052 パラリンピックとpolitical correctness [Sep 22 ,2016]

ようやくオリンピック・パラリンピックが終わって、午前6時台のNHKが通常放送になった。私はオリンピックもパラリンピックも見たくないので、通常放送に戻ってくれてうれしい。日本中に私のような人間はたくさんいると思うのだが、気のせいだろうか。デジタル放送で多チャンネルにできるのだから、NHKもいろいろやり方はあるはずなのだが。

オリンピックについても言いたいことはたくさんある(なぜ日本選手が活躍する競技ばかり放送するのか、とか)が、今回はパラリンピックについて一言。パラリンピックをオリンピックと同様の扱いで放送することについては、たいへんうさんくさいと感じている。ひとつはPolitical Correctnessに対するものであり、もうひとつは障害者を商売のタネにすることについてである。

Political Correctnessを直訳すると政治的正当性ということになるのだろうが、実際にはほぼイコールで差別の撤廃という意味に使われている。人種、国籍、性別、障害の有無、性的少数者などで人を差別すべきではないというのは当り前のことで、そのことにもちろん異議はない。だからといって看護婦を看護師と言い換えたり、パラリンピックをオリンピックと並列で扱うことに意味があるのかという話である。

Political Correctnessに表だって反対するのには勇気がいる。ヘイトスピーチをする人と同列に思われてしまうからである。しかし、昔だって差別をするのはおかしいと思う人はたくさんいたけれども差別はあからさまにあった。いまは世間はPolitical Correctnessを重視すると言っているけれども、かえって差別は奥に潜んだ陰湿なものとなっているように感じるし、それを濫用して自分だけに有利な取扱いを要求する人が増えた。

たとえば、女性専用車両はここ数年で定着した。首都圏では女性専用はラッシュ時間帯の上り電車だけで、これは当初の意図に沿ったものなのだが、関西圏では真昼間がらがらの時間帯に専用車両がある。それも、階段に近い乗りやすい場所にあるので、先だってあわてて乗り込んだところ、「ここは女性専用ですよ」と白い目で見られた。

もともと女性が不愉快な思いをしないように専用車両を作ったのであって、がらがらの時間帯に専用車両を設ける意味はない。本来、サービスに差をつけるのは公共交通機関の姿勢として望ましくないのに、実際には女性のみに有利なサービスを提供させている。大阪のおばさんにとっては既得権なのだろう。そんなものを作るくらいなら、シルバーシート専用車両を作るべきであろう。

Political Correctnessとは、端的に言って真昼間の女性専用車両のようなものである。そういう言い訳を使うことによって、自分だけに有利な取扱いを求める人がいて、建前上それに反対することができなくなっている。かつてはそうしたこともやむを得ない状況があったが、いまではずうずうしい人が自分の属性に関係なくそれを主張している。

看護婦を看護師と言い換えるよりも、世の中にあふれているナースのコスプレを禁止した方が、看護職の女性に対する差別をなくすのに有益なような気がする。でもそうすると、性的少数者の差別につながるといって、これもまたPolitical Correctnessに引っかかるのだろうか。

私はサラリーマン時代に障害者福祉に関する仕事もしていたけれども、この世界はきれいごとではすまされない。例の神奈川県立施設の事件報道がほとんどされなくなったことに如実に現れているように、建前と本音がかけ離れている。一口に障害といっても身体障害、知的障害に近年では精神障害も加わり、障害の程度だってもちろん一様ではない。

パラリンピックの報道を大きくすることにより、障害者への理解が進めばそれはそれで意味があるけれども、実際にはそんなことにはならない。パラリンピックに出ている人のほとんどは身体だけの障害であり、だから飛行機に乗ってリオにも行けるし競技にも出られる訳だけれども、身体だけの障害ではない人もたくさんいるのである。

そして、障害の程度だって一様ではないから、どの競技だって同じ条件でやっている訳ではない。だから、金メダル銀メダルなどと成績に一喜一憂することにほとんど意味がない。そしてオリンピックと同様にドーピングが禁止されているから、人によっては治療すべき病気を治療しないで競技をすることになる。東京パラリンピックに向けて強化などと言っているけれど、オリンピックとは違うのである。

おそらく、商売重視のIOCがパラリンピックにも同様の扱いを求めている裏には、障害者スポーツに対する設備投資(バリアフリーのみならず障害者専用施設まで含めて)や機器の普及(競技用車椅子はかなり高価である)があるのだろう。確かに、それはそれでいいことである。公共施設が障害者の利便性を考えたものとなるのはたいへん結構なことである。

しかし、逆に考えれば、障害者スポーツを見世物にして、関連する建設業界、健康機器業界等々の商売のタネを作っているということにもなる。悲しいことだが、「社会福祉」と口では言いつつ実際には自分の懐を肥やすことだけを考えている人間は少なくない。それが人間であるといえなくもない。だからといって、そういう人達の商売をさらにやりやすくすることはない。

私は年末には社会福祉のための募金にできる範囲で協力することにしているが、周りをみているとそういう人はあまり多くない。そして、そういう些細な募金が集まってできる金額も、それほど多くはないだろう。だから、税金を使って大きくやるのだという考え方はあるのだろうけれども、私はその考え方が好きにはなれない。カネの多寡よりも善意が大切だと、きれいごとかもしれないが信じているのである。

[Sep 22 , 2016]