031 アルジェリア人質事件についての感想 [Jan 24, 2013]

アルジェリア東部イナメナスの天然ガスプラントで起こった人質事件は、最初に逃げることができた人以外は絶望的という痛ましい結果となった。こうした事件で思い出すのは、はるか昔私が就職した当時のことである。

1970年代の第一次・第二次オイルショックを契機に、政情が安定しているとみられていたイランに、三井物産を中心とした日本の企業グループが数千億円に及ぶ大規模な資本投下を行った。石油の安定確保が喫緊の課題であったことと、当時産油国の中では欧米寡占資本(石油メジャー)がイランにはあまり進出していなかったことが要因であった。

当時のゴルゴ13にも登場するパーレビ国王が第二次世界大戦前から治めていた国で、石油価格高騰を背景に近代化政策を進めていたのだが、それに反発するイスラム主義勢力が蜂起して1979年にイラン革命が勃発。パーレビ国王は亡命、国外追放されていたシーア派の指導者ホメイニ師が帰国してイラン・イスラム共和国が成立した。

以降、アメリカ大使館人質事件、イラン・イラク戦争と続き、イランの政情はきわめて不安定となった結果、日本の企業グループが投下した資本はすべて回収不能となった。建設途上のプラントは産業廃棄物となり、砂漠に敷かれたパイプラインもメンテナンスできないまま使えないものとなってしまった。

ちょうどこの頃が私の就職時期である。数千億円を砂漠に捨ててしまった企業グループへの就職を考えていて、やはり海外は危ないと危機感を持ったものであった。結局就職したのは、そうした最前線とはやや距離があると思われたそのグループの銀行である。

さて、その銀行には、私の小学校からの親友の叔父さんが勤務していた。当時は海外支店の支店長をされていたから、幹部職員である。ところがその支店長が現地で交通事故に遭い(現地の運転手が運転していたという)、亡くなられてしまったのである。交通事故は万国共通かもしれないが、当時の感想として、やっぱり外国はこわいと思ったのであった。

以来、新婚旅行で西海岸に1週間行った他は、40歳過ぎて海外カシノに目覚めるまで、パスポートを使ったことはなかったのである。その後は数十回という単位で外遊しているが、SAASが流行れば行かないし、中韓関係が厳しくなれば控えることになる。そうこうしているうちに、仕事が大変になって行きたくても行けなくなってしまった。

話を戻すと、日本国の主権が及ばない場所に行くということは、程度の差はあるとしても必ずリスクは伴うのである。無抵抗の民間人を巻き込んで銃撃戦というのは現代の日本ではありえないが、先方にとっては他人の国で商売している異教徒にすぎない。150年ほど前には、日本だって大名行列を横切ったイギリスの民間人を切り捨て御免にしているのだから、あまりえらそうなことは言えない。

日本語も使えないから、例え自分がカムイで手のひらに「夙」と書いて見せたとしても武装勢力がひるむとは思えない。海外で丸腰の場合、身を守る手段も限られる訳である。だとすれば、「武士は用事のない外出はしない」というのも、一つの生き残り策なのかもしれない。

[Jan 24 ,2013]