324 橿原神宮・神武天皇陵 [Dec 3, 2013]

橿原神宮は、神武天皇が橿原で即位したことに基づいて造られた神社である。実際に造られたのは明治天皇の時代なので、神武天皇が即位した(と記紀に書いてある)紀元前660年からは2500年ほど後になる。それはそれとして、畝傍山の麓に広がる神宮は厳かであり、初代天皇にふさわしい立地である。近鉄・橿原神宮前から歩くと、すぐに神宮の正面に至る。

この日は大安かつ十一月ということで、小雨にもかかわらず結婚式のカップルや七五三の家族連れが朝から訪れていた。神宮でも七五三ということで気を効かしたのか着ぐるみのキャラクターを登場させていたが、これは神域にはふさわしくなかった。若いカップルや子供たちには、オフィシャルな場についてきちんと勉強させるべきなのだ。

ちょうど朝の9時で、神職の方や巫女さんが正殿から各建物に三々五々散っていくところだった。足下の玉砂利はみごとに掃き清められている。市街地近くに立地していることもあり、お参りする人も多い。前日に行った談山神社は臣下・藤原氏、こちらは皇室。同じ初代でもさすがに違うのである。

正殿にお参りした後は、来た道とは逆方向に向かう。参道は広く、森は深い。近鉄線で北へひと駅になる畝傍御陵前には、神武天皇陵がある。こちらもお参りする。橿原神宮と違って、こちらは宮内庁管理の陵墓。賽銭箱もなければ、参拝用の建物もない。しかしながら広い参道、整備された森は、他の天皇陵と比べても一回り大きい。

そもそも、いま神武天皇陵として比定されている畝傍山東北陵が本当に神武天皇陵であるかどうかには議論がある。とはいえ、規模的にはかなり大きい箸墓古墳や崇神陵、景行陵が神武天皇陵と伝えられていないことからみても、九州から進出してきた初代の権力者は畝傍山麓の比較的小規模な陵墓に眠っていることになるだろう。

こちらは参拝客も少なく、この日すれ違ったのは警備の人だけだった。ちなみに、二代綏靖天皇、三代安寧天皇、四代懿徳天皇までの陵は橿原神宮の周囲にある。周囲といってもぐるっと回ると相当の距離なので、代表してすぐ北にある綏靖陵をお参りする。

こちらはずいぶんと小規模であった。また、われわれ以外にお参りしている人はいなかった。ちなみに、2代綏靖天皇から9代開化天皇までは記紀の創作という意見もある。とはいえ古墳がある以上、被葬者が創作ということは考えにくい。本当にここで眠っている方は、どういった素性の権力者だっただろうか。

住宅街を抜けて畝傍御陵前駅に戻る途中に、古代史愛好家の間では有名な橿原考古学研究所博物館がある。ここには石器時代からの出土品の数々が展示されているが、目玉と言っていいのは藤ノ木古墳発掘調査状況の展示であった。

藤ノ木古墳は珍しく盗掘されておらず、二十年ほど前に行われた調査では、金の冠や装身具、馬具などが出土しており、しかも2体の遺骨が同じ棺に納められていた。「逆説の日本史」で井沢元彦氏は、穴穂部皇子(兄)と崇峻天皇(弟)ではないかと推定しているが、私もそれはありそうなことだと思う。何しろこの兄弟は時代こそ違え、蘇我氏に滅ぼされているのである。

 


畝傍山の麓に建つ橿原神宮。玉砂利がみごとに整えられている。この先に着ぐるみが登場したのがちょっと・・・。


橿原神宮から少し歩くと、神武天皇陵。こちらにはお賽銭箱は置かれていません。

[Dec 3, 2013]