038 食材表示が違うのはそんなに悪いことか [Feb 3, 2014]

この間、奥さんと回転寿司に行った。回ってくる「えんがわ」とか見ながら、「これ全部本物じゃないよね。」って話していた。別にニセモノだって構わないと思っている。本当の本物が1皿2カンで100円の訳はないからである。

昨年、バナメイエビを車エビと言って騒ぎになった事件以来、そういうことにうるさい風潮である。消費者庁によれば、マスで作ったら「シャケ弁当」と表示してはいけないらしい。そうなると、「牛鮭定食」もだめである。はっきり言って、どっちでもいいことである。というよりも、こういうことばかり目くじらを立てていると本質を見失うことになると思っている。

食品衛生や生産地に関することは、きちんとしなければならない(賞味期限は実はいいかげんだが、それは置くとして)。それ以外のことは、本来、消費者が値段と品物を見比べて判断すべきことである。カラフトシシャモをシシャモと思って食べていても実害はない。食べて分からなければ、ずっと生だろうが冷凍して解凍したものだろうが同じである。

世の中は嘘とはったりで満ち満ちている。もしかすると嘘やはったりではないかと疑うのは、人間の基本的なディフェンスである。そもそも自分の判断力のなさを棚に上げて、情報が正確でないことを声高に主張するのは、行儀のいいものではない。値段のわりにものが良ければ十分だし、そうでなければだまってその店に行かなければいいことだ。

それに、正しく表示すべきだという建前論を徹底すれば、タラバガニはカニでないとか、シラスは100%いわしだけでないとダメとか、どうでもいいことが本質にされてしまう。日ソさけます漁業交渉の昔から、さけとますは同類である。これを機に、長年親しんできた「塩じゃけ」という言葉がなくなる方が文化的に問題である。

「表示は正しく」というのは正論には違いないが、その内容としては法的に規制されるべきものと、商売人の仁義・マナーに任せるものとがある。今回問題になっているものの多くは後者である。鮭弁当にマスを使う店を敬遠するのは自由だし、一方でマスだと分かって鮭弁当を買うのも個人の自由である。そんなことを他人や行政に口出ししてほしくない。

本来であれば、「マスを使っているのに鮭弁当と名乗るな」などと主張する人には、「じゃああんた、他の店使ってくれよ」と答えるのが正しい。バブル以降の不景気の中で、客は店より偉いということになっているが、取引というものは売手も買手も立場的にはイーブンなのである。店を選ぶ権利の反対側には、客を選ぶ権利もある。

もう一つ嫌なのは、情報をヒステリックに求めるばかりで、一歩進んで本質を考える習慣があまりにも欠けているように思うからである。

原発事故以来、放射能の測定値はどの新聞にもインターネットにも出ている。そこから一歩進んで、じゃあその数値で安全なのかどうかという議論は誰もしなくなってしまった。しかし現実には、北関東・東北の山菜のほとんどが出荷停止のままである。出荷停止の基準が厳しすぎるのか、実は環境そのものが危ないのか、誰もが無関心である。

大事なのは情報そのものではなくて、それをどう判断するかということである。他人の言うことは全部本当でなければけしからんと言っているような人は、振り込め詐欺にひっかかったり高利の投資話に騙されることになるし、もしかするとそういう人が詐欺を働いている張本人なのかもしれないと思っている。

[Feb 3, 2014]