012 和を乱す [Nov 1 ,2006]

昨日に引続き高校の必修科目逃れの問題について思ったことを。ちょっと書き足りなかったのは、昨年のJR西日本脱線事故とこの事件との類似性についてである。

長いこと日本の会社で働いてきて思うのは、なんで社会的なルール・規範よりも自分たちの内々のルールを優先するんだろう、ということである。以前にも書いたけれど私は転職や出向、会社合併などでそれなりにいろいろな会社の企業文化を経験してきたが、ほとんどすべての会社がそうである。

「2、3分ダイヤが乱れるのと、制限速度を超えて運転するのと、どちらをより避けるべきか」「学校としての進学成績を良くするのと、指導要領を守って必要な授業数を確保するのと、どちらを優先すべきか」なんて選択を、常識的にまともにできないのがわが国の会社社会なのである。

私は会社への帰属意識がほとんどなく、自らの身を守るためにはまず社会的なルールを守る必要がある、と思っているのであるが、「ここはこうすべきではないか」と正論を述べても多くの場合良くは思われない。

きっと、問題となった高校でも、そう主張した教師は必ずいたはずである。でも、「みんなやっているよ」「バレるわけないじゃない」「きれいごとだけじゃだめだよ」と言われておしまいである。それでもしつこく言うとどうなるか。「和を乱す」と言われてしまうのである。だから結局私は、他人とは一線を画した世渡りをしてきたけれども、それでもなんとかここまで生き延びてきた。

だからといって、世の中のルールを厳密に守ることがすべてに優先するとは思っていない。スピード違反で捕まったことは2回あるし、NHKの受信料だって支払い拒否したままである。(注.この記事のすぐ後から、ちゃんと集金に来るようになったので払っています)スピード違反の2回は東北道の鹿角(秋田県)付近と国道50号の足利(栃木)付近、ともに片側2車線の直線で晴天、他に車など全然いなくて左側車線を走っていてやられた。規制速度を多少オーバーしても全く危険はないと思われるシチュエーションである。

そういうルールまで、全部守れとは言わない。しかし、結果が深刻なものとなるルール違反(事故で大勢が危険に巻き込まれるとか、バレたら生徒が卒業できなくなるとか)かどうかは、分かるのが大人である。自分たちのコミュニティの中の利害だけを考えていると、そういうことが見えなくなる。私はそういう人間にはなりたくないと思ってきたけれども、そういう人が偉くなってしまう傾向にあるのが、残念ながらわが国の企業風土なのである。

[Nov 1, 2006]