312 高野山で山ごもり [Oct 14, 2008]

ポーカーテーブルに座っていると、さまざまなことで心を動かされることが多い。ポーカーフェースという言葉があるくらいだから、ゲームで起こることにいちいち動揺していては好結果は望めない。というわけで、たまには精神面の修養を行おうという訳で高野山に出かけた。

南海なんば駅から特急で1時間半で高野山のふもとにある極楽橋へ。ここまでの行程のうち本当に「特に急いで」走るのは橋本までの45分で、残りの45分は単線区間の山道をゆっくりと上がって行く。両側が山かトンネルの中かどちらかで、展望が開けるところはほとんどない。

極楽橋で海抜およそ500m、ここからケーブルカーでいっぺんに標高を上げる。ケーブルカーの終点・高野山駅からバスで10分ほどで高野山の中心部へ。海抜約800mの高さにこつ然と市街地が現れる。お寺だけでなく、学校、病院、役所、消防、銀行などがそろった山上都市、高野山町である。以前から来たいと思っていたのだが、なかなか機会がなかったのだ。

平安時代に弘法大師空海が開いた元々の施設は壇上伽藍と呼ばれており、金堂、根本大塔、御影堂などの建物がある。ご本尊は大日如来、そして世界観を図に示している金剛界・胎蔵界二つの曼荼羅(まんだら)とともに、弘法大師ご自身を信仰の対象としているのが真言宗である。山の上とは思えないほど広くて平らで心安まるが、なぜかオートバイがやたらと上がってくるので遠くから爆音が響くのが玉に瑕である。

壇上伽藍とは別に、江戸時代に多くの大名家が菩提寺とした別院が周囲に百以上あって、それらも独立した寺院となっている。これらの別院を含めた山全体が、もともとの高野山金剛峰寺であった。それらの別院(普賢院とか大明王院とか)が宿坊として、今日われわれを泊めてくれる訳である。

だから昔は、それぞれの院が菩提寺となっている大名の藩(県)に住んでいる人の参拝をお世話するのが宿坊だったということである。今日ではそういう制限はなく、インターネットで選んだり宿坊組合に手配をお願いしたりする。

さて、山内を見学した後に宿坊に入る。一人でも個室なのはありがたいけれど、部屋にはテレビも冷蔵庫もない。6時半に食事が運ばれる。もちろん精進料理である。般若湯(はんにゃとう=お酒)は注文できるが、静かなのでそうそう飲むことはできない(修業だし)。

食べ終わってお風呂に入ると、布団が敷いてある。まだ8時すぎなのに、他に何もすることがないので布団に入る。夜になるとほとんど車が走らないし、どの部屋にもテレビはないので、川の水音がかすかに聞こえる他には物音がほとんどしない。布団をかけると暖かくなって、やがて眠ってしまったのであった。

翌朝は5時半に鐘が鳴って起床。6時から約1時間のお勤めである。お経の響きがとても心地よく響く。いろいろ考えることがあったような気がするが、あっという間に時間が過ぎて、「南無大師遍照金剛」が何度か繰り返されるとお勤めは終わりとなる。部屋に戻って朝ご飯を食べると、もう出発の時間。わずか1泊2日では、なかなか悟れないようであった(当り前)。

 


壇上伽藍に向かう参道。山の上なので紅葉が始まっていました。


お楽しみの精進料理。さりげなく般若湯も注文。

[Oct 14, 2008]