039 障害者支援を商売にする人たち [Feb 14 ,2014]

なんたら河内守という人のゴーストライター騒ぎが、話題になっている。NHKが朝7時のニュースでトップにするほどの事件かと言われると首をひねるところだが、この件について私に近い感想を書いている人がいないようなので。

この話を聞いて最初に思い出したのは、もう7、8年前のことになるが、珠海(マカオから中国本土に入ったところである)でオフ会をやった時、会場から出てきたわれわれのところに物乞いの人達の集団が現れた時のことである。

すかさず、参加者の一人で中国事情に詳しい人が、「おカネあげちゃだめですよ!」と強い調子でみんなに言ったのである。「そんなのみんなヤクザに渡っちゃうんだから。そうやっておカネが取れると分かれば、奴らはわざと障害者にしたりするんだから。絶対だめですよ。」

恵まれない人を見てかわいそうだと思い、ハンディキャップのある人を見て何とか助けてあげたいと思うのは、人間の自然な感情である。そういう甘さを利用して、障害のあることすら商売にしてしまう、儲けになるならばわざと障害者にしてしまうというのが彼らの手口なのだ(中国の古代史を勉強すると、そんな話は結構出てきたりする)。

結局、日本のマスコミも、いかがわしさ加減では彼らと変わらないということである。視聴率が取れると思えば、昔からそうしていますという顔をして障害者を持ち上げるし、障害者が優遇されるのは当たり前のようなことを言う。ありもしない障害をでっちあげるなんて朝飯前。何せ、障害者を疑うことは許されないからだ。

障害があろうがなかろうが、才能の有無とは関係がない。障害があるから視聴率が取れて、視聴率が取れるから音楽がすばらしいなどということはありえない。あるとすれば「障害があるにしてはすごいね。」ということであり、これは逆の意味で障害者を差別している。そのくらいのチェックができずに、垂れ流しを続けたのが今回の事件の本質である。

これとよく似たことで私が大嫌いなのはパラリンピックである。障害のある人がスポーツを楽しむことは非常にいいことで、そのための環境を整えることは当然である。しかし、そこでなぜ「人と競う」ことが必要なのか、全然分からない。

障害の程度は人によって全然違う。だから、条件が違う他人と競うことに全くといっていいほど意味はない。百歩譲ってモチベーションを高める効果は認めるとしても、日本で何番目だの、世界で何番目だの、そのための選手強化だの、何を言っているんだかという感じである。

そんなことで人目を引く、注目を集める、視聴率を上げてカネにしようとするのは、そういう奴らなんだからあきらめる他はない。問題は、いいことをしたような気分になって実は全くその人達のためになっていない、われわれ自身のあり方である。

いつの間にかこの世界は、カネになれば何でもいいという価値観、いわゆるグローバルスタンダードがメジャーになってしまったのだろう。その意味では小泉父とかホリエモンの罪は非常に重いように思うが、あるいはこの風潮は、織田信長の楽市楽座から始まっているのかもしれないとちょっと考えたりする。

ちなみに、障害のある人達に少しでもサポートしたいと思ったら、信用できる社会福祉施設を自分で選んで支援したり、公的機関である共同募金会や社会福祉協議会に寄付したり、自分でできる範囲のことを黙ってやるのがあるべき姿である。大声で福祉福祉と大騒ぎする人達は、河内守とおんなじで、障害を商売にしようとしているとみて間違いない。

[Feb 14 ,2014]