047 尾瀬2015(小淵沢田代・尾瀬沼) [Sep 27-28, 2015]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

例によって夏の間は山に行かなかった。夏の低山は蜂とか虫がいるし藪もうるさいし、大量に汗をかいてしまうのであまり快くないということもある。秋のスタートは9月の最終週、そろそろ山は防寒着が必要になる時期である。久しぶりでもあり奥さんを連れてゆるいところということで選んだのは尾瀬。これで9月最終週は3年連続で尾瀬となる。

尾瀬へのアプローチ道路である国道121号線や352号線は、さきの豪雨の影響であちこちで土石流の跡が残っていた。道路脇に積み重ねられている土砂や枯れ木は、おそらく道路に流れていたものを片付けてそうなったものと思われた。また、橋桁に切り株や枯れ枝が大量に引っかかっているのは、橋の上まで水が来たということだろうか。工事中の片側規制も何ヵ所かあった。

「日本人って偉いよね。すぐに道路を通れるようにするんだから」と奥さんも感慨深げである。奥さんは風呂のない山小屋には断固として来ない。今回は風呂のある尾瀬ということで、奥さんも一緒に来たのである。午前5時に家を出て、7時過ぎに西那須野塩原IC、塩原を経由して会津に入るルートで、尾瀬御池には9時半頃到着した。

沼山峠までのシャトルバスは10時ちょうど。15分ほどで沼山峠バス停に着いた。朝が早かったので、売店でパンとインスタント豚汁で軽食をとって、10時30分に登山口に入った。この日の予定は、まず小淵沢田代に登り、そこから送電線の走っている記念碑地点まで歩こうという計画である。

尾瀬に入るまで道路の気温表示が17度くらいで少し肌寒かったため、レインウェアの上を防寒着替わりにしていたが、沼山峠までの登り階段で早くも汗だくになる。速乾肌着と長袖の登山シャツだけで十分である。峠から快調に下って、久しぶりの大江湿原。下の写真のように尾瀬沼方向は霧が出ていて見えない。もちろん、燧ヶ岳も見えない。

それでも奥さんは、「尾瀬だ尾瀬だ」と大喜びである。去年だって会津駒ヶ岳に来ているし、おととしは燧裏林道に来ているのに、「あれは山で、尾瀬じゃない」んだそうだ。奥さんにとって、木道だけの歩きで平らな湿原が広がっていないと尾瀬ではないらしい。

湿原はまさに草紅葉が色づいてみごとである。あと半月遅いと茶色になってしまう。「ルドベキアだ」「ワレモコウだ」と草紅葉の間から花を見つけて、奥さんもうれしそうである。「ワレモコウは止血作用があって、ゴルゴ13が根っこを食べたんだよね」と薀蓄を披露する。

湿原に出て5分か10分で小淵沢田代への分岐となる。ここから左に入り山道を標高差160mほど登ると、めざす小淵沢田代となる。すぐに山に入って、木道から山道になる。「また尾瀬じゃなくなった」と奥さんは不服そうである。

取り付きの登りは結構きついが、じきに傾斜が緩やかになる。ときどき道がぬかるんでおり、下が岩で水がたまっていたりするのは燧ヶ岳の北側斜面と似た雰囲気である。道は手入れされていて危険なところはない。

歩いているうちに、あたりがかなりうす暗くなっているのは気がかりなことであった。この日の天気予報は雨が降っても朝までで午前中の降水確率は20%、午後からは0%であった。にもかかわらず、森の中はうっそうとして全く明るくならない。それどころか、ときどき水滴が上から落ちてくる。これは雨だろうか、それとも木の枝から昨日の雨粒が落ちているのだろうか。

緩やかな登りを歩いていくと50分ほどで尾瀬沼方向からの道と合流し、間もなく小淵沢田代に到着した。ところが雨が本降りである。あわてて森の中へ引き返して雨宿り。せっかくの小淵沢田代なのに、見えるのは入口付近だけで、木道は途中から霧の中である。一度片付けていたレインウェアを再び広げて着る。幸い、ひと雨来た後は小降りになってきたようだ。

 


尾瀬初日は予報に反してぐずついた天気。大江湿原から尾瀬沼方向も霧がかかっていました。


小淵沢田代へは、山道を登る。ときどき道がぬかるんで燧ヶ岳の北側斜面のようになります。


尾瀬沼より標高で200mほど高いところにある小淵沢田代。草紅葉が鮮やかでした。(行きは雨だったので、この写真は帰り道)

 

着いたときは本降りの雨だったが、雨宿りをして元気一発ゼリーを飲んだり記念写真を撮ったりしているうちに、嘘のように霧が晴れて空が高くなった。

小淵沢田代はそれほど広くなく、5分も歩くと端まで行ってしまう。大きな池塘も確認できたのは一つだけだった。ただ、水はすごく多くて、木道の上が川になっている。ときどき靴が沈んでしまうほど深い水たまりもあるので、この先進むかどうか少し迷った。

そうしていたら、向こうの方向から四人組がやってきた。ということは、どうやら進めそうである。小淵沢田代からの出口がひどいぬかるみになっていて難儀したけれども、そこを突破すると緩やかな登り坂で歩きやすい。左右は熊笹なので手入れしないとすぐ藪になりそうだが、きちんと刈り払いされている。

ところどころ水たまりができていたり、道の中央が深くえぐれて歩きにくいところがあるところは、長英新道の下の方と似ている。

「これからどこに行くの?」と奥さんが聞くので、
「記念碑のあるところだよ」と答える。
「何の記念碑?」とまた聞くので、
「電線を引いたという記念碑だよ」と答える。
「なんで電線を引いた記念碑を見に行くの?」とさらに聞くので、
「目印になるからだよ」と答える。確かに何で記念碑を見に行くのか、計画を話していないので分からないだろう。

そもそもの発端は、ずっと若い頃から鬼怒沼湿原に行きたいと思っていて、いまだに行っていないということがある。鬼怒沼湿原から鬼怒沼山に登り尾瀬沼まで延々と縦走するルートは、以前は多くのガイドブックに載っていたが、途中でテント泊しないと難しいくらい長いので、最近はあまり紹介されないし、本によっては「荒廃気味」なんて書かれている。

今回の小淵沢田代から記念碑までのルートはそのロングルートの一部であり、鬼怒沼から尾瀬沼に向かう際の終盤にあたる。いつかこのルートに挑戦する場合に備えて、ぜひ歩いてみたいと思っていたのであった。

小淵沢田代から40~50分、群馬県側大清水からの道と合流すると間もなく、景色が急に開けて鉄塔が見えてくる。目的地に着いた。「達成感って、歳を取ると重要なんだって」と奥さんが分かったようなことを言うが、林の中の長い坂道を登ってきて、急に広い場所に出た開放感は何ともいえない。

登山道と直角に交わる送電線の下は幅100mほど防火帯のようになっていて、そちらに巡視道がある。以前は地図付きの看板があったようだが、見当たらなかった。記念碑の前に行ってみると、「只見幹線竣工記念 昭和三十四年五月」と彫ってある。私は生まれているが奥さんはまだ生まれていない。いずれにしても六十年近く前に建てられたものだ。

記念碑の足下に小さな立札があって、「尾瀬沼まで1時間約3km」「鬼怒沼まで7時間約16km」「送電線下は登山道にあらず」と必要な情報がコンパクトにまとめられていた。せっかくなので腰をおろせる場所を探す。送電線の下が休めそうなのでそちらに向かって進むが、乾いた芝生のように見えたのは湿原で、よく見ると池塘もあって座ったら濡れてしまう。

仕方なく記念碑の近くの熊笹の上に座って、コーヒーと菓子パンでお昼にする。朝沸かしたお湯をテルモスに入れてきたのだけれど、9時間近く経っているのでさすがに生ぬるい。2時になったので出発、この日の宿である尾瀬沼ヒュッテに向かう。小淵沢田代までの戻りは30分ほどでクリアしたのだが、小淵沢田代から尾瀬沼ヒュッテまでの道で大変苦労した。

というのは、大江湿原から小淵沢田代までは谷筋を登るので帰りは純粋な下りであるが、小淵沢田代から尾瀬沼へは稜線を一つ越えるので、標高差で60~70m登ってその分余計に下ることになるのであった。一番下の写真で、三本カラマツの真上に見える鞍部を越えて尾瀬沼に下ってくるのである。遠くから見るだけでも大変そうである。

もちろんちゃんと予習しておけば行きのルートで下りてきたのだけれど、あとは下りだけと思っていたのに10分以上登って、その分急傾斜の下り坂が延々と続くのだから参った。それでも3時半ちょうどに尾瀬沼ヒュッテに着いたから記念碑からは1時間半、まずまずのペースで歩くことができた。

 


小淵沢田代から記念碑までは緩い登り坂。熊笹が刈ってあり歩きやすくなっているが、ぬかるんでいるところもある。


坂を登りつめると、いきなりという感じで鉄塔と送電線、只見幹線記念碑が登場する。送電線下は防火帯のように見えるが、ちょっと進んだだけで池塘があり湿原化しつつある。


翌日、沼尻からの帰りに撮った小淵沢田代方向。小淵沢田代から尾瀬沼ヒュッテへは、中央と左ピークの鞍部を通るので、標高差で70mほど登ってから下ることになる。中央はもちろん三本カラマツ。

 

尾瀬沼ヒュツテは、日曜日の晩だというのに団体客で一杯だった。ここへ来るのは4回目になるが、夕食でテーブルが一杯になるのも、2階の部屋が満室になるのも、初めて見た。昼過ぎまでの雨が嘘のように夜は晴天で、仲秋の名月がきれいに見えた。

翌朝は団体客が早出してテーブルは半分くらいの埋まり具合。われわれ夫婦はゆっくり朝ごはんを食べ、この日は尾瀬沼を一周し沼山峠を越えて下山する計画である。前に一人で来た時に三平下までで引き返したので、そこから沼尻(ぬじり)までの間を歩いていないからである。

7時ちょうどに出発、気持ちいいくらい晴天で日焼け止めを塗った。長蔵小屋を越えてすぐに「沼尻休憩所のトイレが使えません」と注意書きがしてあった。トイレが使えないと、売店はどうするんだろうと一瞬思ったけれども、あまり疑問にも思わないで先に進む。

長蔵小屋から三平下までの木道では、前に来た時にヘリコプターで材木を荷下ろししていたのを見ている。そのことを思い出しながら歩いていると、足下の木道にはじめは「H26 」、次に「H25」と焼印が押してあるのを見つけた。今年は長蔵小屋付近を工事すると書いてあったから、尾瀬沼から三平下まではここ3年間で整備された木道が続くことになる。

それに比べると、三平下から先の状況は、なかなか厳しいものがあった。特に東京電力の設備がある建物を過ぎると、木道は斜めっているか折れているか穴が開いているかで、まともに見えるものも表面に苔が生えて滑りやすくなっている。実際、一回だけだが、踏み出した足元が滑って尻もちをついてしまった。

尾瀬沼の湖畔に近い場所では、3ヵ所くらい木道の地盤そのものが崩落していて、トラロープで立入禁止となっていた。「迂回路→」の標示に従って斜面を山側に上がって行く。迂回路はしっかり踏み固められていて、これが今年に入ってから急にできた道ではないことが分かる。迂回路以外でも登ったり下りたりが多い道で、途端に歩くスピードが鈍った。

ぬかるんだ道を苦労しながら進むと、ときどき湖面の方向が開けて北側の景色が広がる。尾瀬沼の向こうに、雄大な燧ヶ岳がアップになる。はじめは頂上が雲に隠れていたが、上空の風が強いらしく雲がどんどん流れていく。ついに頂上が現れた。あれがミノブチ岳でいつもお昼を食べる場所、奥に見えるのが柴安嵓と俎嵓だよ、と奥さんに説明する。

三平下から沼尻まで半分ちょっと歩いた頃、沼尻方面から歩いてきた単独行のおじさんとすれ違う。「沼尻の小屋が丸焼けだよ」と話しかけられる。「福島県警のテープが張ってあって、焼け跡で後片付けをしている」ということだ。「それでトイレが使えないって書いてあったんだ」と納得。尾瀬に来るというのに、その最新ニュースを知らなかったのだ。

「落雷で焼けたのかな?」なんて夫婦で話しながら、いよいよ沼尻に近づく。このあたりは再び湿原になっていて、木道の状態もいい。真ん前には燧ヶ岳がそびえ立つ。この30分くらいで雲がなくなって、頂上から麓まですべて見渡せるようになっている。ぐんぐん気温も上がってきて暑い。しかし尾瀬沼の水が尾瀬ヶ原へと下って行く沼尻川を越えると、焦げたようなにおいがして、行く手の木道が黒くなっている。

沼尻休憩所が、本当に丸焼けになっている。柱のいくつかは木炭状態で焼け残っているが、屋根も壁材もすべて焼けてしまっている。冷蔵庫や厨房の備品が見当たらなかったのは、焼けたのだろうかそれともすでに搬出したのだろうか。係りの人達が5、6人で、搬出する廃材をヘリコプター用に荷造りしていた。

帰ってから調べてみると、焼けたのは9月21日だからわずか1週間前。においが残っているのも無理からぬところであった。それにしても、沼尻休憩所が使えないと尾瀬ヶ原から尾瀬沼でもその逆方向でも、絶好の休憩スポットがなくなってしまう。今シーズンは仕方ないけれども、来シーズンには建て直されているといいなあ。

沼尻から尾瀬沼北岸を歩く。木道の状況は南岸とは比較できないほど整っていて、ほとんど散歩道のように歩くことができた。大江湿原に出てそのまま沼山峠に直行。楽勝だと思っていたら、3時間歩いた後の峠越えは結構厳しく、峠の休憩ベンチで一回休憩を入れなければならなかった。沼山峠に11時着。11時20分発のシャトルバスに乗って、車の置いてある御池に戻ったのでした。

 


尾瀬沼南岸の木道は、かなり傷んでいます。特に沼山荘のある三平下から先は、木道が崩壊して迂回路を通るところが何ヵ所か出てきました。


沼尻に近づくと、ようやく雲がなくなって燧ヶ岳がきれいに見えるように。


9月21日に全焼した沼尻休憩所。まだ石油系のにおいが漂っている。係りの人達が焼け残った柱などをヘリで搬出する準備をしていました。

 

この日の経過
沼山峠バス停 10:30
10:55 沼山峠 11:05
11:25 大江湿原分岐 11:25
12:20 小淵沢田代 12:45
13:35 只見幹線記念碑(昼食休憩) 14:00
14:25 小淵沢田代 14:25
15:30 尾瀬沼ヒュッテ(泊) 7:00
7:35 尾瀬沼山荘 7:45
9:00 沼尻 9:15
10:00 大江湿原分岐 10:05
11:00 沼山峠バス停
(GPS測定距離 初日 8.3km,2日目 9.9km 計 18.2km)

[Oct 12, 2015]