069 やっぱり北海道へ~せいうち日記69 [Aug 7, 2013]

ギリヤーク尼ヶ崎師匠の北海道公演がなくなったのでどうしようかと思ったのだけれど、結局今年の夏も北海道に来ることにした。この原稿の仕上げは札幌で作っている。

プライベートで北海道に来るのは、確かこれで20回目になる。第一期は学生時代から独身の時で、1976年から1983年まで8年連続で来た。学生時代は、友達と一緒に大きなリュックを背負って、周遊券を買ってユースホステルに泊まった。いまそんなことをする人はあまりいないが、当時は「カニ族」といって大学生としては珍しくもなかった。

当たり前だが、当時は新幹線も青函トンネルもない。周遊券では特急に乗れないので、まずいわき経由盛岡まで急行に乗り、盛岡でわんこそばを食べた後さらに急行に乗って青森に向かい、青函連絡船で津軽海峡を渡るのである。いまこの経路は、原発の立入禁止区域なので、通ろうと思っても通れない。

青森駅にも函館駅にも、さらには札幌駅にも駅で寝ている人は大勢いた(いまはいない。フェリー乗り場くらいか?)。泊まれるところも多くはなかったので、ユースホステルはかなり重要な地位を占めていた。やたらといばるボランティア(学生運動とかやっていた世代)がいて、食事の後始末や掃除はともかくとして、歌やフォークダンスを強制されるのには参った。

だからユースホステルを利用したのは2年くらいで、その後はホテルや旅館・民宿を利用した。小学校からの友人が北大に進学していたので、泊まらせてもらったりもした。この8年間で、たくさんのローカル路線を利用した。しばらく前になくなった松前線にも、近々廃止される江差線にも、何回か乗った。利用者がいないので仕方ないのだけれど。

第二期は、奥さんと子供を連れて車で行った時期で、1989年から1996年までやはり8年連続である。年ごとに、道南、道東、道北、道央とローテーションしたので、主要な道路はほとんど走った。ちょうどバブルの時期にあたったので、いまよりも宿代がかかった。

はじめの頃は若かったので青森まて一気に走り、フェリーで翌朝函館入りという日程を組んでいたのだけれど、年を取るごとに辛くなった。当時は奥さんも免許を取る前だったので、ドライバーも一人しかいなかったのである。最後の方は八幡平あたりで一泊したり、車だけ先に送って飛行機で追いかけるなんてこともした。

第三期は2005年から現在までで、子供も独立したので奥さんと二人である。年齢には勝てず、飛行機で行ってレンタカーで回るようになった。今年は成田便を使ったので、奥さんが大喜びである。スカイアクセス開通以降はじめての成田空港であるのに加え、羽田空港まで1時間半というのが大層嫌だったそうである。

今回はこれまで行ったことのない留萌に行く予定である。途中にある雄冬岬は、北海道でも最後まで電話が引けなかったところで、南北からの道路が開通したのも1980年代である。どんな所なのか、たいへん楽しみである。


十数年ぶりに訪れたサッポロビール園(8月5日)。東側にはヨーカドーが、西側には高層マンションが建ち、昔とは様変わりしてしまいました。

[Aug 7, 2013]