021 房総風土記の丘から印旛沼 [Oct 2, 2016]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

四国お遍路を控えて、前回は本埜村役場から県道本埜線まで13km歩いた。1日置いて、家の周りを8km歩いた。日程的にこれ以上は難しいと思っていたのだが、10月2日の日曜日は30%の降水確率の予報だったのに、朝から青空がのぞいている。この日は買い物を予定していたのだけれど、予定変更して歩くことにした。

前回は本埜村と栄町の境界あたりまで歩いたので、今回はそこから先を歩いてみることにした。JR成田線で安食(あじき)まで行って、安食から房総風土記の丘、下総松崎駅で成田線を突っ切って印旛沼に向かい、甚兵衛渡しから印旛村に入って、印旛村役場まで歩くとほぼ20kmになる。全部は難しいとしても、本番に向けてできれば15kmくらいは歩いておきたい。

安食の駅からしばらく県道を進み、「房総のむら」の標識にしたがって左折し跨線橋を渡る。北総栄病院で今度は右折し、酒直台という住宅地を進む。北総栄病院はこんな田舎にあるのに、スポーツリハビリで有名なんだそうだ。住宅地を過ぎて坂を登り、廃校になった酒直小学校のあたりで右の細い道に入ると、道なりに房総風土記の丘となる。

房総風土記の丘は龍角寺古墳群を整備した県立公園で、大小114の古墳がある。大部分は長径十数m程度の円墳・前方後円墳で、堀はなく、古墳の境目も明確でない。いまは林の中で見通しはきかないが、時々木の切れ間から印旛沼が見える高台にある。印旛沼周辺を拠点とした古代の豪族が墳墓とするにふさわしい土地であっただろう。

説明板によると、造られたのは5世紀から8世紀という。近畿圏と比較すると二、三百年遅い。確かに、最も大きい岩屋古墳は一辺約80mの方墳なので古墳というイメージだが、それ以外はやや大きめの土饅頭という感じである。印旛村には松虫姫が転地療養に訪れたという伝説があり、松虫姫とは聖武天皇の皇女不破内親王とされるから、奈良時代末にある程度開けていた地域であることは間違いない。

だとすると疑問なのは、すでに日本書紀も書かれている時期に造られた古墳にもかかわらず、施主が誰だかよく分からないということである。そもそもこの地域が開けて中央の記録に残るのは平将門以降であり、千葉氏(将門と同様、桓武平氏である)以前の支配者がどの一族であったのかは定かでない。とはいえ、これだけ大規模な古墳群を残すだけの力を持っていたのである。

風土記の丘を抜け、坂田ヶ池という小さな沼を過ぎ、再び成田線の線路を渡ると、ほぼ真っ平な道となる。このあたり、もともとはすべて印旛沼で、古くは田沼意次の時代、近年では戦後の土地改良により、沼地を干拓して水田になった地域である。一区画が相当に広く、まっすぐな道に首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)の標識が続く。

関東ふれあいの道は、房総半島に行くと整備してくれて本当にありがたいと思う登山道なのだが、このあたりではスカイアクセス&千葉北道路の工事により進路が分断されている。「ふれあいの道迂回路」という小さな標識はあるのだけれど、どこにどうつながっているのかは勘に頼る他ない。まあ、甚兵衛渡しの方向は印旛沼を左回りに進めばいいので迷うことはない。

甚兵衛渡しは印旛沼に橋がかかるまで渡し船があったところだというのは知っていたが、甚兵衛さんが誰かというのは知らなかった。もともと渡し船のあったところは松林のきれいな公園になっていて、そこに掲げられていた説明板によると、甚兵衛さんとはあの佐倉宗吾の話に出てくる登場人物なのだそうだ。

佐倉宗吾については、京成線に「宗吾参道」という駅もあり、その近くに宗吾霊堂というお堂もあるけれども、年貢軽減を将軍に直訴した義民というのは江戸時代末期に作られたお話だそうだ。実際に年貢軽減を訴えて処刑されたことは確かなようだが、時の藩主である堀田正信が不祥事により改易され、それが「惣五郎の祟り」とされてお堂を建てお祀りしたのが発端らしい。

安食から房総風土記の丘経由成田線の線路まで約6km、そこから甚兵衛渡しまでやはり約6km、もうすでに12kmは歩いている。そろそろ撤収に移ろう。印旛沼を渡って印旛村に向かう道は国道464号1本なのに、片側1車線でしかも歩道がない。それで現在、千葉北道路を作っているのだが、スカイアクセスが通ってもう6、7年経つのに工事はなかなか進まない。

ときどき立ち止まって車の過ぎるのを待たなければならないくらい道幅が狭く、加えて雑草が伸び放題なのでさらに狭く感じられる。国道なのにこの状況はひどいが、車の方も歩く人がいるとよけなければならないので大変そうである。なんとか渡りきって、ここからは国道を離れて自転車専用道を歩く。

時刻は正午過ぎ。それほど暑くならない予報だったし降水確率が30%もあったのに、空は青空、さえぎるもののない強烈な日差しである。しかも、印旛村の奥地は自動販売機空白地域である。手持ちの水でがまんするしかないが、朝買ったペットボトルはすでに温かくなってしまった。

吉高の大桜のあたりであきらめて、奥さんにメールして迎えに来てもらうことにした。このあたりの目印は印旛中央公園。大桜の入口から5分ほど戻ったところである。ここから家まで歩き通すと1時間以上かかる。本番が近いのに無理をすることはない。歩いている間は気付かなかったが、長袖から出ている手の甲が日差しで真っ赤に焼けている。このあたりが潮時だったようだ。

帰ってからGPSからデータを落としてみると、4時間20分で16.7km歩いていた。20分くらい休憩したので、時速にすると4.2km、まずまずである。そして、16kmというのはお遍路で午前中に歩く距離だから、まずまずの準備ができたと思う。あとは、荷物とか着替え、携帯品の準備と、コンディションを整えて当日を迎えるだけである。


房総風土記の丘は、竜角寺古墳群を公園として整備したもので、100以上の古墳がある。


風土記の丘から印旛沼までは、首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)として整備されている。印旛沼に近づくと、干拓地に作られた水田がどこまでも続く。


甚兵衛渡し付近から北印旛沼を望む。まだまだ自然が残っている風景とはいえ、現在ではカミツキガメの巣となっている。

[Oct 6, 2016]