314 室生寺 [Feb 25, 2009]

関西の寺回りを始めたのは、今も続いているJRと京都観光協会のタイアップ「京の冬の旅」が始まって間もない頃である。

途中、例の拝観拒否事件もあったけれども、オフシーズンのこの時期、国宝級仏像の特別拝観で客足の回復を図るというコンセプトは、当時も現在も同様である。その後、興味の中心が京都から奈良に変わってしまったが、仏像を鑑賞する時期は冬に限ると思っている。修学旅行生などでごった返しているのでは、仏様の前でゆっくり瞑想することもできない。

当時と現在で最も違うのは、宿泊施設の充実度ではないだろうか。30年ちょっと前には、京都も奈良も修学旅行生向けの宿ばかりで、一人旅に適した宿がほとんどなかった。だから、京都だと第二タワーホテルとか、奈良には泊まるところがないので大阪に戻ってホテル南海とかに泊まっていたのである。

今では、京都にも奈良にもビジネスホテルはあるし、1万円くらい出せばちゃんとしたホテルにも泊まることができる。うれしいことである。歳とともに体力が加速度的に落ちつつあり、そうでなくても早く寝る習慣がついているので、それほど移動せずに宿で落ち着けるというのはありがたいのであった。

さて、今回は室生寺である。女人高野として名高い室生寺、実はこれまで行ったことがなかった。なぜかというと、この寺はちょっと奈良市内から離れたところにあって、ここに行ってしまうとその後どこかに回るということが難しいからである。今回は、この日唯一の目的地としたので、初めての訪問となった(そういえば、高野山も昨年の秋が初めてである)。

伊丹から上本町に出て、近鉄大阪線で室生口大野まで着いたのが3時前。駅前のバス停まで下りていくと、なんと次のバスは1時間後である。待つのはともかくとして、拝観時間が終わってしまう。タクシーも最後の1台が行ってしまうところ。仕方ないなあ、帰ってくるのを待とうと思っていたら、そのタクシーに乗っていた女性2人組が親切なことにご一緒にどうぞと言ってくれた。

室生口大野を出てすぐ、宇陀川にそびえる磨崖仏(まがいぶつ=崖を削り取って作った仏像)がお出迎えである。まるでバーミヤーンのようだ。この奥が昔でいう室生寺の寺域にあたり、寺へはほぼ一本道の山道を登って行く。10分ほどで門前町に着く。門前町とはいっても、川の左岸に旅館や土産物店、食堂などがいくつかあるくらい。右岸は境内になる。

橋を渡っていよいよ寺に入り、まず、建物自体が国宝となっている金堂に向かう。今回、金堂内部の特別拝観が可能で、国宝・重文級の仏像を間近に鑑賞することができる。そして金堂まで行くのにも、とりあえず階段を登らなければならない。この時点ではまだ分からなかったのだけれど、実はこの室生寺、全山が山の斜面にあり、その標高差は軽く100m以上あるのであった。

 


教科書でおなじみの国宝・室生寺金堂。ただいま特別拝観中。

 

特別拝観中の金堂に入る。ひと目見て、ちょっと違和感がある。

まず、内陣に並んでいる五つの仏像の光背やにばらつきがある。中央本尊は釈迦如来(国宝)、右脇侍(わきじorきょうじ、向かって左)が文殊菩薩だが、左脇侍は普賢菩薩でなくなぜか薬師如来である。釈迦三尊の場合、通常は左が文殊、右が普賢なので、文殊菩薩の立ち位置も普通とは逆である。

如来と菩薩では、如来の方が格上である(格=悟りの境地)。だから釈迦如来と薬師如来は同格であるが、文殊菩薩と薬師如来は違う。格の違う仏様を同列に置くことはないから、もともとこれらの仏様は別々の由来である可能性が大きい

釈迦・文殊・普賢の三尊のうち普賢菩薩が何らかの理由(おそらく焼失)により失われ、代わりに薬師如来を持ってきた。薬師如来と文殊菩薩では薬師の方が格上だから、文殊菩薩の位置を左から右に移したのかもしれない(左の方が右より上位)。

おかしいことはまだある。脇侍のさらに外側に、左が地蔵菩薩、右が十一面観音(菩薩)で、この二つは光背も大きさも同じである。これはありそうな配置である。しかし、この内陣から一段下がった外側に鎮座しているのが、なんと大日如来なのであった。

女人高野というくらいだから、室生寺は真言宗の寺のはずである。真言宗でもっとも重視される仏様は大日如来である。本尊になり、中央に置かれていてもおかしくない大日如来が、内陣にも入らず金堂の隅っこの方に置かれている。かなりの違和感である。

ちなみに、金堂の奥にある階段を上った先の本堂(これも国宝)の本尊は、如意輪観音座像(重文)である。歴史のある寺院の中で、本堂の本尊がこの仏様というのは、あまりみない例である。

こうしたことから考えるに室生寺は、比叡山や高野山のように教義に則った学術的な厳密さを追求してきたのではなく、修験道などとも近い、心願成就・現世利益に重きを置いたお山だったのではないだろうか。そして、現在重要視されている諸仏は、かつて祈願や祈祷を行った際に、それぞれ大きな効果を示してきた仏様、のような気がする。

また、現在金堂に置かれている諸仏は、室生寺最盛期にはそれぞれの塔頭の本尊としての扱いを受けてきたものが、寺の規模縮小とともに一堂に集められ、今日に至ったもののように思える。少なくとも薬師如来は他の内陣四尊とは系列が違うように思われた。

本堂から少し進むと、平成十年の台風で大きな被害を受けた、これも国宝の五重塔である。二年後に修復が終わった当時の様子をみると、変に真新しくて見た感じが妙なのだが、それから八年たった現在、それなりに色合いがくすんできて周囲に調和している。

 


これも国宝・室生寺五重塔。写真の女性はタクシーに相乗りしてくれた親切な二人組。

 

五重塔からさらに進むと、真言宗で最も重要な施設の一つ、御影堂のある奥の院である。しかし、この奥の院に行くのに、なんと数百段の階段を延々と上らなければならない。

御影堂は大師堂とも呼ばれる。「大師」とはもちろん、弘法大師空海のことである。真言宗は空海自身を信仰対象とするので、空海をおまつりする御影堂は中心施設の一つである。室生寺も高野山と同様、いまでも空海に毎日の食事を運んでいるはずである。

だから御影堂にはぜひ行っておくべきなのだが、これがまたはるか彼方まで階段を登らなければならない。後で聞いたら五百段とか七百段と言っていたような気がする。疲労困憊してはっきり聞き取れなかったのだけれど。

階段をかなり昇って、ようやく奥の院の入口、位牌堂が見えてくる。このお堂は斜面に建っているので、崖の下に向かって長く柱が伸びている様子は、清水寺や笠森観音を思い出す。やっと位牌堂の足元までたどり着くが、ここからお堂の入口までさらに階段が続く。きついことこの上ない。

さすがにバテバテになってようやく上りきると、拝観締め切り時間で戸を閉めているところだった。かわいそうに思ったのか寺のおじいさんが、「ここだけ開けとくから見ていいよ」と、他の用事が終わるまでの間、閉めるのを待っていてくれたのはありがたかった。とはいっても、檀家ではないのでお堂の中の位牌を拝む訳ではなく、ちょっと中を覗いて失礼する。

位牌堂のすぐ先に御影堂がある。こちらは鎌倉時代の建築で重要文化財である。こじんまりした建物で、これは内部は公開していない(はず)。来た方向をふり返ると、昇り始めは遥か下である。修業とはいえ、この階段を毎朝毎晩往復する方々はさぞかし大変だろうと思う。

位牌堂の正面入口に掲げられた木枠の絵をよくみると、地獄の閻魔さまを描いたものである。とうとう、真言宗から始まって十王信仰まで来てしまった(ご存知のとおり、仏教と閻魔大王はもともと関係がない)。この室生寺、どうやら現世から来世にわたっての祈願を一身に引き受けているようである。女性のための高野山というよりも、霊験あらたかな山岳信仰の霊場という性格の寺であることを再認識した。

帰りも休み休み下りていくと、さっきのおじいさんがすべての後片付けを終えて、階段を軽快に下りてきたと思ったら、あっという間に抜かれてしまった。さすが、修業している人は違うのである。


延々と続く階段の上に、ようやく見えてきた奥の院・位牌堂。ここからグランドレベルまで上がるのに、またひと苦労。

[Feb 25, 2009]