082 寮生活の思い出~せいうち日記82 [Mar 16, 2015]

春になると思い出すのは、はるか三十数年前、はじめての寮生活をしていた頃のことである。そしてなぜか、部屋でテレビを見て寝ていたこととか、毎日使っていた食堂・風呂のことはほとんど覚えていないのに、週末にしか行かなかった洗濯室で、その週に着た服や下着類をまとめて洗濯機に入れていた時のことをよく思い出すのである。

いまだったら寮の洗濯機なんか使わずにコインランドリーに行くだろうけれど、当時コインランドリーはなかった。だから寮生が交代で2槽式の洗濯機を使い、物干しスペースに干すのである。交代といっても実質は早い者勝ちなので、せっかく洗濯物を持って行ってもすでに全台使用済だったりすると持って帰らなくてはならない。物干しスペースだって同じことであった。

寮といっても会社の寮で、すでに給料をもらっている社会人なのに、なぜ交代で洗濯機を使わなきゃならないんだろうとずっと思っていた。もちろん、平日の夜にやるという手もあるのだが、当時は夜の10時11時まで残業で、食堂も風呂も終わっている時が多かった。とてもじゃないけれど、洗濯までする余力がなかったのである。

洗濯室と塀の隙間から、隣に建っているマンションが見えた。何で自分は、あのマンションに住めないのだろう。マンションに住めば、好きな時間に洗濯機も使えるし洗濯物も干せるのにと思った。寮は親元から通えない場所に転勤になった職員でほとんど一杯であり、洗濯機はいつも使用中であった。

そんなに嫌だったら、なぜマンションを買うなり借りるなりして引っ越さなかったのかと思われるかもしれない。まず買わなかったのは、ローンが組めなかったからである。当時は物件価格の30%の頭金+手続き費用が必要であったし、銀行の住宅ローン金利でも8.4%と高かった。ローンの期間も最長で20年、返済額と年収の制限もあったので、とても20代半ばの職員がマンションを買うことなどできなかった。

(当時は住宅ローンを貸す側だったから、よく覚えているのである)

もう一つ借りることができなかった訳は、その頃、若い職員が結婚もしないのに寮を出ることにいい顔はされなかったからである。独身の職員は独身寮に入るというのがデフォルトであり、そこで同じ釜の飯を食って仲間意識を高めるのが当然とされていた。別に、どこかに(就業規則とかに)書いてある訳ではない。不文律というか、当然従うべき職場の雰囲気がそうなっていたのであった。

まだ当時は若くて純朴だった私だが、そういう雰囲気に従うのは自分にとってよくないと感じて、半年ちょっとで独身寮を出た。本来は結婚してからなのだけれど、結婚は決まっていたので何ヵ月か前に引っ越したのである。以来、事情が許す限り住む場所は自分で気に入って選んでいるし、寮や社宅など職住接近した場所には近づかないで済んでいるのはありがたい。

いまにして思えば、寮生活や職場の雰囲気に同調できなかったことがその後何度も職を変えることにつながっているのだが、おそらく何回同じシチュエーションになったとしても、同じ選択をするだろうと思う。他人と一緒になって(もちろん奥さんは除いて)、同じことを同じようにするなんてことは、自分が自分でなくてもいいということなのだろうと思う。

話は戻って洗濯室のことだが、いちいち部屋に戻るのも面倒だしひとと話すのも嫌なので、たいていウォークマンでカセットテープを聞いていた(まだCDは一般的ではなかった)。よく聴いていたのはEPOで、 当時土曜の夜8時からやっていた「おれたちひょうきん族」のエンディングテーマを歌っていた。アルバムにもいい曲が多くて、聴いていたのであった。

現在でも通勤電車の行き帰りに聴いているiPODの中にもEPOは入っていて、「身代わりはバディー」とか「雨のめぐり会い」とかを聴くとその頃のことを思い出す。そのEPOのコンサートが職場のすぐ近くの大阪厚生年金会館であったのに、とても残業が終わらないだろうと思って自主規制してしまったこともあった。

そんなこんなで、10年以上いた最初の職場についてはいい思い出が少ない。できれば最初の会社選びからやり直したいと思わないでもないが、それができないのは、過去はやり直せないということが一つ。もう一つは、奥さんとその職場で出会ったからなのである。

[Mar 16, 2015]