011 菜の花と吉植庄亮先生 [Mar 10, 2010]

いまの時期、わが北総地域は菜の花が旬である。産直に行くと、取れたてで生きのいい菜の花がたっぷりで100円である。だから、毎日おひたしにして食べている。菜の花だけでも、鶏肉(ささみとか胸肉)と和えてもおいしい。

菜の花は小松菜、からし菜、キャベツ、ブロッコリーなどと同じアブラナ科の野菜なので、基本的に煮ても焼いても茹でても食べられるけれど、あまり熱を加えないのがおいしい。とても生きがいいので、さっと湯がくだけですぐやわらかくなる。味付けはからし醤油。季節のものなので、ここしばらくだけの味である。

話はいきなり飛んで、土曜日の読売新聞一面の「編集手帳」に吉植庄亮(よしうえ しょうりょう)という人の話が載っている。明治生まれの歌人だそうである。ほとんど読んだことがない欄なのにこの日はなぜか目について、吉植という名前にも何か見覚えがあるようなした。もしかしたら、わが本埜村の奥に行くと何ヵ所かに書いてある「吉植先生」のことかもしれない。

調べてみたら、やっぱりそうだった。吉植庄亮氏は明治7年生まれの歌人・政治家で、昭和11年に政友会から衆議院議員に当選(3回)。印旛沼の開墾をするかたわら、農村生活を歌った作品を発表したということだが、この開墾を行った場所というのが、わが本埜村なのである。

以前から村の印旛沼沿いの方を歩くとよく「吉植先生」と書いてあるので、おそらく新田開発か治水に功績があった人なんだろうとは思っていたが、歌人とは予想外であった。北原白秋とも親交が深かったらしい。読売新聞には、次の歌が引用してあった。

豊葦原瑞穂の国の国民(くにたみ)に生まれて楽しわれは百姓(たづくり)

本埜村は利根川と印旛沼に挟まれた低地にあるため、土地が肥えていておいしいお米ができるのだが、ひとたび利根川が増水すると村ごと水面下に沈んでしまう。そのため古い農家の土蔵は2階建で作ってあるくらいである。だから「楽し」などと歌ってはいるものの、豊作と水害が紙一重で楽しんでいる余裕はなかったはずである。

だから、北海道の開拓地に転居してしまった人達も多かったという。新十津川の北、暑寒別岳のふもとにある北竜町へ移住して行ったのだが、その中心であった人も吉植という苗字らしいので、あるいは血縁なのかもしれない。それで、本埜村と北竜町は姉妹町村ということになっていたのだが、今後はどうなるのだろうか。

最近では利根川が堤防を越えて増水することなど数十年間なく、秋になるとおいしいお米がたくさんできる村である。もしかすると、この吉植氏は村が生んだ唯一の国会議員だったのかもしれない。さ来週くらいに「閉村式」が行われるそうなので、空前にして絶後ということになる。


100円の菜の花。今日は2束買いました。

[Mar 10, 2010]