083 ゴールデンウィークに「国見」~せいうち日記83 [May 13, 2015]

2015年のゴールデンウィークは後半だけで5連休という豪華版だった。仕事の都合で昭和の日までは出張、GWは後半だけとなったが、それなりに使いでのある休みであった。とはいっても、道路も混み宿も高いこの時期に、あえて外に出たいとは思わない。ここ数年は「国見」としゃれこんで、家の近所を歩くことが多い。

連休前半は暑かったり風が強かったりして、ハイキング日和になったのは連休最後の6日。市内を巡回するコミュニティバスに乗って市街地のはずれまで行き、田舎道に入ると昭和30年代とほとんど変わらない景色が広がる。私の住んでいる旧・本埜(もとの)村はさきの市町村合併で印西市となってしまったが、大半が市街化調整区域であることに変わりはない。

5分も歩くと辺りは見渡す限りの水田である。このあたりはGWに田植えをするので、最終日にはほぼ8割方田植えが終わり、植えられたばかりの稲の苗が風にそよいでいるのもかわいらしい。水を張ったせいか、げこげこと蛙の鳴き声が響く。ところどころに軽トラックが止まっているのは、田植え後のいろいろな仕事があるのだろう。

田植え機とすれ違いながら、印旛沼の方向へ歩く。このあたりは古くは江戸時代に田沼意次が干拓しようとした土地であり、近年では昭和30~40年代、政府の補助により整備された土地でもある。昭和はじめまで多くが湿地帯であったが、整備事業により長方形に整地された水田が遠くまで広がっている。

その時代の整備により、私の子供の頃はW型をしていた印旛沼が、北と南に分かれてその間を捷水路でつなぐ現在の形となった。そして、もと沼であったところが干拓されて水田となったのである。利根川河口近くの肥沃な土地なので、収穫されるお米もおいしいと評判なのだが、その後ほとんど間もなく減反政策の時代となってしまったのは皮肉なことである。

とはいえ、整備された土地の方が機械が入りやすく水も引きやすいため、減反されたのはむしろ江戸時代から耕作された古い水田であった。減反補助金はそろそろ廃止されると聞くが、それ以前に、専業農家の減少と農業従事者の高齢化により耕作不能地が増えていて、谷の奥深くにもともとあった水田は荒地となり、イノシシの活動するエリアとなっている。

数百メートルは続くまっすぐな道を歩きながら周囲の水田をながめていると、王様でも地主でもないけれど、自分の土地という愛着が沸いてくるのは不思議なものである。まだ植えられたばかりの苗が風にそよぐのを見て、今年も天気に恵まれて豊作になってほしいと思う。まさに、古代の帝王が行ったという「国見」と同じ気持ちなのではないだろうか。

この日の「国見」は4時間余り、万歩計によると20.7km歩いたことになるようだ。朝のうちはすずしかったが、正午が近づくにつれて日差しが強くなり、5月とは思えないくらいの暑さとなった。最後はさすがにバテてしまったが、稲にとっては幸いなことと慶ぶべきであろう。


スカイアクセス印旛日本医大駅から5分も歩けば、こんな風景になります。このあたりは古くからの水田。


こちらが整備された印旛沼近くの水田。こういう風景を見ると、今年も豊作になってほしいと心から思います。

[May 13, 2015]