021 トムラウシ遭難事故 [Aug 4, 2009]

山岳事故については昔から関心があって、本を読んだりいろいろ研究している。登山と社会生活は似た要素があると思っていて、山岳事故から身を守るノウハウと、社会人としてリスクから身を守るノウハウには、共通する部分があると勝手に決めているのである。

だから、先週起こった北海道・トムラウシの遭難事故も興味深く感じて、新聞やインターネット、NHKの特別番組等を見て、いろいろ事実関係を確認した。報道では、故人への配慮もあってツアー会社の責任、ガイドの判断の是非などが取りざたされているけれど、私の考えをいえば、少なくとも95%(本当は100%といいたい)遭難した本人に責任があると思う。

昔の山岳事故といえば、大学の山岳部とか地域の山岳会のパーティーで起こるケースが多かった。こうした事故の場合、徹底した原因究明は望みにくい。生き残ったメンバーはグループのことを悪く言わないし、ましてや命を失った仲間のミスを明らかにすることはない。だから、昔の山岳事故について書かれた本の多くは、奥歯に物のはさまったような表現がほとんどである。

そして、大学山岳部にせよ山岳会にせよ、リーダーの指示に従わないということは、即、そのパーティーにはいられないということを意味する。そうでなければ、団体行動の規律は守れないからである。そして多くの場合、パーティーにいられないということは登山家としてのキャリアを失うことを意味するから、リーダーの決定は絶対であった。

こうした体育会気質はかつての日本企業の多くとよく似ており、上司の命令一下、法令に反することもいとわなかった風土を育てたものと共通であるように思う。時代が移り登山の中心は愛好会やサークルに移っていったが、こうした集団についても、リーダーやグループの決定に従わないということは仲間を失うことになりかねないから、かなりの困難を伴う。

ところが、今回の事故を起こしたパーティーは「ツアー」である。カネを払っているから勝手な行動をとっていいというものではないが、ガイドの指示が絶対ではないことは、山岳会や大学山岳部と比較しても明らかである。

出発しろといわれても、豪雨突風の中で自分には無理だと思ったら、じっと山小屋で動かない選択をすることは十分に可能である。失うものがあるとすれば、帰りの飛行機代と旅館代くらいのものである。たかがそんなものである。命の心配までしなかったのは仕方ないとしても、足をくじいたり転落して怪我をするリスクを考えなかったとしたら、その方が落ち度である。

確かにトムラウシの場合、エスケープルートのほとんどない長い縦走で、事故を起こしたパーティーも、前夜は長時間歩き疲れた末の避難小屋(営業小屋ではない)泊であったと思われる。荒天と疲れ、それに狭い小屋での窮屈な宿泊では熟睡することはまず無理であり、判断力も低下していたことは推測できる。

であればなおさら、他人はともかく自分は出発しないという選択をすべきであり、それを見誤って命を危険にさらしたのは、自分自身に最も責任があることは間違いない。

登山と同様、社会生活にも似たような場面がある。自分の身を守るのは自分しかいないことを肝に銘じておけば、他人の決定に従って生じる不利益はかなりの部分避けられるのではないかと思っている。たとえ危機に陥ったとしても、自分で選んだ結果なら仕方ないが、他人に従った結果だとしたら、私だったら悔しくて死に切れないと思う。

先日、トウラウシ山岳事故について記事を上げたところ、この事故について調べられている方からコメントがあり、そのサイトで実際に遭難したパーティーの方からの直の声もあって、大変参考にさせていただいた。

前にも書いたけれど、私が山岳事故に興味を持っているのは、社会生活におけるさまざまなリスクとよく似通った面があるからである。どうすれば山岳事故を防げるか考察することは、社会生活におけるいろいろな落し穴をいかに避けていくかという点について、重要なヒントになるのではないかと思っている。

さて、今回の場合、ツアー会社とそのガイドがいかに使えなかったかという点については、議論の余地がない。今後、刑事的責任や民事訴訟(損害賠償請求)といった問題が生じてくることは必至であるが、ここでツアー会社やガイドをかばう意図は一つもない。私が言いたいのは、自分の身を守る際に、他人を当てにしてはいけないということである。

例えば会社の仕事を考えてみる。訳の分からない上司、足を引っ張る同僚、使えない部下はいくらでもいる。そうした中でも、貰っている給料分以上のパフォーマンスを示さなければならないのがサラリーマンである。

その場合、ネックが上司だとすれば、ある意味同情を禁じえない。上司の指示に逆らうということは、仮にこちらが正しいことを言っていたとしても、会社での評価を下げたり最悪の場合会社にいられなくなることを意味するからである。つまり、かつての山岳部・山岳会と同様である。北アルプスで嫌われれば、ヒマラヤ遠征のメンバーから外されるということである。

今回の場合、ガイドの立場はどうなのか。もちろん、実際に現場(登山ルート)に出てしまえば、自分勝手な行動は自分自身にはね返ってくる。とはいえ、ガイドはあくまで部下なのである。部下が使えなかったのでプロジェクトはうまく行きませんでしたと言い訳できないのは、サラリーマンであれば常識の範疇と言っていいのではないか。

「今日の行程と天候、現在の自分の体調を考慮した結果、自分はここで待機する。それによって生じる(経済的)リスクは甘受する」と言えるのは登山者自身であって、ガイドではない。もちろん、最悪の事態を想定しなかったガイドの業務知識・職業倫理の欠如は問われなければならないが、パーティーの面々はガイドより何十年も長く生きているのではなかったか。

もう一つ。どんな専門分野であっても、専門家がすべて正しいと考えるのは得てして判断を誤る結果となる。戦略、戦術、戦闘という各要素に分けて考えると、専門家が詳しいのは戦闘と戦術の一部までであって、戦略についてきちんと理解している専門家は多くはない。これはスポーツだけではなく、社会生活の大部分にあてはまると思っている。

[Aug 4, 2009]