321 ニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地) [Aug 1, 2013]

さて、翌日も出張の用事が済んで2、3時間の余裕ができたので、関空への帰り道の途中に中百舌鳥(なかもず。近畿以外の人には読めない)で下りて、前日に引き続いて古墳をめぐる。JRまで歩く予定なのでまたも荷物を持ったまま。重い思いをして大汗をかいてしまった。

駅の地図をみるとすぐに巨大古墳が見えてくるはずなのだが、実際にはなかなか見えてこない。10分ほど歩くと、ようやくビルの向こうに小高い森が見えてきた。相当の高さの墳丘である。でも、なかなか着かない。ようやく古墳をめぐる遊歩道までたどり着くのに、20分かかった。

ここニサンザイ古墳は、天皇陵ではないことになっているが、陵墓参考地として宮内庁の管理下にある。天皇陵であればどこかに拝所があり、例の立札と花崗岩の柵、鳥居があるのだが、参考地なのでそこまで管理はしていない。また、堀は水利組合、堀の外は堺市の管理のようなので、よく見ると立札は森の中に立ててある。

普通に考えれば、百舌鳥古墳群の中では仁徳天皇陵、履中天皇陵に次ぐ大きさであって、前日訪れた崇神天皇陵よりも大きいのであるから、大王クラスの陵墓であることは間違いない。何しろ古事記には、自分の家よりでかい家があるのを見て、戦争をしかけてしまう天皇の話すらあるのである。王でないのに王より大きい陵墓など作れるはずがない。

崇神天皇陵の時にも書いたように、陵墓や陵墓参考地をすべて記紀の登場人物にしようとするから、こういうことが起こる。多くの古墳は、おそらく皇室とは直接の関係はないのであるから、きちんと発掘調査をすれば、少なくともどの古墳が古いのか、どの古墳とどの古墳が近い関係にあるかは分かるはずである。

どこにも荷物を置くところなどないので、そのまま遊歩道を奥へ進む。堀の内側にも通路のような空間が見えるのは、昨年宮内庁と堺市の合同調査があり、一般公開されたからであろう。それはともかく、でかいのである。荷物を持って歩くのはさすがに厳しい。5分以上かけて、後円部まで着いた。

堀の外側は墓地になっている。堺市の立てた説明文があるが、消えかけているのと草が繁ってしまっていて読めない。堺市と水利組合の名前で、釣りやボートの禁止が告知されている。確かにゴムボートでもあれば、堀の中まで行くのはそれほど苦労はなさそうだ。

休むところもないので、ゆっくり歩いて引き返す。この古墳、高さだけなら仁徳天皇陵を上回る。ある程度の整地工事はあっただろうが、おそらく自然の地形をある程度活かした古墳なのだろう。また、当時はGDPに占める農業生産の比率が高かったから、農業用水の確保という意味もあったに違いない。

この後は御廟山古墳(百舌鳥陵墓参考地)にも行きたかったのだが、道を間違えてJR上野芝駅方面に抜けてしまった。やはり、荷物を持っていると小回りが利かないし、考える余裕がなくなってしまう。ゆっくり回るのは、来るべき引退後ということになりそうだ。途中、百済川(だと思う)に亀が大量発生していた。誰かが放したのが始まりなんだろうなと思った。

 


南海線・中百舌鳥(なかもず)駅から歩くこと20分、突然街中に巨大古墳が出現する。ニサンザイ古墳である。古墳の周囲には遊歩道が整備されている。こちらは堺市の管理エリアとなる。


陵墓への通路は後円部にある。堀の内側は宮内庁管理なので、森の中に例の立札が見える。去年一般公開されたそうだが、拝所も作らないのなら見せてくれてもいいのに。

[Aug 1, 2013]