313 大仙古墳(仁徳天皇陵) [Feb 16, 2009]

しばらくばたばたしていて遠出ができなかったが、ちょっとずつ再開できそうな気配である。先週の建国記念日は出張ついでなので純粋な遠出ではなかったけれど、帰りがけに大仙古墳(仁徳天皇陵)に行ってみた。

このブログのシリーズ記事の一つである「常識で考える日本古代史」に書いたように、仁徳天皇ことオオサザキ王は古事記の中でも特別な扱いを受けている天皇である。ただし、オオサザキ王自身は強大な権力を誇示したというイメージではない。ここがオオサザキ王の陵墓であるというのもあくまで宮内庁の指定であり、歴史学上では疑問とする見方もかなり有力である。

さて、大仙古墳へ行くには南海電鉄の三国ヶ丘駅で下りる。歩くためコインロッカーを探したのだが、どこにも見当たらない。国鉄と私鉄の乗り換え駅なのだから関東であれば間違いなくあるはずなのに、残念ながらここは関西なのであった。あきらめてパソコン入り出張バックを持ったまま歩き始める。

おそらく森の見える方角だろうと見当をつけたものの、道路を横断したり踏切を渡ったり結構ややこしい。しばらく行ったり来たりして、なんとか古墳の外周部にたどり着いた。外周部にはお堀が掘ってあり、その外側に高い柵、そして地元の堺市が整備した遊歩道が古墳を一周している。

三国ヶ丘の近くは古墳の北側、前方後円墳の「後円」部、つまり古墳の正面からみると逆側になる。100mくらいごとに距離が表示されていて、私が取り付いたあたりには正面まで左回りで1600m、右回りで1250mと書いてあった。荷物があるので短い方の右回りにする。

内側は宮内庁管理の陵墓なのに、遊歩道の外側は普通の住宅地が続く。なにげにシュールである。大政奉還の前まで天皇陵の管理は非常にラフに行われていて、この仁徳天皇陵も古墳の中にまで家が建てられていたそうだが、明治時代以降は厳重な管理下にある。

歴史学の世界ではよく、天皇陵の調査が十分にできれば古代日本の謎はかなりの部分解明されるといわれている。これは確かにいえることで、例えば江田船山古墳や稲荷山古墳で発見されたような金石文(金属や石に刻まれた文章)が調査の結果見つかったとすれば、相当有力な手がかりになる。日本人はエジプトまで行ってひとの国の王墓を調査しているというのに、おかしなものである。

そんなことを考えながら柵の中をみると、きちんと整備されている。おそらく、定期的に業者が中に入って、清掃やら樹木・雑草の伐採やらをやっていそうな気配である。歴史学者の方々も不満ばかり言っていないで、いろいろ工夫すれば中に入る手立てはありそうに思えた。

時々休みながら、なんとか御陵の正面に到着。例によって宮内庁の看板が掲げられている。明日香はじめ奈良県にある天皇陵は小振りなところが多いが、ここはなんとも雄大で、鳥居の向こうから山が圧倒的な存在感で押し寄せてくるような印象である。ここがオオサザキ王・仁徳天皇の陵墓であるかどうかはともかく、相当の権力者が作らせたものであることは実感できた。

三国ヶ丘までもどるのはきつかったので、正門からすぐのJR百舌鳥(もず)駅から関空に向かった。陵墓を造成中に鹿が倒れていて、みると耳の中から百舌鳥が出てきたというのが地名の由来らしい。よく考えるとすごい話である。


大仙古墳外周の遊歩道。左が古墳、右は普通の住宅地。


天皇陵正面の宮内庁看板。

[Feb 16, 2009]