005 マダムYの素敵な新婚時代

注.この物語はふぃくしょんです。登場する人物・団体等はすべて架空のものです。←よろしく

もうすぐ北京オリンピックが始まるのでビエラを買え、と小雪がしつこく言っている。そうか、またオリンピックかとマダムYは思う。マダムYがマダムになったのはもう24年前のロサンゼルス・オリンピックの年である。だからオリンピックというと、新婚時代のことを思い出してしまうのであった。

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新幹線を京都で下りて近鉄電車に乗り換え、さらに丹波橋で京阪電車に乗り換えて少し行くと、新居のある樟葉(くずは)に着く。日曜日の夜だった。当時の職場は1週間の連続休暇をとるのがやっとだったから、結婚式から4泊6日の新婚旅行を終えると、次の日には大阪へ行き、その次の日からは亭主は会社に行かなければならない。

マダムYにとって、大阪は縁もゆかりもなく、親戚もいなければ友達もいない。なのになぜ大阪かというと、もともと東京で知り合った亭主が大阪に転勤になったからである。独身寮が嫌で嫌でたまらなかった亭主と、親元から独立したくて仕方なかったマダムYのニーズがぴったり合って、結婚することにしたのである。

亭主が26、マダムYは23だったから、当時の平均初婚年齢からするとまあ普通だったのだけれど、その後晩婚化が急激に進んで、そんなに早く結婚しなくてもよかったという時代になった。でもその頃は、「女性クリスマスケーキ説」というのが広く信じられていて、女の子は24を超えると投げ売り状態になると言われていた。事実マダムYの友達の何人かも、高校を出て3、4年経つと次々と嫁に行きだしたのである。

新居は、駅から線路沿いに5分ほど歩いた高層マンション、職場の借上げ社宅であり、3LDKなのに家賃は月55,000円、敷金・保証金はなしという好条件である。15階建ての8階と真ん中へんの階ではあったが、マダムYはこんなに高い所に住むのは初めてであった。地面から離れたところに暮らすのは、ひどく不安に感じた。

新婚旅行は、その年にオリンピックが開催されるロサンゼルスに行った。当時はまだまだ1ドルが200円以上していた時代で、一人40万円以上のツアーだというのにエアーはエコノミーだしホテルもたいしたことがなかった。おまけに旅行会社の不手際で乗り継ぎがうまく行かず、初日からホテルに着くのが大分遅れてしまう。そのせいかマダムYはひどい時差ボケになってしまい、ろくに物も食べられず観光もできずに新婚旅行は終わってしまった。

新居に着いて次の日の朝7時過ぎには、亭主は会社に行ってしまった。3LDKの部屋にマダムYは一人残されてしまった。大阪に来なければならなかったため、職場は寿退社してしまい差し当たりやることがない。亭主が帰って来るのは早くて夜の9時、14時間も先である。こうして、マダムYの新婚時代は始まったのであった。

実家から独立したくて仕方がなかったとはいえ、マダムYはまだ23歳である。亭主が会社に出かけてから帰ってくるまでの14時間は、やはり心細いものであった。なにしろ亭主以外、ひとりの親戚も友達もいないのである。

朝のワイドショーを見ながら朝ごはんの片付けと洗濯を終わっても、まだ9時前であった。ワイドショーは耳慣れない関西弁のキャスターやゲストが騒々しくしゃべっている。普通に話しているのにまるでケンカをしているような関西弁は好きになれなかった。だから、レコードをかけてもよその迷惑にならない時間帯になると、LPを聞きながらお掃除をした。聖子ちゃんや明菜ちゃんは、関西弁で歌わないからである。

お掃除が終わると、駅まで5分歩いて銀行へ行く。キャッシュカードを使って、1000円おろす。まとめて引き出してもいいのだが、他にやることがないので毎日銀行へ行った。帰りに、置いてあるティッシュペーパーをもらって帰る。エレベーターを上がって8階の廊下を家まで向かうと眼下に大学のグラウンドがあって、スポーツをしている学生さん達が見えた。

残り物で適当にお昼をすませると、朝が早かったので眠くなる。ソファに横になってお昼寝をする。OLをしていたときにはもちろんお昼寝などできなかったが、高校に行っていた頃もこの時間の授業はほとんど寝ていたのである。以降今日に至るまで、昼寝はマダムYの日課となっている。

お昼寝から起きると、お買い物である。2人分の食事だからたいした量にはならないが、やはり他にやることがないので毎日買い物に行った。駅前には「くずはモール街」というショッピングセンターがあって、その中にいろいろなお店がある。よく行くのがダイエーと酒屋さんだが、他にもパン屋さんやケーキ屋さん、持ち帰りのお寿司、奥の方には本屋さん、レコード屋さん、おもちゃ屋さん、レストラン街があり、気が向いた時はそういうところを見て歩く。

ダイエーでその日のおかずの材料を買うと、マンションへの帰り道にいつもトラックの八百屋さんが来ている。マダムYはここで野菜を買うことにしていた。ダイエーよりちょっと安かったのと、ここの店主と立ち話をするのが楽しみだったからである。亭主が出かけてから帰るまで、マダムYはほとんど人と話す機会がない。だからこういうお店屋さんが、貴重な話し相手だったのであった。

お買い物から帰ってくると、夕飯のしたくである。マダムYが若い頃も、花嫁修業として料理を習う未婚女性は少なくなかったが、マダムYは「仕事&5時以降の遊び」だけで過ごしてきたので、料理などほとんど作ったことがなかった。

それが、毎日ご飯を作らなければならなくなったのだから大変である。亭主はその前からひとり暮らしをしていたので料理の本があった。その本を見ながら、おかずを作る。亭主が帰ってくるのは早くて9時だから、時間だけは十分すぎるほどあった。

最初の頃、気を利かしたつもりでカキフライを作ったところが、「カキは嫌いだから」といって全部残されてしまった。だからこの日は、鶏のから揚げである。から揚げはマダムYの大好物なので、もし残されても次の日に食べることができる。

実は大阪に来て最初の頃、スーパーに行っていくら探しても鶏肉が置いていないので、かなり驚いた。思い余ってとうとう、「鶏肉はありますか?」とお店の人に聞いたところが、「ああ、かしわならこっち」と言われて初めて気がついた。「かしわ」という何か分からないものが鶏肉によく似ていると思っていたのだが、「かしわ」とは鶏肉のことだったのだ。

マダムYがどのくらい料理をしたことがなかったかというと、高校の家庭科の時間に鶏肉を水洗いしていて、「誰ですか?鶏肉を水で洗っているのは?お肉は水で洗いませんよ!」と言われたくらいである。とはいってもマダムYのお母さんは鶏肉を水洗いしていて、それを当たり前だと思っていたのでマダムYにあまり罪はない。

9時を過ぎてようやく亭主が帰ってくると、マダムYは14時間ぶりにようやく、ちゃんとした会話ができた。夕飯の間も、亭主がお風呂に入っている間もお風呂の入口のところに座って、今日何があったのかをひたすらしゃべる。真夜中くらいまで話し続けてもまだ話し足りないが、そのあたりで亭主の体力が限界となった。

そんな毎日を過ごしていたある日、産婦人科に行くと先生に、「妊娠していますね。」と言われた。マダムYが次の言葉を待っていると、先生はカルテをみてようやくマダムYが結婚していることに気付いたらしく、「あっ、おめでとうございます。」と付け加えた。どうやら、高校生か何かと勘違いされたようである。

2月に結婚したマダムYは、2ヵ月後のゴールデンウィークに里帰りすると、つわりがひどくなってそのまま3ヵ月実家にいつづけることになった。

マダムYが大きいお腹で大阪に戻ってくる頃には、もう夏になっていた。

大阪の冬は寒く、夏は暑い。特にこの年の夏は非常に暑かった。アスファルトの照り返しが激しく、商店街のある駅前まで5~6分の距離を歩く気もしなかった。幸い、マンションの1階にはコンビニがあって、種類は多くないけれど野菜やお肉を売っていたので、ここで買い物をすることが多くなった。

亭主も1週間の夏休みで家にいる。どこに出かける気もしないので、二人して毎日クーラー(エアコンのこと)をかけて、テレビを見て過ごした。ちょうどロサンゼルス・オリンピックが始まる頃であった。ロサンゼルスといえば新婚旅行で行ったところである。向こうも暑いようで、マラソンなどはコースの途中にときどきシャワーのようなものがあって、走ってくる選手に水をかけていた。

アメリカのゴールデンタイムは日本時間の午前中なので、朝ゆっくり起きるとちょうどその日のメインの競技を中継している。それを見ながら、お昼は店屋物の出前にした。新婚当時はおカネがなかったので、いつもいちばん安いラーメン屋だった。中華丼と五目そばを注文すると、上に乗って来るものが全く同じというお店だったが、ひとの作ってくれたご飯はなんでもおいしいと思えるマダムYであった。

マンションは3LDKとそこそこ広かったけれど、クーラーのある部屋は和室の6畳間一つしかなく、寝るときも起きてからもその部屋から動くことはほとんどなかった。どちらが玄関まで出前を取りに行くかというくらい、他の部屋は暑いのである。休みになったら京都や奈良のお寺を回ろうと言っていた亭主も、あまりの暑さに外に出ようともしなかったのであった。

そんなわけで、休みの間じゅうオリンピックを見ていた。陸上ではカール・ルイスが100m、200mと走り幅跳びで金メダルを取ったが、マラソンの瀬古と増田明美(女子マラソンはロスから始まった)は全くいいところがなかった。柔道では山下が足を痛めながら優勝した。女子体操ではソ連・東欧各国が出場しなかったため、アメリカのメアリー・ルー・レットンが女王の座に輝いた。

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それから24年、ロサンゼルスから、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネと来て、今度の北京は7回目のオリンピックになる。

このところ夏バテで家にいることの多くなった亭主が、1日中オリンピックを見ている。テレビは14型のアナログから47型のデジタルに変わったけれど、やっていることは24年前と同じである。一日中、柔道や水泳や、重量挙げや体操をあきもせず見続けている亭主の横で半分寝ながらつきあっているマダムYも、やっていることはほとんど同じなのであった。

[Aug 12, 2008]