270 二十七番神峯寺 [Oct 15, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2016年10月15日、事前の計画段階においてかなり重要なポイントと思われたのはこの日であった。前の日は金剛頂寺泊、この日は奈半利泊。最初下りでその後はほぼ平坦な17kmなので、奈半利までは問題はない。そこから5kmで唐浜(とうのはま)、唐浜から登りを4kmで神峯寺、「まっ縦」と呼ばれる土佐の難所である。

遍路地図のコースタイムは8時間半、ということは、7時半に出発すれば午後4時には着くはずである。ちょうど同じルート(金剛頂寺→神峯寺→ホテルなはり)をとったWEB記事によると、金剛頂寺を午前7時半に出て、ホテルなはりに荷物を置いて神峯寺に午後4時過ぎに着いている。

とはいえ、4日連続での歩きは初めてであり、疲れが出る頃合いでもある。標高差400mは鶴林寺・太龍寺に匹敵し、けっして楽ではない。あれこれ考え合わせると、神峯寺まで打てればよし、打てなくて唐浜まで進み、神峯寺は奈半利に戻って翌朝一番となってもそれはそれでよしという計画を立てた。

金剛福寺からの下りは、少し遠回りだけれど不動岩経由とすることにした。金剛頂寺の人に不動岩への行き方を尋ねたところ、「ぜひ行かれてください。弘法大師様が修行された当時、室戸岬の御蔵洞のあたりは水面下だったらしいですから、修業されたのは不動岩のあたりに違いありません」ということであった。

「住職が高知に出張中で」とのことで朝のお勤めはなく、他の3名は7時に出発、私もやや遅れて7時15分に宿坊を出る。10kgのリュックを持つのは昼までで、午後はホテルに荷物を置いてデイパックで歩く予定である。

宿坊を出て、教えられたとおりに本堂とは反対側に出る。意外と平坦な道が続き、畑や民家も現れた。登りで通った東側の道は急斜面だったのだが、下りで使う西側の道は山の上が台地状になっていて集落がある。朝早いのに、もう農作業をしているお年寄りもいた。

田畑の間や家の裏手のような所を20分ほど歩くと、小さなお社があって、そこから先はスイッチバックの登山道となる。急傾斜の坂道を下って行くと、やがて小ぶりなお堂と集会所のような建物のある海岸に出た。不動岩大師堂である。ここまで40分、7時55分に到着。

この大師堂は、江戸時代に金剛頂寺が女人禁制であった頃は、女性のみの納経所であったということである。ベンチと自動販売機が置かれている。案内所のような建物もあったが、この日は閉まっていた。せっかくなので、大師堂の裏手、海岸沿いの遊歩道に進んでみる。

確かに、海側には洞窟がある大岩だが、現在はコンクリで補修されていてらしくない。それよりも感動したのは海の眺めで、奈半利から南国、高知にかけてぐっと窪んだ海岸線が、今度は左の方向に幾重にも連なっていて、彼方に霞んだあたりはどこになるのだろう。条件がよければ足摺岬まで見えると、昨晩一緒だった人が言っていたのを思い出した。

改めて身支度を整え、国道55号線を奈半利に向かう。しばらくは、歩道の上に道端から雑草か伸びてきて歩きにくい道だ。数百メートルで道の駅キラメッセ室戸に出るが、あいにく工事中である。まだ朝早いので、工事中でなくてもやっていたかどうか分からない。トイレだけ使わせていただく。

真念「道指南」によると、金剛頂寺の後「ぐろみ村 きらかは村 はね浦」と村が続く。ぐろみ村とは道の駅の後点々と家が続くあたりで、このあたり国道と並行して生活道路が走っている。こちらの方が歩きやすいので使うけれども、ときどき集落の中に入ってしまいどこに出るのか分からないので、そういう場合は安全を期して国道に戻るのである。

さらに歩くと「傍士漁港」(ほうじぎょこう、と読むらしい)という看板があり、そのあたりから急に建物が多くなった。国道から右に分かれ道があって、どうやらその先が吉良川の街並みになるようである。


金剛頂寺の西側は山上が広く台地状になっていて集落もある。江戸時代には女性の納経地だったという不動岩大師堂に向かう。


不動岩大師堂。右手の岩の裏は洞窟になっており、空海が修行したのは御蔵洞ではなくこちらという説もある。


不動岩から西の海を望む。見晴しが良ければ、足摺岬まで見えるということである。

吉良川の街並みに入ったのは9時少し前。不動岩からちょうど1時間歩いたので休む頃合いだったのだが、たいへん風情がある街並みにもかかわらず、休む場所やお店が見当たらないのである。町の中心部に、最御崎寺や金剛頂寺の山道で案内を見かけた虚空蔵空間という民宿があって、喫茶もやっているらしいのだが、この日は扉が閉ざされていた。

そして、当然のようにコンビニはない。古いお店の看板が掛けられている家が多いのだが、それが現在もやっている店なのか、飾りとして置いてあるだけなのかはよく分からない。少なくとも、2軒ほどあった旅館は、遍路地図には載っていない宿であった。

そんなことを考えながら歩いているうちに、町はずれまで来てしまった。これは国道に戻るしかない。でも、どこかで休みたいなと思っていたところ、旧道から国道に出る合流点に東屋があり、そこにトイレと自動販売機があった。時刻は午前9時半。不動岩から1時間半かかった。

この休憩所から羽根浦まで、さらに1時間半。目の前に立ち上がっている稜線がだんだんと近づく。真念はここからあの稜線上にある中山峠を越えた。その遍路道を通る人も多いのだが、午後のまっ縦を控えて体力を温存するため、距離は長いけれども標高差のない羽根岬ルートをとる。羽根岬の休憩所は岬の突端から少し進んだところ、トイレと東屋がある。

羽根岬に回り込むあたりが羽根浦で、古くからの村である。紀貫之が、奈半利と室津港の途中で停泊した港でもある。この羽根浦の市街に入る時、大きな看板で「ローソン」と書いてあった。おお、ここにコンビニがあるのかと思ってよく見ると、「あと9k ローソン奈半利店」と書いてあった。おお、あとたった9kmかと思ったのだけれど、よく考えると9km歩くと2時間かかるのであった。

羽根岬を越えると加領郷で、この集落は道指南でも「かりやうご浦」として記録に残っている。この集落のはずれに御霊跡(ごれいせき)という場所がある。ここは弘法大師が修行した地と伝えられているところで、海沿いに記念碑が建てられ、小さなお堂もある。

御霊跡まで来ると奈半利の市街が見えてくる。海に向けて3つ4つの稜線が下りてきているが、一番向こうがこれから登る神峯寺の方面だろうか。国道を歩いているのでキロポストがあり、この日は朝から㌔12~13分のペースを維持している。10kgの荷物を背負っていることを勘案すると、結構なハイペースである。

出発する前には寒くなるのを心配して、Tシャツを置いて長袖のトレーナーを持ってきたくらいなのだが、実際にこちらに来てみると毎日好天で暑いくらいである。おかげで、常に汗びっしょりである。お腹はそれほど減らないけれども、喉が乾いて仕方がない。奈半利の街の入口あたりで、この日3度目の500ml一気飲みをする。それでも、すぐ汗になって出てしまう。

御霊跡から1時間ほど歩くと、奈半利の街である。ごめん・なはり線の終着駅で、鉄道駅があるのは3日前に通った甲浦以来である。街中に入ると、道が二つに分かれる。左の道は港に向かう下り坂であるが、右の道は丘を越えて登って行く。ホテルなはりは右の道のようだ。遍路地図では、道の登り下りはよく分からないのであった。あきらめて坂道を登る。

登って下ると、右手に看板と、黄色い5階建ての建物が見えてきた。ホテルなはりである。お昼前に着ければ最高だったのだが、12時半到着であればまずまずであろう。フロントに荷物を預け、アイスクリームケースの中から「爽」のヨーグルト味を見つけて購入。なぜか、この遠征ではカロリーになるものより冷たいものが欲しかったのだ。

この日の宿は、こちらホテルなはりである。だからリュックは預け、最低限の荷物をデイパックに詰めて神峯寺に登り、ごめん・なはり線で帰ってくる計画なのだ。12時50分出発。まず目指すのは、7km先の唐浜である。


吉良川の街並み。風情ある古い家が多いのだが、残念ながら休むところがない。


吉良川から国道に復帰したあたりで休憩所発見。ようやくひと息つくことができた。海の向こうが行当岬。不動岩のあるあたり。


弘法大師が修行したと伝えられる御霊跡(ごれいせき)。背後に見えるあたりが奈半利の街。

ホテルなはりに着き荷物を置いて、デイパックと遍路バッグのみの軽装で歩き始めたのは12時50分。当初の計画では、唐浜に着くのが3時を過ぎるようだったら神峯寺は翌日に回そうと思っていたのだが、天気予報では翌日は雨ということである。できればこの日のうちにクリアしてしまいたい。

そして歩き始めると、それまでの10kgのリュックがなくなったものだから、背中がたいへんに軽い。昔よく聞いた「裸同然」というフレーズが脳裏をよぎる。

(注.競馬で、ふだんハンデ戦で重い負担重量で走っている馬が、天皇賞や有馬記念を57㌔58㌔で走るとそう言われた。昔は現在と違い、賞金を稼ぐとすぐに60㌔以上で走らされたのである。)

奈半利では、宍喰以来久々のコンビニ、ローソンが国道沿いにある。前の日から気になっていたGPS用の電池と、クーリッシュバニラ味を買う。昼食はホテルなはりで「爽」を食べただけだが、全くお腹がすかないし、暑いので体がアイスクリームを欲している。歩きながらクーリッシュを絞って吸っていると、アイスの甘味がたいへんにおいしい。

奈半利ローソンを過ぎてしばらく歩くと、国道から左に折れて「←へんろ道」の案内がある。いつもの遍路シールでなく手作りの木の案内板である。指示に従って国道を離れると、田野の古い街並みに出た。

田野は真念「道指南」でも、「たの浦よき町なり」と書かれているくらいで、かつて漁業で栄えた名残りがいまでも残っている。奈半利はビルやホームセンターが多かったが、こちらは低層の木造家屋が多く、蔵のような造りの大きな建物もみられる。人通りはほとんどないが、しっとりと落ち着いた街並みである。

ただ、街中を右に左に折れるしなかなか終わりが見えてこない。風情があるのはいいけれども、せいぜい二、三十分と思っていたので、だんだん不安になってくる。もしかすると距離的にかなり遠回りになっているのではないかと心配になってきた。午後2時近くまで1時間くらい歩いてようやく、左手から国道が下りてくるのと合流した。

合流して少し歩くと安田町である。このあたりは、国道に歩道がなく歩きにくいので、並行する旧道を通る。ときどき、ガード下を通るなどたいへん分かりにくい道だが、方向としては西だから間違える心配はない。役場を過ぎてしばらく行くと、神峯寺への道が右折と指示されて、ここからは細い田舎道となる。

WEBによく出てくるビニールハウスの前を通り、農家の間を通る細い道を抜けると、ごめん・なはり線の鉄橋下に出た。ここが四つ角になっており、直進すると唐浜駅、左折すると国道55号線に出る。表示に従ってここを右折して神峯寺に向かう。時刻は午後2時25分。ホテルなはりから1時間半ほどかかった。

WEBによるとここから1時間で登ったという記事もあるのだが、そんなに簡単にいくのだろうか。午後5時までの納経時間には間に合いそうであるが、計画では、引き返して唐浜5時33分の列車で奈半利に戻ることになっている。すると、制限時間は3時間ほど。できれば1時間少しで登ってお参りを30分で済ませないと、きびしいことになる。


いよいよ奈半利に入り、ホテルに荷物を預けて身軽になった。いま通っているのが国道55号、向こうの鉄橋がごめんなはり線。


へんろ道の案内にしたがって田野の街に入る。真念が「たの浦よき町なり」と書いたように、かつて漁業で栄えた名残が残る。


安田を過ぎて、いよいよ神峯への登りに向かう。まだ2時半なので余裕だと思ったのだが…。

竹林山神峯寺(ちくりんざん・こうのみねじ)。寺伝でも神功皇后創建とされているから、もともとは神社である。明治の神仏分離令により神峯神社と神峯寺が分けられてしまったが、江戸時代のご朱印所は現在の神峯神社であり、神峯寺はお籠りをするお堂があったところという。

ご本尊は十一面観音。十一面観音は六道の観音像の中でも古い時代によく作られたもののようで、奈良のお寺でよくみる。四国札所の中でこの仏様をご本尊としているところは、一ノ宮はじめ神社関連のお寺が多いようだ。ここまでの例では十三番大日寺のご本尊が十一面観音であるが、ここは江戸時代には阿波一ノ宮が札所であった。

ごめん・なはり線鉄橋下を通過するのは目標としては2時、遅くとも3時と考えていた。実際に着いたのは2時半だからかなり微妙なところである。時間があれば江戸時代の札所である神峯神社まで足を伸ばす計画もあったのだが、寺よりもかなり上にあるようなので難しいかもしれない。

しばらくは人里を山の方向に歩いていく。石造りの橋を抜けて、にわかに登り坂になる。いよいよ神峯寺への登りである。道案内には「神峯神社まであと4km」と書いてある。かなり長い。距離だけで1時間かかる。標高差があるので、その分余計にかかると考えなくてはならない。

ひとしきり坂を登っても、田畑やビニールハウスがある農家の風景が続く、いったん平坦な道になり、再び登り坂になる。左に「大日寺方面」と書いてある農道が分かれるが、遍路地図の唐浜に抜ける道だろうか。軽トラックを止めて農作業をしている人を見かける。午後3時になると、防災無線からラジオ体操が流れてきた。音楽に合わせて、手足を動かしながら坂を登る。

農道分岐を過ぎてしばらく登ると、道路右手に比較的新しい2階建ての住宅が現われた。裏手に野球グラウンドでも作れそうな広い空地が整備されており、その向こうに見える山がばっさり削られて茶色の山肌があらわになっていることから、ちょっと只物ではない雰囲気がある。宗教施設か何かだろうか。手入れはされているようだが、ひと気はない。

謎の施設のすぐ上が、車道と登山道の分岐点となる。あと2kmと書いてあるので、残り半分ということになる。しかし、もうすでに4、50分登っている。1時間というWEB記事は何だったのだろうか。登山道は暗いし、「まむし注意」の立札がある。

こういうケースでは苦労する割にそれほど時間が変わらないことが多いのがこれまでの経験則である。ノータイムで車道を選択するけれども、それでもかなりすごい傾斜である。とても、平地を歩くようなスピードでは歩けない。

そして、すぐ横を遍路姿の乗客を乗せたワゴン車のタクシーが何度も行き来する。車道だから仕方がないが、そのたびによけなければならない。これで登山道を選んでいたらさらにきつい傾斜になるところだった。まさに「まっ縦」である。

途中のベンチで一度、駐車場の横の自販機で一度休む。自販機では、この日何度目かのペットボトル500ml一気飲み。駐車場から上も、さらに登らなくてはならない。神峯神社の鳥居で道が分かれて、ようやく先が見えた。神峯寺着は午後4時ちょうど、ごめん・なはり線の四つ角から1時間半以上かかった。私には1時間ではとてもじゃないけど無理である。

山門のところで、前の日に金剛頂寺で一緒だった2人組とすれ違って挨拶する。出発で20分くらい遅れたから、結果的にはそれほど差がついた訳ではないようだ。山門から少し先には「神峯の水」という湧水が盛大に出ていて、手水場を兼ねている。水を汲みに来ている人もいた。かなり冷たい新鮮な水だったので、駐車場の自販機で一気飲みしなくてもよかった。

納経所はこのレベルの高さにあるが、本堂・大師堂へは「神峯の水」の横の石段をさらに上に登らなければならない。車で上がってきた団体のお遍路さんは体力が余っているのでおしゃべりしながら軽快に登って行くが、私はここまでやっとのことで登ってきたのでさすがに厳しい。大師堂のところにベンチがあったのでしばらく休ませていただく。

お寺の人が、高枝切りばさみを使って樹木の剪定をしていた。ここから神峯神社に登る道が案内標示に書いてあったのだが、すでに時刻は午後4時半、列車に間に合うかどうか心配なのに、もう一段上のエリアにある神峯神社まではちょっと無理なのであきらめた。江戸時代には札所だったという神社まで行きたかったのだが残念である。


登り始めて2km、謎の施設の先で車道とへんろ道が分かれる。暗いし傾斜は急だし、まむし注意なので車道を通ることにする。


ようやく着いた境内でも、石段の傾斜は急だ。右手の水は「名水神峯の水」。水を汲みに来た人もいた。


もっとも高いエリアにある神峯寺本堂。本堂と大師堂は上写真の石段の上、納経所は下にある。

午後4時半になったので、重い腰を上げる。あと1時間で唐浜の駅まで着けるだろうか。かなり疑問である。「魔境なるの故に、申の刻より後は人行く事を得ず」と四国遍礼霊場記に書かれているように、神峯寺は暗くなる前に引き上げなくてはならないとされている。 昔は不定時法だから、申の刻までということは、日が暮れる前に下山しろということである。

さて、下りは登りと違って息が切れたり疲れて休んだりしなくてすむから、時間は節約できると思ったのだが、実際にはこの下り、傾斜がすごく急なので早く歩くことができないのであった。ある意味、登りよりも下りの方が傾斜が急に感じた。車道でさえそうなのだから、登山道はさらにすごい傾斜になっているはずである。もう日が沈んで足下が暗いし、まむし注意なので通る気は全くなかったのだけれど。

だから、登りよりも時間が節約できたのは休んだ時間くらいで、下りなのにスピードは上がらなかった。途中で、5時33分唐浜発のごめん・なはり線はちょっと難しいと思った。ところが、次の列車の時間を入れてあったiPADはホテルなはりに預けている荷物の中なのであった。次の列車は何時だったろうか。いずれにしても、大体1時間に1本しか走っていない。

その場合はどうするか。国道55号に出て、室戸方面行きのバスに乗るのがもっとも早そうだと思った。途中のバス停で見たところでは、5時台は40分くらいだったような気がするから、それを目指すことにしよう。

山の中なので、日が沈むとどんどん暗くなる。急傾斜の車道を過ぎて謎の施設を過ぎた頃には午後5時を過ぎた。登りの時は農作業をしている人がいたのだが、誰もいなくなってみると大変さびしい道である。歩きで下っているのも私だけである。

曲がりくねった道を一生懸命下って行くのだが、なかなか人里に着かない。登る時はこんなに遠かったろうかと思う。魔境といわれるのも納得である。いよいよ5時半近くなり、止めてある軽トラの姿を見かけるようになって、ようやく道が平らになった。ここから川沿いに歩くと、ごめん・なはり線の高架下に着くはずである。

記憶違いで5時40分発なら間に合わないこともないとはかない期待を抱くが、高架下にさしかかった時、線路の彼方に前照灯を光らせた列車らしき姿が見えた。そして、それが徐々に近づいて来て、目の前で高架上の線路を通り過ぎて行った。ということは、神峯寺からここまでの下りに1時間以上かかったということになる。

下りでさえ1時間以上かかるのだから、登りが1時間で済む訳がない。ということは、そもそもここを午後2時半に出発するのでは遅すぎであり、さらにいうとホテルなはりを午後1時では遅いということである。

後から考えると、ホテルなはりに正午に着かなかった時点でこの日は唐浜までにすべきところだった。そうなると、この日はホテルに預けてきた10kgのリュックを、どこに預けるのかという別の問題が出てくるのだが。

十字路を国道方面に直進して、バス便に望みをかける。室戸あたりからよく見る津波タワーを抜け、民宿浜吉屋の横を抜け、直売所のような建物を抜けると国道55号、バス停はすぐそこである。時刻表を見ると、なんと5時台は35分、そうか、行きに見てきたバス停よりも早く着くのだから時間も早いのは当り前である。

とはいえ、まだ5時40分である。バスが5分くらい遅れるのはよくあることで、前の日うまめの木から引き返したバスなどは10分遅れていた。ということでしばらく待つけれども、全然来る気配はない。こういう時に限って、遅れないで時間通りに行ってしまったようである。

仕方なく、携帯でタクシー会社に電話する。まず104に掛けて、「安田タクシーの電話番号は?」と尋ねたところ、そんな会社は載っていないと言われた。仕方なく、近くにある電話ボックスに行って明るいところで遍路地図のコピーを見ると、そこに電話番号が載っていた。タクシーではなく「安田ハイヤー」だった。

電話すると5分くらいで来てくれた。役場前を抜け、田野のあたりを抜け、奈半利駅前、市街地を過ぎてホテルなはりに着いたのは午後6時ちょうどであった。かなり冷や冷やものだったが、結果オーライだったようである。料金は1,780円。半日歩いて来た割には、たいしてかからないんだなあと思った。

この日の歩数は62,908歩、GPSの距離は35.5kmと、今回も含めこれまでの区切り打ちで最高の歩数・距離であった。しかも400mの標高差もクリアしているのだから、大したものといえば大したものである。


神峯寺からの急傾斜は、下りの時の方がよりきつく感じる。


ごめんなはり線の高架下では、乗るはずだった奈半利行きがちょうど通り過ぎて行った。そのまま国道まで出て、バスに望みをかけたのだが。(この写真は翌朝)


国道55号線から神峯寺方面を望む。どのあたりだったんだろう。この写真も翌朝で、当日はもう真っ暗でした。

さて、いろいろなWEBの記事をみると、土佐の難所・神峯寺の麓にはあまりいい宿がないというのが定評である。このあたりに宿がないというのは弘法大師の時代からのようで、大師が貝を採ってきた女性に施しを乞うたところ、「この貝は食べられない貝だから」とすげなく断られたという話が真念「道指南」に書いてある。

そこで大師は、こういう連中をこのままにしてはよろしくないと、その貝を煮ても焼いても食べられなくしてしまったという。鯖大師の馬方はあやまれば許してくれたのに、本当につっけんどんでとりつくしまがなかったのだろう(私でなく真念が言っていることです)。

そういう訳で、この日は奈半利に戻ってホテルなはりに泊まる計画を立てたのだが、実はこの遠征で夕食が付いている最後の宿でもあった。ここまで4泊、宿に着けば食事の心配をしなくて済んだのだが、これからは懐具合や腹の減り具合、疲れ具合と相談しながら自分で考えなくてはならない。

逆に言うと、おそらく毎日カツオやまぐろが出るのだろうから、目先を変えて普通のものを食べたくなるだろうということを想定したのである。確かにここまで四日間、ごはんと刺身が続いたけれども、飽きたのかと言われるとそうでもなかった。むしろ、夕飯を何にするかという余計な心配をしなくてはならなくなったのは負担であった。

ホテルなはりには部屋にユニットバスがあるのだが、大浴場もある。フロントから階段を登ったり下りたりしなければならないので、長距離を歩いてきた身にはちょっとこたえるのだが、温泉の大きな浴槽でゆっくり手足を伸ばし、太ももやふくらはぎをマッサージできるのは、大浴場ならではである。大浴場の横にはコインランドリーがあり、汗まみれの衣装を洗濯する。お風呂に入っている間に洗濯して、乾燥機に入れたタイミングで食堂に向かう。

夕食は「土佐まぐろ御膳」と名付けられたまぐろ尽くしである。前菜にはまぐろスモーク、酢の物は鮪の皮、お刺身はもちろん天然南まぐろの赤身と中トロ、陶板焼きは鮪カマと野菜の蒸し焼きである。他にも海老のてんぷらや野菜の煮物が付く。とりあえず生ビールを2本立て続けに空けて、自分自身の健闘をたたえる。

お刺身はさすがに本場である。脂がのって大変おいしい。となると、やはりビールでなく日本酒である。メニューを見て、地酒飲み比べを注文する。南特別純米、慎太郎純米、土佐鶴特別本醸造が、冷やしたグラスに出される。いずれも、土佐の酒である。普段東北系の日本酒ばかり飲んでいるものだから、ちょっと口当たりが違う。もちろん、鮪にはよく合うのであった。

さて、この夜のことだが、午後10時前に横になりしばらく眠ったのだが、夜中に体中に激痛が走って目が覚めた。時計をみると真夜中少し前だった。足だけでなく、腰や背中もひどく痛む。風呂上りにバンテリンを塗ったのだが、効きがよくなかったようだ。もう一度塗る。荷物の中に痛み止め薬がないかどうか探したのだが、なんと、持ってきていなかったのである。

海外旅行の時は、睡眠導入剤や痛み止めは必ず用意するのだけれど、国内ということで油断して、普段飲んでいる糖尿病の薬の他は、風邪薬と胃薬、それも2、3包ずつしか持ってきていない。仕方なく、胃薬より痛みに効きそうなパブロン風邪薬を飲み、エレベーターでフロント階まで下りて自動販売機にあったビタミン+アミノ酸ドリンクを買って飲んだ。

神峯寺までのダメージが大きかったのか、はたまた日本酒が効いてしまったのかと思ったのだが、午前3時過ぎにもう一度起きた時には、大分痛みが和らいでいたのでちょっと安心した。

[ 行 程 ] 金剛頂寺 7:15 → [1.9km]7:50 不動岩 8:05 → [5.1km]9:20 吉良川休憩所 9:30 → [7.6km]11:00 羽根岬休憩所 11:05 → [5.9km]12:20 ホテルなはり 12:50 → [7.1km]14:25 ごめんなはり線鉄橋下 14:25 → [3.6km]16:00 神峯寺 16:30 → [4.3km]17:40 唐浜東バス停(→ホテル奈半利(泊))

 


ホテルなはり。昼過ぎに到着し荷物を預けて神峯寺に向かった。


ホテルなはりの夕食まぐろづくし。今回の遠征で夕食がつくのはこの日まで。


思わず注文してしまった地酒飲み比べセット1,350円。南、慎太郎、土佐鶴の吟醸冷酒。せっかく高知に来たのでこのくらいは。

[Apr 19, 2017]