031 丹波天平 [May 10, 2014]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

注.この記事の執筆当時、お祭り山荘と七ツ石小屋を運営されていた雲取サスケさんはしばらく前に離れられたようで、2016年から七ツ石小屋は丹波山村の経営となっています。

 

お祭り山荘を6時45分に出発、親川バス停近くの丹波天平登山口から登り始める。天気はすばらしいが、頭はがんがんするし手足は擦り傷だらけでひりひり痛む。というのは、前の晩に山荘のご主人・雲取サスケ氏の面白いお話をお伺いしているうちについつい飲みすぎてしまい、あげくはトイレに行く時につまづき、モルタルの床に激しく転んで擦ってしまったからである。

「山の前の日は飲まない」というマイルールを作ったはずなのに、何てことだと気分が沈んでしまうが、誰が悪い訳ではない自分が悪いのである。最初から急坂が続き息が上がるため、休み休み歩く。ペースが上がらないのは急坂のためなのか、二日酔いのためなのか、いずれにせよコースタイムで歩くのは難しそうな気配である。

今回、丹波天平(たばでんでいろ、と読む)を選んだのは、金曜日に休みが取れたのでせっかくだから奥の方まで行こうと思ったのと、頂上がお茶会を開けるほど広い平地になっていてお昼をとるのに最高というWEB情報があったからである。また、登山道の途中には廃村となった高畑集落跡があるので、まだ形のあるうちに見ておこうということもあった。

スイッチバックの急坂を登って行く。山側はガレた斜面で、時々それほど大きな石ではないけれども落石があって、盛大な音を立てて落ちて行く。先行する登山客でもいるのかなと思っていたら、いきなり遭遇したのは十数頭のサルの群れであった。水でも飲みに行った帰りなのか、谷から一直線に山を登って行く。

リーダーなのだろうか、一頭が私の方を見て「キーキー」と叫ぶ。威嚇しているのか、仲間に注意を促しているのか。その割に目の前数メートルを横切って行く奴もいるので、あまり人を怖がってはいないようだ。サルの群れは何組かあるらしく、その後も集落跡まで何度か見かけた。

高畑集落までの道は、傾斜はかなり急であるが地面には砂利を敷いた形跡があり、道端には一定間隔で電柱が立ち電線がつながっている。道幅は軽トラックでも難しいくらいだが、オートバイなら無理すれば何とかなりそうに思えた。江戸時代ならともかく、昭和の終わりくらいまでは人が住んでいたというから、人力以外の輸送手段はあったのだろう。

4、50分も歩いた頃、石垣など人工物の気配が濃くなり、次いで物置小屋のような廃屋が現れる。高畑集落には3軒の廃屋が残っている(2014年5月現在)が、洗濯機の残骸とともに現れる麓寄りの一軒が、WEBとかにはよく載っている。かつての姿を最も残しているのは2軒目で、玄関にはカーテンが引かれ雨戸も締められている。ところが裏に回ると所々破れて風が吹き込み、長年人の手が入っていないことをうかがわせた。

プロパンガスの容器がそのまま残され、水道のバルブ栓だけが妙に真新しい。上水を引いていると思われる塩ビ管がところどころ道の脇から見えていて、さらに山の上の方に続いているようだ。電気、ガス、水道に加えて、2軒目の玄関にはNHKのシールも貼られている。車道から数十分も奥だけど、つい最近まで普通に生活していたということである。

玄関前までの斜面もかなり急であるが、その一画に石碑と、お地蔵さん、何かの仏像が残されていた。ここの家の人達が建てたものか、あるいは集落ができた頃からあるものだろうか。ここから振り返ると目の前は、七ツ石山に続く登り尾根の稜線が広がっている。この景色があるので、ここから去りがたかったのだろうか。しばらくの間、このみごとな景色を見て休む。少し、元気になった。

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WEBにはお祭り山荘の情報がほとんど載っていないので少しだけ。

雲取お祭り山荘と七ツ石小屋は雲取サスケ氏が経営している宿泊施設である。ここで間違えてはいけないのは、七ツ石小屋と同様、お祭り山荘も基本的には山小屋であるということ。国道沿いにあるからといって、一般の民宿を想像しているとびっくりする。

丹波山村のHPにもお祭り山荘にも「民宿」と書いてあるが、基本的に山小屋であり、タオルとか浴衣、歯ブラシ等の備品はありません。また、部屋にテレビもありませんし、ポットや冷蔵庫、お茶セットもなく、何か飲み物をと思っても自動販売機がありません。

夕食や朝食はサスケ氏が自ら釣ってきた川魚や山菜の天ぷら、手打ちそばなどの心づくしのお料理でもてなして下さいますし、奥多摩周辺の山岳情報や丹波山の歴史についてのお話をお聞きすることができます。サスケ氏がおひとりでやってらっしゃるので、行き届かない点はあるかもしれませんが、そういう楽しみ方ができる方が泊まる宿だと思います。


高畑集落で唯一原型をとどめている一軒。玄関にはカーテンが引かれ、雨戸は閉じられていますが、裏に回ると方々が破れています。


高畑集落最上部の一軒は、崩壊してしまいました。がれきの下からは、一升瓶が覗いていました。ここから先水源地までは、中腹の道を登って行きます。

ところで、この丹波天平(たば・でんでいろ)の登山道は、1/25000図と実際の道とが全く違っていることで有名である。

1/25000図では、尾根に登りあげた地点から3方向に分岐して、右が高畑集落方面、左が青梅街道に下りる道で、中央を尾根伝いに丹波天平に至ることになっている。ところが、左と中央の道は現在はない。あるのかもしれないが、少なくとも分岐点に標識はなく、標識どおりに進むと登山口から高畑集落跡、後山集落跡を経由して保之瀬天平となる。

高畑集落跡の最上部に残っていた廃屋は、すでに屋根からつぶれて全壊している。その脇をすり抜けて登山道をたどる。水道の塩ビ管が続いているので、水源はもっと上にあるらしい。道は一本道で分かりやすいが、生活道とすれば大変に急である。20分ほど歩くと谷があり、水の出ているあたりに取水施設があった。ここが水源だとすると、1km近く引いていることになる。

水源を過ぎてしばらく進むと、石垣の組まれている平らな土地に出た。標識はここから左に急坂を登ることを指示している。後からGPSの記録を確認したところ、ここが後山集落跡のようだ。車道から優に1時間以上かかる。今では建物の残骸すら残っていない。高畑集落よりずっと前、おそらく昭和に入ってすぐ廃村となってようである。(参考資料:村影弥太郎の集落紀行

後山集落跡からしばらくは杉の人工林の急登で、15分ほどしてどんぐりの散らばる自然林になるとあと少しで急登は終わり、なだらかな登りの保之瀬天平になる。自然林なので植生がまばらで、稜線は数十メートルあってだだっ広い。要所には標識やテープがあって迷うことはない。むしろ、どこを歩いてもいずれ順路にたどり着けそうである。

祠が置かれている地点を過ぎると、いよいよ丹波天平への最後の急登が始まる。ここから標高差で200mほど。登山口が550m、丹波天平が1342mだから通算800mの登りの、残り4分の1である。急登はきついのだけれど、登り始めほどではないのは、お昼近くなって酒が抜けてきたからだろうか。10時半、登山口から3時間半で丹波天平に到着した。

なるほど広い。そして、誰もいない。丹波山村の共同視聴アンテナらしい鉄柱が建てられてはいるものの、トイレとかベンチとか案内板とか、余計な人工物がないのはすばらしい。ここを公園みたいに整備したら、いっぺんに汚なくなってしまうだろう。残念ながら、それが世間の実態であるからやむを得ない。ここはこれで自然のまま残しておくのがいいのだろう。

真っ平な頂上部を、お昼を食べる場所を探してしばらく進む。2、300m進んだあたりに、なだらかな斜面が広がっている地点に出たので、ここで昼食休憩とする。今日のメニューは、ロールパンとコーヒー、レトルトカレーにちょっと水を足したカレースープである。今回はEPIのガスカートリッジを持ってきたので、熱いコーヒーを飲めるのはありがたい。風もなくいい天気で、加えて他に誰もいないのは最高の気分である。


親川登山口から丹波天平までの道は、1/25000図とは全く違いますが、要所には道案内と赤テープがあるので、ほとんど迷わないと思います。


丹波天平。広々とした平らな頂上が広がっていて、お昼をたべるのにいいところです。左の鉄柱は、丹波山村の共同視聴アンテナのようでした。

ゆったり静かにお昼を食べて、ごろんと横になってしばらく休んで1時間が経過した。いま11時半。2時15分丹波発奥多摩駅行のバスを逃すと、次は2時間以上先である。そろそろ下りなければいけない時間だ。

下りルートの候補は2つ。1つはここから共聴アンテナまで戻って、南に丹波を目指すルート。もう一つはサヲウラ峠から丹波に下るルート。下山後にのめこい湯に入るのなら前者のルートが近いが、それだと早く着きすぎるかもしれない。せっかく来たのだからできるだけ歩こうということで、サヲウラ峠のルートを選んだ。

問題は、サヲウラ峠→丹波→のめこい湯と歩いて2時間で着くかどうかである。今回のルートはいわゆるバリエーションルートでコースタイムがよく分からない。一応、20分+1時間20分+20分の2時間で歩いて、45分のめこい湯滞在という計画で歩き出したのだが、もちろん、この通りにはいかなかったのである。

お昼休みで体調はよくなったし、体力も回復したのだけれど、サヲウラ峠まての道はけっこう荒れていた。1/25000図を見ると、最後のピークで60mほど登るだけであとはほぼ平坦なのでペースを上げても大丈夫とみていたのだが、ここからの道は倒木が多く、またいだり迂回したり気を使うことが続いた。サヲウラ峠に着いたのは12時。ここまで30分かかってしまった。

(ちなみに、私がサヲウラ峠に着いたのは5月10日の12時。4日に三条の湯を出て飛龍山に向かい行方不明となった登山客が無事下山したのが12日だから、ちょうどこの時間、ほとんど数km以内のところに遭難者がいたことになる。奥多摩まで下りてきたときに、捜索のチラシも見たし。

おそらく、稜線を越えて秩父側に入ったのではないかと思うが、何とか稜線まで戻って尾根を歩き、将監峠あたりから林道を下り、一ノ瀬高橋まで来て救助された。えらく西まで行ったものだが、誰とも会わなかったのだろうか。将監小屋があったのに。)

その後、某所で聞いた話によると、この一件は「??遭難」の疑いがあるのだそうだ。その根拠としては、①一ノ瀬に来た時の挙動が不自然だった。一週間も行方不明ならば民家の電話を借りて警察に連絡すればいいのに、現地の人にはあいまいなことを言って携帯での連絡にこだわったという。そして、必ずしも安定はしていないものの、雲取から将監峠までの稜線で携帯が通じるところはある。

②事情聴取に、タケノコを食べて飢えをしのいだと話したとのことだが、あのあたりにタケノコの生えているところはない。また、最初に現れたときの様子は、一週間食うや食わずでいたようには見えなかったとのこと。

③そもそも奥多摩に何回も来ている人が、三条の湯から雲取に向かうつもりで将監峠まで迷うだろうか。そして、将監小屋を素通りして一ノ瀬まで下りるだろうか。

そんな話を聞くと、なるほど追報がない訳だと納得したりします。

サヲウラ峠は、飛龍山方向、三条の湯方向との十字路になっている。このあたりで、この日初めて自分以外の登山客とすれ違った。ここから丹波へは見るからに急な下りである。例によって、安全最優先で、慎重に歩を進める。単独行なので助けてくれる人はいないのだ。でも、ときどき山側から砂が流れて登山道がなくなっているところがあったから大変である。

何しろ、体重をかけると地盤が崩れてしまう。そうなったら、そのまま10m以上は落ちてしまいそうだ。傾斜は30度ほどだし頭から落ちない限り大ケガはしなさそうだが、やっぱりペースダウン。両手両足にストックを使って3点確保しつつ、慎重に慎重に難所をクリアする。そんな場所が3、4ヵ所、それ以外にも足場が斜めっているトラバース道が続き、なかなかスピードが上がらないのは想定外であった。

30分ほど歩いと、木々の間から目指す丹波山村の屋根が遠く見える。まだ標高差で200mくらいはありそうなのであと30分では難しいが、1時過ぎには街まで下りれるのではないかと少し期待する。ところが、道は眼下に見える街とはあさっての方向に続いている。歩いても歩いても、そろそろ着きそうな景色にはならない。

1時を回り1時半も過ぎて、まだ山の中である。さすがに、のめこい湯は難しそうだとあきらめた。1時40分頃、ようやく鹿避けの柵のところまで到着。「バス停まで10分」と書いてあるしすぐ下にそれらしき建物は見えるのだけれど、ここから畑の間を大回りで下る道なので全然着かない。結局バス停に着いたのは、発車10分前のぎりぎりであった。

バス停のトイレで着替え、近くの道端にあるバルブから盛大に出ている湧き水で顔を洗わせていただく。気温が上がって日差しもきつかったので、これだけでかなり涼しく生き返った心地がした。帰って調べたら有名な湧水で、汲んで帰ればよかったと後から反省した。

奥多摩駅までは1時間のバス旅。小河内ダムの貯水量は90%を越え、鴨沢あたりまで満々と水をたたえている風景は、水不足の時期からは考えられないほど雄大なものでした。


お昼を食べたあたり。共聴アンテナからここまで数百メートルの間、ほとんど起伏はありません。


サヲウラ峠。建てられている祠は多摩川の自然を守った中川翁を記念する中川神社。丹波天平、三条の湯、飛龍山、丹波村方向のそれぞれに分かれる十字路になっています。

この日の経過
お祭り 6:45
7:00 親川登山口 7:00
7:55 高畑集落跡 8:05
8:35 後山集落跡 8:45
9:30 保之瀬天平 9:35
10:30 丹波天平(昼食休憩) 11:30
12:05 サヲウラ峠 12:10
14:05 丹波バス停
(GPS測定距離 10.7km)

[Jun 16,2014]