055 分譲地を見て~せいうち日記55 [Jan 4, 2012]

千葉ニュータウンに引っ越してきて、昨年末で12年になった。

その間、特殊法人見直しやら業務仕訳けの影響やらで、開発主体であるところの都市開発整備公団(昔の住宅公団である)が開店休業となってしまったため、ここしばらくは新規の宅地分譲がお休みの状態となっていた。ようやく昨年あたりから、民間ディベロッパーを中心に開発が再開されつつある。それで最近は、開発中の新街区を見に行くことがある。

いまから半世紀前の子供の頃、同じように開発中の分譲地をよく遊び場にしていたものである。畑や林を整地して宅地になるととたんに遊びやすくなるし、当時は段差のある土地でも平気で分譲地にしていたから、ところどころに死角ができて、「缶蹴り」をするには最高の場所となった。(その次は基礎のコンクリの上で鬼ごっこをするのだ)

やがてその上に骨組みができ、そして家が建っていくのを時系列的に見ていくのは、かなり楽しかった。当時は新規分譲地には商店街がセットで付いていたので、どんな店になるのか予想して楽しんだ。そしてパン屋とか時々本屋が開店すると、わざわざ遠くなのに出かけてみたものであった。

50年後の現在は見方が世知辛くなっていて、土地の単価はどうだろうとか(大体、12年前より坪で20万円近く下がっている)、敷地は家より大きいか小さいかとか、そんなことに関心が行ってしまうのはちょっと悲しい。もっとも、ニュータウンは原則として一種住専であるので、商店街はおろかアパートもなくて、戸建ての地区はすべて戸建住宅となっている。

さて、民間分譲住宅が今日のように盛んに開発されるようになった背景としては、戦後の混乱期を過ぎて、資金を住宅金融公庫や銀行住宅ローンに回す余裕ができたことが非常に大きい。だから、私の子供の頃、高度成長時代といわれる時期が分譲住宅の出始めなのである。

高度成長時代は64年の東京オリンピックから70年の大阪万博まで。その後ドルショック、オイルショックといった停滞期をはさんで80年代のバブルにつながることになる。先日開催された高校の同窓会の参加者が現役の高校生だった頃は、トイレットペーパーがなくなったらどうするか真剣に議論していた第一次オイルショック時代なのであった。

今後、日本の人口は急激に縮小に向かうことが確定しているし、そもそも新規の宅地分譲の可能な立地は限られるから(ニュータウン法の適用など今後ないかもしれない)、半世紀後にこうして開発中の大規模分譲地を見るような機会はあまりないのではなかろうか(そもそも生きていない可能性が大きいが)。

だから開発中の分譲地を見て子供の頃を思い出すという世代も、私くらいが最後なのかもしれない。他人からみると初老のおっさんが歩いているだけにしか見えないかもしれないが、自分で自分の姿形は見えないので、昔と同じようなことをすると相変わらず子供でいるような気がするのがおかしい。

もっとも家の奥さんによると、「携帯の待受が篠崎愛で、着信音がきゃりーぱみゅぱみゅの55歳はあまりいない」とのことである。


現在分譲中の新街区。立札が立っているところが売出中の宅地。遠くに建築中なのはスウェーデンハウス。

[Jan 4, 2012]