004 マダムYの素敵な青春

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

苦しくて仕方がない。いくら息を吸っても二酸化炭素ばかりが入ってきて、酸素がちっとも肺に届かない。水の中でもないのに、空気の層は頭の数十センチ上にある。マダムYは身長が140と少ししかないので、満員電車に乗ると人の海の中に沈んでしまうのだ。

京浜東北線はいつでも満員で、埼玉県から東京の会社に通うマダムYは毎日人にもみくちゃにされながら通勤していた。押されるのは痛いし、周りに背の高い人が来ると空気が薄くなるし、おまけにときどき勝手にひとの体をさわる不届き者までいた。息が続かず、途中の駅で下りてしまうこともよくあった。

もう限界だ、下りなくちゃと足を前に進めようとしたら、堅いものにぶつかったような音がして足が痛くなった。あれっ、と思うと、布団を下方向に水平移動して、かけぶとんで顔をぐるぐる巻きにしながら、壁を足で蹴っている自分に気がついた。マダムYは極めて寝相が悪いのである。

なんだ、夢だったのか。

マダムYが専業主婦になって、早くも25年が経とうとしている。25年といえば、100年の4分の1である。子供の小さい頃はそれなりに大変だったけれど、最近では毎日のんびりとお庭の手入れをしたりして過ごせることを、マダムYはうれしく思っている。そういえば、いまは娘が東京まで通勤しているんだからなあ。

マダムYは高校を出てすぐ、就職した。進路指導の先生が、「M銀行とS銀行、どっちにしますか?」と聞くので、どっちがどういうところかよく分からないので最初に言われた方のM銀行にしたのである。実はその2つの銀行は後に合併していまでは1つの銀行になってしまったのであるが。

当時、銀行の女子の求人は、高卒が大部分だった。なぜかというと女の子のほとんどは24歳までに結婚して退職してしまうので、22、3で大卒を入れても、仕事を覚えた頃になると辞めてしまうからである。

そして、当時の銀行の採用基準の一つとして、「未婚の女子行員は自宅通勤であること」というのがあった。だから、首都圏のはしくれである埼玉の女子高生であるマダムYにとって、1つの銀行当たり数百人、地方銀行や信用金庫まで含めた業界全体ではおそらく数万人にのぼる銀行への就職というのは、かなりありふれたものであった。

ただ、マダムYはいまも昔も世間知らずである。マダムYにとって銀行は、9時に開いて3時に閉まるヒマな仕事というイメージだったのである。おまけに近くの金融機関である農協は、おじいさんやおばあさんが用もないのに集まってきてお茶を飲んだり、たまにサービスでバス旅行に行ったりするところだったので、新人はお茶くみが仕事なのだろうとマダムYは思っていたのである。

しかし、現実はもちろん、そんなに甘いものではなかったのであった。

就職したマダムYが配属されたのは、上野杉坂屋前にあるM銀行下町支店であった。埼玉の農協とは違い、朝からひっきりなしにお客さんが来る大変忙しい職場であった。驚いたのは、3時に店が閉まっても、得意先の人たちが集金から戻ってきたり、店を閉めてからの業務があったりして、夜になってもちっとも仕事が終わらないことであった。

新人のマダムYは、「センター」という部署に割り当てられた。この部署は、本店から回ってくる入金伝票を端末機で入力してお客さんの口座に入金し、入金されたことをお客さんに電話でお知らせすることが昼の仕事であり、閉店後は総合振込や給料振込などの予約を、同様に端末機に入力することである。

ちなみに、これらの仕事は現在ほとんどが機械で自動処理されている。当時はこうやって、人の力で処理していたのであった。

「えーと、”当座”押して、”入金”押して、口座番号と金額入れて、振込人名入れて、よし完了!」とエンターキーを押すと、東京事務センターの大型電算機に情報が送られる。その後になって、「あれー、金額間違えちゃった」という場合は、その処理を取り消してもう一回打ち直しである。こわい主任さんの所へ行って、誤記取消の赤い紙をもらわなければならない。

「なんだー、また誤記かぁ」主任さんも忙しいので気が立っている。「いつまでも新人じゃねえんだぞ。いい加減仕事覚えろ」と言われつつ赤い紙をもらう。この誤記取消の多い少ないは、支店の事務成績に反映され、めぐりめぐってボーナスの査定にも影響してくるので、上の人にとっては重要な問題なのであった。

「あー、やってられない」と大宮のスナックでいつも言うのは、同期入社のえりちゃん。高校卒でM銀行に入った何百人の中で、同じ下町支店の新人は4人いるのだけれど、帰る方向が同じえりちゃんとはすぐに仲良くなった。えりちゃんは「当座」という部署にいて、一日中手形と小切手の印鑑照合をするのが仕事である。仕事が終わって御徒町から大宮まで京浜東北線に乗り、週に一度はぐちを言い合うのである。

「だからさー、こんなに一日中目一杯働かされて、何でこんなに給料安いのー。」銀行員の給料は高いと世間ではよく言われるものの、それは何年か働いた後のことであり、若いうち何年かは他の業種と変わらない。しかも、仕事はきついし残業時間もちゃんとつけられないので(サービス残業というやつである)、時給にするとかえって給料はよくない。

「それに、男はつまんない奴ばっかだし、女は怖いおばさんばっかりだし、何なのこれ。」えりちゃんの言うように、高校出立てのマダムY達からすると、下町支店の男性職員はひどくおじさんに見えた。それに女性職員の多くは主婦で、支店の懇親会があるとタッパウェアに料理を詰めまくって家に持って帰るようなおばさんたちだった。

就職なんてこんなもんなのだが、うら若きマダムYたちにとって、ストレスがたまりまくる職場であったようである。

こうして同期入社のえりちゃんと仲良くなったマダムYは、仕事が終わると大宮に飲みに行った。考えてみれば、高校卒で就職しているのだからまだ20歳になっていないのだが、その頃は社会人であればそれほど固いことは言わない時代だったのである。

えりちゃんのお母さんは病院で食事を作るのがお仕事だった。えりちゃんの部屋は使わなくなった病室で、古いベッドを二つくっつけてその上にこたつを乗せているのであった。マダムYとえりちゃんは、飲みに行って遅くなるとこの部屋のおこたで二人で寝た。

朝になると、えりちゃんのお母さんが「朝ですよ」と言って、二人の朝食を持ってきてくれた。お母さんの作ってくれた病院の朝ご飯である。二日酔いの疲れた胃腸には、入院患者さんと同じメニューはやさしかった。

夏になると、銀行では交代で1週間ずつの休暇をとる。マダムYはえりちゃんと一緒に休みをとり、グアム島へ行った。シーズンオフでグアム島は空いていて、ホテルのプライベートビーチには「なまこ」がたくさん浮いていたが、真っ白い砂浜を2人だけで過ごした。

「なんか私、銀行向かないんだよねー」
トロピカルドリンクを飲みながら、えりちゃんは言った。
「仕事つまんないし、堅苦しいし、もっとなごやかな職場がいいなー」

「そんなこと言わないで、一緒に働こうよー」とマダムYは言った。えりちゃんがいないと、一緒に飲みに行く相手がいなくなってしまう。確かに銀行はそれほど楽しい職場ではなかったが、かといってつらくて仕方がないということもなかった。ようやく仕事も覚えてきたし、そもそもマダムYは昔からどんなことにもすぐ慣れてしまい、あまり深く考えないというお得な性格をしているのである。

それからしばらくして、えりちゃんは会社を辞めてしまった。マダムYは他の同期生や先輩たちと付き合うようになったが、なんとなく前ほど職場に親しみを感じなくなった。京浜東北線で気分が悪くなると、有給休暇を使って休んだ。だから、また春が来て、2年生になってすぐに転勤の発令を受けても、それほど寂しくなかったのであった。

銀行には転勤が多い。そして定期の異動というのは支店長など偉い人だけで、下っぱの異動は月に何度も発令された。男子行員は3年くらいごとに支店を変わるが、これは不正防止という意味合いもある。異動が発令されると関西だろうと九州だろうと、1週間以内に引継ぎを終えて転勤先に出勤しなければならない。

一方で、女子行員は同じ支店に何年もいることが多いが、しょっちゅう寿退社があるので、それを穴埋めするために転勤があった。マダムYは下町支店に入ってまだ1年余りだが、そうした事情で転勤になったようである。転勤先は都心支店で、埼玉に住むマダムYからすると、下町支店のある上野から銀座線に乗って10分ほど先になってしまった。

都心支店は優雅であった。ビジネス街にあるためお客様はそれなりに多かったが、下町支店と違って朝から晩までひっきりなしということはなかった。マダムYの今度の受け持ちは「定期預金」で、主に得意先係がお客様から預かってきた定期預金や通知預金を証書にするのが仕事だった。前にやっていた「センター」とは違って、一日中入金処理をしたり入金通知の電話をしたりしなくてもいいので、大分と楽である。

店全体に余裕があるので、「5・10日(ごとうび)」とよばれる忙しい日を除いて終業時間の5時近くなると店の男子行員が誘いに来る。そして7、8人くらいのグループですぐ近くの銀座とか、赤坂とか、あるいは新宿あたりまで飲みに行くのである。その頃のマダムYは何といっても19か20だから、お誘いは毎日のようにあった。

そして、会計はというと、若い女の子はタダか、せいぜい500円くらい分担するだけである。その頃でも牛丼1杯300円だから、ほとんど出していないのと同じである。おまけに、遅くなるとタクシーで家まで送ってくれる。銀行員だから給料が高いということもあるが、都心支店にはお金持ちの人が多かったのである。

そんな訳で、都心支店に来てからマダムYの預金残高はどんどん増えていった。これまで自腹で飲んでいたのに、ここへ来てからほとんどゴチである。同じ銀行なのになんて違うんだろう、とマダムYは思った。りえちゃんがこの支店に配属されていたらどうだっただろうと考えた。でも、きっと独立心の強いえりちゃんは自分で払わないのはかえって嫌がるような気がした。

でも、こうした毎日はマダムYには、全く苦にはならなかったのである。マダムYの青春は、連日の飲み会とともにそのピークを迎えていた。

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携帯に入れてある堅ちゃんのアラームが鳴った。今日も、マダムYの一日が始まる。毎日のように銀座・赤坂・新宿に出没したマダムYが、なぜこうして家庭の主婦におさまったかについては、また別の話になるのであった。(完)

[Apr 18, 2008]