110 宇佐八幡宮 [Jan 4, 2010]

日本史ファンなら一度は行ってみたい宇佐八幡宮。私もチャンスを狙っていたが、なかなか機会がなかった。九州の方ならご存知のように、宇佐は北九州と大分のちょうど中間になるので、出張帰りに立ち寄るのが難しい所なのである。今回は大分空港へ向かう途中に、無理して予定を入れたのであった。

現地では「宇佐神宮」という表記が多いけれど、日本史ファンとしては宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮と呼びたい。奈良時代末、天武系統最後の君主である称徳天皇が、太政大臣(太師)の道鏡に皇位を譲ろうとして、神勅をお伺いするため和気清麻呂を派遣したのが、この宇佐八幡宮である。

まだ年末年始には間があったので、門前町にも参道にもほとんど人影がなかった。本殿まで結構な距離があり、しかも最後は階段の上りである。コインロッカーがなかったたため出張バックを持っての参拝となり、少々疲れた。初詣には多くの人で賑わうのだろうが、その時は冷たい風が吹くばかり。

八幡神とは応神天皇のことで、後に清和源氏が八幡神を信仰したため(「南無八幡大菩薩」って、聞いたことないですか?)武士の守護神というイメージがあるが、奈良時代にはまだ武士という階級は成立していない。そして、伊勢神宮、熱田神宮がすでに存在していたにもかかわらず、血縁関係のない者に皇位を継承できるかというきわめて重要な問いを宇佐八幡宮に尋ねたということは、当時は相当の権威があったということであろう。

さて、そのあたりの検討は「日本古代史シリーズ」でふれるとして、この宇佐八幡宮、祭神は3柱いらっしゃって、一の御殿に応神天皇、二の御殿に比売大神(ひめのおおかみ)、三の御殿に神功皇后となる。向かって左(参道手前)から一、二、三の順なので、普通の考え方からすると最も格の高いのが二の御殿の比売大神、次いで神功皇后、応神天皇の順となる。

神功皇后は応神天皇の母であり、比売大神は神代つまり神武天皇以前の神さまであるから、この順番は古い順ということになる。比売大神は宗像三神のことともいわれ、卑弥呼という説もあるが、本殿の正面にそびえる御許山(おもとさん)に奥の院があることからすると、山をご神体とするアニミズムにその起源があるのかもしれない。

(ちなみに、御許山頂上は宇佐八幡宮・奥の院である大元神社のご神域であり、立ち入ることができない)

応神天皇は第15代天皇で、中国に朝貢した「倭の五王」のいずれかであると考えられている。だとすれば5世紀に実在したことになるが、神として現れたのは6世紀半ば。ある時は鍛冶をする老人の姿、または三歳児の姿をとり、最後は鳥となって飛び去ったといわれる。全国の八幡宮の総本山であり、平安時代には九州最大の荘園領主であったということである。

横から見るとM字型をした屋根の「八幡造り」という独特の建築様式であるが、外側は回廊で囲まれているので、一般の参拝客では全体像を見ることはできない。一の御殿から三の御殿まで、それぞれにお賽銭を納めながら内部を覗いたけれど、ごくごく部分的にしか見えないのは残念であった。

夕方だったためか、神職と巫女さんがお賽銭箱から集金していたので、見学する。帰りに参道脇にある宝物館を訪問、八幡宮の来歴等の展示物を見せていただく。こちらも、入場者は私一人でした。


宇佐八幡宮本殿前。向こうから来るのはお賽銭を集める神職と巫女さん。


三の御殿の門外から、内陣の三の御殿(右)、二の御殿(左)をかいま見る。中には一般参拝客は入れない。残念。

[Jan 4, 2010]