037 経済暴論[Sep 16 ,2013]

先日来、経済に関していろいろな考えが浮かんでいる。この間、山形浩生からクルーグマン(2008年ノーベル経済学賞)を読んで刺激されたのがはじまりなのだけれども、考えているだけだと忘れてしまうので、せっかくだから記事に残しておくことにした。

まず最初に結論だけ述べておくと、以下のとおりである。

1.アベノミクスとして展開されているインフレ・ターゲット(いまはリフレ政策とか言うようですが)はいいことだと思う。でもそれは、世間で言われているように景気を良くするからではなくて、現代版の徳政令としての効果が期待できるからである。

2.「三本の矢」として成長戦略が重視されているようだが、わが国においてこれ以上の経済成長は望み薄である。国内マーケットは人口減により先細りが避けられないため、必然的に国外のマーケットでシェアを伸ばさなくてはならないからである。資源がなく人件費が高いわが国にあって、TPPにより貿易が自由化に向かえばシェアを確保するだけで手一杯である。

3.過去において、好景気が実感される時代には労働市場が「売り手市場」となっている。仮に現在のスキームで数字だけ成長したとしても、「売り手市場」が実現しない限り、いわゆるセレブ(上位1%未満の所得層)の所得は伸ばすかもしれないが、国民の多くが景気回復を実感することはないであろう。

以下、それぞれの論旨について詳しく書いてみる。

—————————————————–

まず第一の論点であるリフレ政策について。いまわが国ではアベノミクスということでインフレ・ターゲットを目指した財政金融政策がとられているが、クルーグマン先生いわく、これは日本が流動性のわなの状態に陥っていて、金融政策が効かない状況にあることから、ここから脱する手段として有効だという考え方である。

確かに、金利は現在限りなくゼロに近いから、これ以上金利を引き下げることは困難である。しかし、インフレというからには金利も上がらなければならないのだが、もしかすると金利を上げることは政治的に難しいのではないか。そうなるとわが国の現状は、金利が上方にも下方にも硬直してしまって動かすことが難しくなっていることになる。

昨年来の景気上向き効果(のように見えるもの)は、政府・日銀のアナウンスにより為替が円安に動き、それに伴って輸出企業の収益増期待から株価が上昇し、資産効果により消費が伸びているというのが実情である。

しかし、アナウンスどおりにインフレに向かうのであれば、中長期的に金利は上昇しなければならない。実質金利(最低が0)プラスインフレ率が名目金利だからである。ところが、金利が上昇すると銀行・保険会社の持っている国債価格が下がるので、それらの企業の収益悪化予測から、株価は下げに転じる(実際に金利が0.9%に上がっただけで株価に影響した)。

つまり、いまアベノミクスがやろうとしていることは、インフレを起こすと消費者には思わせつつ、実際にはインフレは起こさないというアクロバティックな政策運営なのである。デフレ克服といいつつ、本当に逃れたら別の問題が出てくるというのがいまの状況なのである。

 

さて、マネーサプライを増やすと言うのは簡単だが、実際にどうするかは簡単ではない。それができるのは中央銀行(日銀)だけだが、日銀がおカネを増やそうと思ったからといって、諭吉をたくさん刷ってスカイツリーの上からばら撒けばいいというものではないのである(そうしてくれたらうれしいが)。

会計処理上、日銀がマネーサプライ(=流通する日銀券)を増やそうと思ったら、基本的に手段は二つしかない。マーケットに流通している債券(おもに国債)を買ってその代金を日銀券で支払うのが一つ。もう一つは市中銀行に貸出しを増やすことである。いずれの場合も、日銀は日銀券を増やす代わりに、債券または市中銀行への債権を増やして帳簿を合わせるのである。

(厳密に言うと、他にもドルやユーロを買うとかの手段もあるが、量的にはこの2つの手段が圧倒的といっていい)

まず債券を買う場合(いわゆる買いオペである)、仮に供給が同じで需要が増えることになれば、売る人より買う人の方が多いことになるから、債券価格は上がる。債券価格が上がるイコール金利が下がるということだから、低くなった金利でおカネを借りてでも設備投資しようという人が増えて、景気はよくなるというのが金融政策の目論見である。

ところが、金利はゼロ以下には下げられない。現在のように限りなくゼロ金利に近づいている場合は、「流動性のわな」といって、それ以上マネーサプライを増やしたからといって景気を刺激することはできない。8%と7%の金利差は大きいが、0.8%と0.7%では大して変わらないのである。

そして、ここで仮に売りの方が多くなって債券価格が下がり、金利が上がってしまうとどうなるかというと、日銀は資産として抱え込んでいる債券価格に含み損が発生してしまう。売りの方が多くなる事態というのは、例えば日本国債の信用度が急に下がってしまうような場合がありうる。

日銀にとって最も重要なのは目先の景気対策よりも、国の信用、円の信用を守ることである。韓国、アルゼンチン、ギリシャのように絶対ならないことが重要なのである。したがって、そういったリスクを度外視して無制限に買いオペを続けることは考えられない。

(と下書きしていたら、水曜日くらいの読売新聞で同じようなことを書いてあった。)

市中銀行にしても同様で、大事なのは何より自分の銀行が存続することである。景気回復のために貸し倒れの危険性の高い融資をして貸出しを増やし、その資金を日銀から借り入れるなどというリスキーなことをそうそうするとは思えない。せいぜい、住宅ローンを増やすくらいだろう。

繰り返すけれど、マネーサプライを増やすことは、口で言うほど簡単ではないのである。

次に指摘されることは、いま世界は資本・労働・財・サービスの移動が国境を越えて流動化していることである。いい悪いは別として、またある程度の制限こそ残るとしても、世界が一つのマーケットとなりつつあるということである。

世界が一つというと耳ざわりはいいのだけれど、実際に起こることは、労働力はいちばん労働単価が安いところで調達され、製品はいちばん製造価格が低いところで生産されるということである。労働単価が低いのは開発途上国ないし通貨が弱いところであり、製造価格が低いのは、原材料がより安く調達できるところ、製造コストが少なくてすむところ、排気、排水などの規制が少ないところである。

いろいろなものが安く手に入るようになったと喜んでいたら、農業生産も工業生産も国内では行われないようになって、ますます国内の労働需要が少なくなる(働くところがなくなる)。次に円安が来れば、輸入物価が上がってこれまでの値下がり分がいっぺんに飛んで行ってしまうこともありうるのである。

 

 

自由化やグローバリゼーションがいいことだと、マスコミでは無条件に前提されているようだ。反対する人達の意見(日本だったら農家の人とか)も公平に取り上げているようであるが、よくみていると既得権益を守ろうとしているようなニュアンスで伝えられる。それではグローバリゼーションが進むと本当に暮らしやすい世界になるのだろうか。

リフレ政策を推進しているクルーグマン教授(2008年ノーベル経済学賞)の本に、実は、こんなことが書いてある。1980年代以降の米国の階層別の実質所得(収入)がどうなっているのかをみると、平均的な階層(上からも下からも半分くらい)では実質所得は減っているのである。上位20%の階層でも、平均すると大した伸びではない。

それではどこが伸びているのかというと、上位1%とか0.1%とかきわめて狭い階層で、実質所得が数倍にも伸びているのだそうだ。(「さっさと不況を終わらせろ/End This Depression Now !」 Paul Krugman 2012 第5章)

つまり、グローバリゼーションというのは、おカネ儲けの非常にうまい人達の中でさらに勝ち残ったわずかな人達がすべての分け前を持って行ってしまい、平均的な階層は所得水準(≒生活水準)が下がっていく世界なのである。

それでも、世界全体の1%なら日本国内でも1%というのならまだいい。実際には資本や財・サービスの流れには国境はないというのがグローバリゼーションだから、資源がなく労働単価が高く、言語などの非関税障壁がある日本は不利な立場であることは間違いない。おそらく世界全体の1%のほとんどは米国or多国籍企業の経営者ということになるだろう。

TPPなどといって自由化を推進しても、いいことはあまりない。自由化最先端の米国では、個人経営の農家は続々と企業経営に飲み込まれていて、いいところはほとんど大資本が持って行ってしまうそうである。フライドチキンがいくら売れても儲けはすべてケンタッキー本社で、生産農家には1羽数十セントしか入らないというからすさまじい話である。

さらに、日本の総人口は4年前から減少に転じている。出生数も回復の目途が立たない。国内マーケットがしりすぼみである以上輸出に頼らざるを得ないが、生産も海外、消費も海外であるものがどうやって国内景気を下支えするのだろうか。

このように、いま進められているリフレ政策、自由化促進には首をひねる点が多々あるのだけれど、それでもこの政策が悪いことではないと思うのは、インフレには債権者に不利/債務者に有利という徳政令の性格があるからである。

わが国には経済の行き詰まり期には徳政令を行い、債務者の負担を軽減し消費を刺激してきた伝統がある。インフレターゲットで景気を回復することは難しいかもしれないが、借金を実質的に目減りさせるのは悪くない選択である。

例えば国が国債金利を払えなくなってデフォルト(債務不履行)ということになれば、円・株・債券はトリプル安となり、輸入もできなくなって食糧や燃料が不足し大変なことになるが、インフレにより穏やかな形で債務を実質的に軽くしていけば、デフォルトのような悪影響が避けられるかもしれない。

 

 

これまで述べてきたように、リフレ政策は口で言うほど簡単にできることではないし、できたとしても国内景気を伸ばすことは難しい。さらに、仮にGDPを増やすことができたとしても、そのうまみはごく一部の高所得者のみが味わうことになる可能性が大きい。それでは、どうすれば本当の意味で、景気が良くなったと多くの人が実感できるのだろうか。

それに関しては一つの経験則がある。これまで数十年の景気の上げ下げをみていると、多くの人が景気がいいと思える時期というのは、労働市場において売り手市場であること、つまり、働き手の方が少なくて働き口の方が多いという状況なのである。

1960年代の高度成長期においては、集団就職の中学高校卒業生は金の卵といわれた。まだ日本全体が貧しく労働条件は厳しいものであったが、労働の流動性も高く、勤め先を辞めたからといって、転職に差し支えることはなかった。この時代の就職市場については実際に経験した訳ではないが、新旧の映画やドラマでそういう場面が出てくる(古くは天地真理や浅田美代子、最近では堀北真希とか)。

1980年代のバブル期には、会社訪問解禁となった大学生を、多くの会社が拘束して他社を訪問させないという時期があった。ある会社などはバスで田舎にある会社の保養所に連行したり、OBがマンツーマンで付き添い昼間からご接待したという。私の就職はそのわずか2、3年前の第二次オイルショック時だったので、そういういい目はみられなかった。

それでは、いまの時代にそういう状況が考えられるかというと、すぐには難しいというのが正直なところかもしれない。バブル時代末期に、男女雇用均等法と労働者派遣法により、労働力の供給過多と労働単価の切り下げが構造的に行われたからである。この二つの法律をなくさない限り、そう簡単には売り手市場とはならない。

長期的にみると、今後も出生数は減少し続ける上、わが国が移民を認めるとも思えないので、いつかは労働供給の方が少なくなり売り手市場となるはずである。しかしそれは、少なくとも私が現役世代(労働力人口)でいるここ数年の間ではない。当分の間、国民の多くが景気回復を実感できることはなさそうである。

オリンピックに期待する向きが多いけれど、前にも書いたように1964年とは時代が違う。結果的には一部の業界(広告代理店や建設業)が一時的に潤うだけだろう。一方で消費増税はじわじわと生活を圧迫する。増税前に駆け込み消費があるだろうが、その分増税後に「倍返し」されることになる。

ただ、目先を変えるという意味で検討してもいいと思えるのは、デノミである。いまの状況でデノミを行う口実はほとんどないが、少しでもインフレの気配がみえてきたら、デノミをしてみたらいいと思う。デノミによって貨幣価値が変われば、いままでの政策の延長では難しかった消費刺激もうまくいくかもしれない。

とはいえ、個人的には現在の状況は、世界のいくつかの国が陥っているような破滅的なものではないと考えている。食糧や燃料が安定的に確保でき、選り好みさえしなければ仕事がない訳ではないというのは、けっしてわが国の経済財政政策が失敗した結果ではなく、むしろ成功している結果なのではないかと思う。

その意味では、無理に景気を良くしようと試みて円・株・債券トリプル安というのが、最悪のパターンになるのかもしれない。

[Sep 16 ,2013]