ということは帝国公館である。この暑い中ご苦労様なことであるが、蝶ネクタイをした子供を連れていないだけ今日はましである。あれを見るたび、こんなことするより遊びたいだろうにとマダムYは自分のことのように頭にくるのである。

マダムYは聖書にも南無なんとかにも全く興味はない。世の中に神も仏もなく、頼れるのは自分ひとりというのがマダムYの信条である。そういえば、今日の昼はエルウェイのホームパーティーだったし、とマダムYは思い出す。今日はそういう日なのかもしれない。

同級生のお母さんから昼食会のお誘いがあって、と三丁目のN田さんから聞いたのは先週である。N田さんとは娘が中学校の同級生というお付き合いで、マダムYの娘はもうかなり前に卒業しているのだが、N田さんにはまだ下の兄弟がいるのである。新興住宅地では、ご近所のお付き合いと学校のお付き合いは避けて通れないのであった。

N田さんとは娘の卒業後も親しいが、N田さんの同級生のお母さんというのは知らない人である。
「私知らない家だしなあ。」
「それは大丈夫なんだって。たくさんお昼作るから、なるべく多い方がいいんだって。」

仲良しの奥さん方が集まって一緒にお昼というのはそれほど珍しいことではない。でもそういう場合は、”持ち寄り”が基本である。ご飯の余っている家はチャーハンとか、パンの余っている家はサンドイッチとか、野菜がちょこちょこ余っている家はサラダとか、あるいはコンビニで適当なお菓子を持って集まり、順番に場所を提供してお昼から夕方までしゃべりまくるのである。

ところがこの集まりは場所も提供するしお昼も用意するというのである。なんか怪しい。若い頃はタダでご飯を食べさせてくれるならどこにでも付いていったマダムYであるが、結婚してから亭主に「タダ飯を食わせるのは何かたくらんでいるからだ」と繰り返し言われている。いつも半分寝ているのだが、ワイドショーでも何かやっていたような気がする。

「ご飯食べるのはいいんだけど、その後で何万円もする鍋を買わされたりしない?」
「私もそのお母さんのことあんまり知らないんだけど、大丈夫じゃない?」
ダイヤモンドとかサファイヤとか言い出したら絶対エルウェイなんだから、すぐに帰らなきゃダメだよ。」
「そうねえ。そんな高いもの買わされちゃうのは嫌だものねえ。」

その家に行ったのがこの日のお昼であった。12人のお客さんの中で面識があるのはN田さんだけである。”持ち寄り”とは明らかに違うお昼をごちそうになった後に、その家の奥さんが言い出した。
「おいしいでしょう、これ。このお鍋だと、油を引かなくてもお料理できるの。」

うわ、やっぱりエルウェイだ。1セット買うと5万円だが、10セットだと40万円だかで、100セット買うとプレミアム会員になって子会員を作るとその人の分もカウントされて販売額の10%が戻ってくるのでそれが何十人分になると最初買ったおカネが全額戻ってくる、とかの話をいいかげんに聞いたマダムYは、切りのいいところで、N田さんをつついた。

「あ、今日幼稚園のお迎えお昼過ぎてすぐだった。すみませんごちそーさまでしたー。」

あくまでにこやかにマダムYは席を立った。下の娘の成人式は一昨年だったのだが、N田さん以外にマダムYの家族構成を知る人はいない。小学校と中学校はこの地区に一つしかないが、幼稚園は5つあってその中から選ぶのでもし幼稚園のお母さんがいてもばれないし、マダムYくらいの年格好で幼稚園の子供がいる家はいまやちっとも珍しくないのである。

うまいこと言って一緒に逃げてきたN田さんと「いやーねー」と言いながら、この家のお母さんには近づかないようにしようとマダムYは思った。心がけとしては大変いいことなのだが、実はマダムYがこういうホームパーティー商法を知ったのはエルウェイ被害の実態とかそういう番組を見たからではなかった。それは中居クンと小林薫が出ている、「ナニワ金融道」なのである。

ソファの上でマダムYは目を覚ました。帝国公館の勧誘をやり過ごしてほっとしていたら、また眠ってしまったようだ。何やら電話が鳴っているようなので、仕方なく起きて受話器のほうへと向かう。

「はい?」
「もしもし、こちら○○消防署ですが、消火器の点検にお伺いしたいのですが」
「消火器ですか~?ほんとに消防署?」
「本当に消防署です。よろしければ、いまからお伺いします」

マダムYの住んでいるニュータウンは、結構こういうことにうるさいのである。各住宅は必ず消火器を備え付けることになっているし、言われてみると使用期限を過ぎた消火器は取り替えてくださいという回覧板が回ってきていたような気もする。しかしそうはいっても、「消防署の方から来ました」と言って消火器を売りつけるインチキがはやっているとTVで聞いたような覚えもある。マダムYは何よりもTVで聞いたことを信用するのである。

亭主は一日家にいるのは楽なようなことを言うのだが、こんなにいろいろなことがあるんだから・・・とマダムYは思う。会社に行って適当に仕事してあとはインターネットしている人にどうこう言われたくない。そうそうお庭に水も撒かなきゃ、とベランダから外に出る。くるくるとホースを伸ばして、南側の庭から水撒きを始める。夏だから、毎日水をあげないと木も花も枯れてしまう。

今年は夕立ちが少ないので、ほとんど毎日水撒きをしなければならない。別にどうでもいいけど、水道代が高いと亭主からぐずぐず言われるのは嫌だなあとマダムYは思う。でもエアコンはいつもの年ほど使ってないし、そう言われたら「あんたの大好きな芝生が枯れてもいいわけ!」と逆ギレしてしまおうと思いながら、玄関のある西側にホースを持って歩いていく。

すると、不意に目の前が真っ赤になってしまう。あらいやだ。亭主と空想口喧嘩をしていたら血圧が上がりすぎたのかもしれない。しかしよく見ると、巨大な赤いものがいつの間にかマダムYの前に立ちはだかっているのであった。

「どうも~」
その巨大なものの上の方から、中年の男が下りてきた。そう、まさに消防自動車に乗って、消防署から消火器の点検に来たのである。身長150cmのマダムYにとって、消防自動車はとてつもなくでかいのであった。

し、しょうぼう自動車で来たんですか?
「いえ、実はですね。最近消防署から来たと言っても信用してもらえないんで、空いている時はこれに乗ってくるんですよ。救急車の方が場所とらなくていいんですが、前に救急車で行ったらすごく怒られたことがあって。」

確かに消防自動車で来れば「消防署の方」ではなく「消防署」から来たと分かる。それに、マダムYの住んでいるニュータウンで火事が起こったことはないので、こういう時にでも動かしておかないといざという時に動かなかったりしたら困るだろう。それにしても、さすがニュータウン、人が少ない割に公共施設が整っているので優雅である。

消防署の人は消火器を点検して、期限が過ぎていたので取り替えて行った。再び消防自動車に乗って帰っていく消防署の人を見送りながら、確かに救急車で来られるのは嫌だろうなあと妙なところで納得するマダムYであった。

そういえば今日は木曜日だ。木曜日というと隣町のプールに行く日である。東京から帰ってくる亭主はひとつ前の駅で下りるので、迎えに行かなければならない。残り物で適当に夕飯を作って、時間になったので車を出す。隣町の駅までは6kmくらいある。このところ日が暮れるのが早くなったので、6時を過ぎるとあたりは真っ暗になる。

亭主に言わせると、「夏至が過ぎると昼間の時間は短くなる」のだそうだが、マダムYにとって昼間が長いか短いかは関係なく、暑いか寒いかが問題なのである。庭仕事が終わらなければ暗くなっても続けるのは平気だが、寒くなったらいつまでも外にはいられない。マダムYにとって、客観的な事実より体で感じることの方が優先されるのであった。

駅前のロータリーに車を止める。まだ電車が着くまでには少し時間がある。ここの駅前は1年前に大きなショッピングモールができて、まるで未来都市みたいに明るいと思う。引っ越してきた時は何にもなくて、駅前なのに全部立入禁止の更地だったのに。道路が広いうえロータリーにも止める場所はたくさんあり、おまけに人が少ないから全然危なくない。

駅の出口方面を見ながら、亭主が来るのを待つ。駅前が開けてきたため、ビラ配りの人が増えてきたなあと思う。ティッシュをくれるならもらってもいいのだが、パンフレットだけだとゴミになるから嫌だ。今日はやたら変なセールスに当たる日だから、亭主がキャッチセールスにつかまるかもしれないとちらっと思うが、いまのところこの駅前にはそういう人達はいないようである。

そんなことを思って見ていると、配っている女の子のスタイルがかなりいい。後ろ姿なので顔は見えないけれど、細くてウェストが締まっていて足が長い。すると、向こうから亭主が歩いてきた。そして、そのスタイルのいい女の子が差し出すパンフレットを、なにげなく受け取っている。確か、亭主はゴミになるからといってああいうものは受け取らない主義だったはずである。

あの野郎、かわいい子とそうでない子とで露骨に態度を変えるんだから、とマダムYは頭に血が上ってきた。そして、車を見つけるとこちらに向かって歩いてくるのだが、やや斜めを見ているような気がする。亭主の視線の先をたどると、ミニスカのかなりかわいい女子高生がいた。

「あー、疲れた」と言って車に乗り込む亭主に、いきなりグーパンチを見舞うマダムYであった。

[Sep 26, 2007]