003 国立歴史民俗博物館 [May 10, 2006]

4月30日の日曜日、国立歴史民俗博物館に行ってきた。この博物館はわが家から印旛沼を越えて20分ほど、幕末の老中堀田正睦(ほった・まさよし)が出たことでも知られる佐倉城址にある。

博物館には縄文時代から近代までの歴史と民俗に関する展示が第1から第5展示室に分かれて配置されている(第3展示室は現在改装中)。以前来たときより、タッチパネル式のパソコン画面等が増えて、さらに見やすくなった。さて、この5月までの企画展示は「神社とは何か」である。先週訪れた出雲大社の他、伊勢神宮、厳島神社、八坂神社の計四社に関する展示が行われている。そんなの誰も行かないだろうと思ったら、結構混んでいた。

この四社の中で、他の神社と性格がやや異なっているのは厳島神社である。というのは、厳島神社と常にセットで語られており、今回の企画展示の目玉でもあった国宝・平家納経にみられるように、神社自体というよりもあっけなく滅亡してしまった平家の記念碑的な位置づけにあるからである(その意味で、平泉の中尊寺金色堂と同様であり、宇治の平等院鳳凰堂、京都の鹿苑寺金閣、日光東照宮にも共通の要素がある)。

他の三社は、いずれも異なる神々をお祀りしてあるのだが、共通項がある。これは日本の神道、というよりわが国の宗教観ともいえるものなのだが、「八百万の神」「さわらぬ神にたたりなし」の信念の下、創られてきたものなのである。「八百万(やおよろず)の神」というのは、神様というのは一柱ではなく数えられないくらいたくさんいるのだから、それぞれ尊重しましょうよ、という考え方である。

ちなみに、伊勢神宮は皇室のご先祖にあたる天照大神(アマテラスオオミカミ)を、出雲大社はそのアマテラス一族に国譲りをした(従ってそれ以前の支配者だった)大国主命(オオクニヌシノミコト)を、八坂神社は朝廷をさんざん悩ませた御霊(災害・疫病・飢饉等を招く怨霊)をそれぞれお祀りしたもので、祭神に共通項はない。にもかかわらず、それぞれの神社の初詣をはしごしても、ほとんどの人は違和感を感じないはずである。

併せて、「さわらぬ神にたたりなし」という考え方がある。つまり、単に存在を認めるだけでなく、それぞれの霊威を畏れるということである。このあたり、中国の道教の考え方とは近いようでかなり異なる。というのは、道教もそれこそ関帝とか媽祖とかいろいろな神を信仰するのだが、「現実の世界における自分の願いをかなえたい(現世利益)」ことから、効き目のある神は尊重するが他の神はどうでもいい、という側面があるからである。

一方わが国においては、現世利益を求めるというよりは、さまざまの災い(災害・疫病・飢饉等)を回避したいという側面が強く、だからある神をないがしろにしてその恨み(たたり)を買いたくないという気持ちがある。現代においては、そうした自然の脅威が薄れていることから、現世利益、つまり中国の信仰的な方向に行きつつあるのではないか、などと考えながら展示を見てきた。

その間、一緒に行った家の奥さんは、「何でここに来る人達は、みんな襟のあるシャツを着ているのだろう」と考えていたそうである。


国立歴史民俗博物館。あんまりよく撮れてませんが。

[May 10, 2006]