211 安徳天皇阿弥陀寺陵 [Jul 13, 2016]

退社が決まった職場なのに、ぎりぎりまで出張が入っている。これじゃ休暇の消化なんて夢だったと思うけれど、それはそれとして、せっかくの空き時間を有効に利用しない手はない。今回は九州出張なので、すぐ手前の下関で下りてみた。

目指すのは安徳天皇陵。天皇陵の大部分は近畿圏か武蔵野にあるのだが、例外が崇徳天皇陵と安徳天皇陵である。崇徳天皇は保元の乱で敗れて島流しになり、讃岐の白峯に陵墓がある。こちらは札所にもなっているので、いずれ訪問することになるだろう。もう一つが安徳天皇陵、壇ノ浦の戦いで平家とともに海中に没した天皇である。

天皇陵のある一帯は現在、赤間神宮となっているが、明治の神仏分離までここは阿弥陀寺という寺であった。そして阿弥陀寺とは、あの「耳なし芳一」の舞台といわれているのである(後から怪談を読み直してみたら、芳一がいたのは阿弥陀寺とはっきり書かれていた)。芳一が平曲を演じた高貴な人の亡霊とは、安徳天皇であり平家の面々であり、彼らとともに海中に没した多くの女官たちであったのだ。

下関駅を下りてバス停方向へ。唐戸市場方面をさがすと、「1から4はすべて唐戸を経由します」と書いてある。ちょうど1番線にバスが入ってきた。路線図をみると、赤間神宮前も通るようだ。列の最後に加わってバスに乗り込む。強い日差しを遮るため、ガラスは遮光になっている。いかにも南国という雰囲気である。

バス停6つか7つで赤間神宮前。バスを下りると、階段上に竜宮城を模したといわれる山門がそびえる。ただし、天皇陵は山門をくぐらずにその左手に進む。すぐに、WEBの写真でよく見る木の門が現れる。例の宮内庁の立て札が見当たらないなと思って探すと、石段を下りたバス停の高さにあった。天皇陵と赤間神宮は、そもそも入り口が違うのであった。

閉ざされている木の門の隙間に目を近づけて中をのぞいてみると、鳥居と凝灰石っぽい柱、「安徳天皇阿弥陀寺陵」と彫った石碑が見える。中の様子はほかの天皇陵とまったく同じである。手を合わせて参拝させていただく。

赤間神宮には来た道を戻り、竜宮門をくぐって境内に進む。この竜宮門、第二次大戦で古い山門が焼けてしまったので、大洋漁業が寄進したのだそうだ。高度成長期には大洋漁業はたいへん景気がよく、プロ野球の大洋ホエールズを持っていたくらいであるから、この程度は何でもなかったろう。いわずもがなだが、現在、横浜ベイスターズを経てDeNAになっているチームである。

本殿を参拝した後、左手に進む。ここには壇ノ浦に没した平家の墓石群(平家塚)があるのだが、その前、ちょうど平家の亡霊に琵琶を演じているような場所に、耳なし芳一の木像が納められている芳一堂がある。おりしも神宮の敷地内には、いたるところ「芳一まつり」の幟りが立てられている。そういえば、お盆も近いのだった。

琵琶法師の像というと、高松の平家物語記念館にあった蝋人形がまるで本物さながらであったことを思い出す。感心して2回見に行ったのだが、2回目は展示施設そのものが小さくなってしまって、倉庫の片隅に置かれていたのは悲しかった。こちらの芳一像は木造であり明るい場所にあるのだが、それでも耳をちぎった痕などはリアルである。

平家塚と芳一堂でしばらく過ごした後は、入場料100円の資料館で安徳天皇復元像や壇ノ浦海戦の屏風絵を見せていただく。帰りに竜宮門を出ると、目の前に関門海峡と向こう岸に九州門司港が望めるすごい景色だった。

まさに壇ノ浦の勝敗を分けた速い潮流が右から左に波を立てている。じつは安徳天皇のお墓といわれる場所は他にもいくつかあるのだが、やはり壇ノ浦を目の前にするこの地が、御陵にはふさわしいと思った。

 


石段下の宮内庁立て札レベルからみた安徳天皇阿弥陀寺陵。木の門の奥は、他の御陵と同じく鳥居と凝灰石の柱に囲まれている。


赤間神宮本殿の左奥、平家の墓石前の一画に芳一堂がある。耳なし芳一の話の舞台となったのは、ここ阿弥陀寺だという。


参拝を終わり振り返ると、関門海峡をはさんで門司の街がすぐそこである。そして、この前の海で壇ノ浦の戦いが行われた。

[Jul 13, 2016]