022 脳みその話 [Oct 15, 2009]

最近、脳に関する本をいくつか読んで勉強している。特定の一冊の本をあげるのは難しいのだけれど、昔と今とではかなり状況が違うらしい。

というのは、21世紀に入ったあたりから脳に関する研究は格段に進んでおり、それ以前の定説が当てにならないということになりつつあるからである。その武器は機能的MRI(fMRI)。最新医療機器として普及しているMRI(磁気共鳴画像装置)を利用して脳の活動状況を画像化する研究である。

かつて、脳のどの部分が人間のどのような活動(精神的・肉体的)に関わっているかということは、頭(脳)に損傷を負った人にどのような後遺症があるかという、きわめて直接的かつ大雑把な方法によって知る以外になかった。

ところがfMRIを使うと、脳を直接いじらなくても脳の中身が分かる。具体的には、何をしているときに脳のどの部分で酸素が使われているか、つまりどこで考えているかということが推定できるのだそうである。この分野は研究費がかかる(MRIは高価である)ため、まだまだデータ解析等で議論の余地はあるとのことだが、それでも新しい発見がかなりあるという。

こうした研究によると、かつて、人間がサルから進化する中で急激に脳の容積が増加した理由は「道具の使用による」とされてきたが、どうもそうではないらしい。チンパンジーだって教えれば道具は使うし、手の運動だけで使う脳の範囲はそれほど広範囲ではない。むしろ、「2本の足だけで長距離を走って獲物を追いかけたことによる」のではないかと仮説が提唱されている。

確かに、足が2本であれば移動するときは1本になる。1本の足で加速し、かつバランスをとり、必要に応じて方向転換しつつ、手は他のことをするという複雑な作業は、人間は平気でやっているけれども、そういうロボットを作ろうとすればかなりの分量のプログラムを必要とするだろうと見当はつく。

人間は生き延びるために、他の動物を食糧とするところからスタートした。一方で、安定した食糧供給の手段として、植物を栽培して食料とすることを発見した。こうした食糧事情は、定住した拠点を確保しつつ狩りに行くという生活様式となり、狩りを行うためには長距離を走る必要を生じ、それが脳の容積を大きくする方向に働いたというのは十分にありうることである(この仮説は、男女の脳容積の差を説明できる点でも優れている。魚をとっていた人間の場合どうなのかという問題はあるが)。

そして、個人的に印象深いのは、実際に体を動かす時と、頭の中で動きを想像した時(つまり、イメージトレーニング)とで、使う脳の部分はどうやら同じらしいということである。このことは、これから老後を迎えるに当たって、心身の老化を最小限にとどめるためのヒントになるのではないか、と考えたりする。

また、私の若い頃の本には、「脳の機能の90%以上は使われていない」などということが書かれていた。これは、脳に損傷を負った人でも、そのことだけでは結構死ななかったりするという解剖学的な所見からの推論であったように思う。ところが、fMRIを使った分析によると逆に「脳の中に使っていない部分はない」ということになるのだそうだ。

最近よく読んでいる内田樹氏のブログに、こうした脳の予備知識とは全然関わりないにもかかわらず、びっくりするくらい符合する記事が書いてあった(10月3日付エントリー)。氏によると、意識していないにもかかわらず物事を処理しているのは「自分の中のこびとさん」である。以下引用すると、(氏のブログはなんと、引用フリーなのである。ありがとうございます)

どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。
私たちは自分の知らないことを知っている。
自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。

私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。

そういわれてみると、自分の意識していないところの「自分」が、知らない間に物事を処理しているということがよくある。酔っ払ってもいつの間にか家までたどりついているとか、外出する時に気づかずに戸締りをしているとか。これも、「こびとさん」の仕事に違いない。

「こびとさん」のメタファー(比喩)は、確か内田氏も愛読する村上春樹も使っていたと思うが、自分の中にあって自分で意識していないというのはつまり、脳の中のどこか気が付かない場所ということなのではないか。

スランプについても、内田氏は面白い比喩を使って説明している。

スランプというのは「自分にできることができなくなる」わけではない。
「自分にできること」はいつだってできる。
そうではなくて「自分にできるはずがないのにもかかわらず、できていたこと」ができなくなるのが「スランプ」なのである。
それはそれまで「こびとさん」がしていてくれた仕事だったのである。

理屈とか理論では推し量れない謎の部分が脳の中にはあって、その部分が要求している「何か」が欠けると、とたんにパフォーマンスが落ちるというのは、なんとなく感じていることである。ちゃんと眠っているし、ご飯はちゃんと食べたし、疲れてはいないし体の具合も特に悪くないのに、なぜかしっくりこないということがある。これは、脳の「こびとさん」が疲れているのである。

スランプというのは、この「こびとさん」が疲れ切って消耗した状態のことであり、心身の健康を保つためには、「こびとさん」の機嫌を損ねないよう大切にして、毎日を過ごさなければならないということであるらしい。

最新の科学の成果を考えに入れつつ、どうすればより充実した日々を送ることができるか、こんなことをつらつらと考えている。

[Oct 15, 2009]