211 瀬戸内温泉 たまの湯 [Nov 15, 2015]

先日、岡山県の玉野で仕事があった。いまや多くの人、特に東日本の人は覚えていないだろうが、本四架橋ができる前には本州・四国間は連絡船でつながれていて、玉野市の宇野と四国高松の間に国鉄宇高連絡船が走っていた。今も民間のフェリーがあるけれども、ほとんどの旅客・貨物は瀬戸大橋経由となってしまい、便利になった分、この港は寂しくなってしまった。

1971年の交通公社時刻表をみると、瀬戸大橋線はもちろんなく、宇野までの電車(宇野線)が新大阪あたりから直通運転されていた。深夜や早朝にも走っていたから、おそらく駅は24時間開いていたのだと思う。いまでは想像できないが本州と四国の間は船で渡るしか方法がなかったから、急ぎの用事があれば連絡船を使うしかなかったのである。

当時は新聞紙上に、児島・坂出ルートとか、尾道・今治ルートなどの言葉が頻繁に使われ、どの橋を最初に渡すべきかという議論が盛んだった。いま思えば、関西圏への近さでも空港とのアクセスの良さでも淡路島を突っ切るのが一番合理的だし、現在でも定期バス便はこの経路を使うものが多いけれども、当時はなにごとも自民党派閥間の力関係で決まる世の中であった(新幹線のルートや駅もそうであった)。

ちなみに尾道・今治ルート、現在のしまなみ海道には仁堀連絡船が通っていたが、宇高連絡船よりかなり本数は少なく、接続列車も頻繁には走っていなかった。さらに言うと、瀬戸大橋開通による経済効果は絶大で、物流がスムーズになることで岡山周辺が一大経済圏を形成し、瀬戸内海の観光需要も増えるという予想がまかり通っていたが、そんなことには全然ならなかった。後から考えれば3本とも通す必要はなかったが、通してしまったものは仕方がないのである。

さて、その宇高連絡船の後継航路である宇高フェリーと並んで、瀬戸内温泉たまの湯がある。「玉」の湯と「玉野」湯をかけたネーミングと思われる。建物はまだ新しく、つい最近できたもののようである。フェリー埠頭からは海沿いを歩いて行く。近くにあるのになかなか着かないのは、見た目よりも距離があるからだろうか。

平日の昼間だというのに、結構車が止まっている。受付で入場券を買う。1500円と意外と高い。会員になるともう少し安くなるようだが、旅先であるのでそういう訳にもいかない。館内の説明を受ける。浴室は建物をずっと奥まで進んで2階に上がるようだ。案内された通りに1階を進む。通路は畳敷きになっていて足の裏にやさしい。

脱衣所はすべてロッカー式で、手首にロッカーキーを付けて浴室スペースに入る。内風呂と洗い場スペースは他のところとそれほど変わらないが、この温泉の特色は露天風呂にある。この日の男湯は「棚田の湯」で、上から3段の湯船が並び、眼前には瀬戸内海の島々とはるかに四国を望む雄大な景色なのである。

泉質としては立地から察しがつくように食塩泉であり、バイブラの飛沫が飛ぶとしょっぱい味がする。ずっと昔金魚を飼っていた頃、元気がなくなったら少し塩を入れるといいという説があった。あまり濃かったり長時間やると逆効果になるけれども、食塩泉が体によいというのは生物種としての伝統であるようだ。

棚田の湯の隣には、陶器風呂がある。陶器でできた五右衛門風呂で、一人ずつ入る。これがまたコンパクトで心地いい。「譲り合ってご利用ください」と書いてあるが、いまのところ客は私しかいない。電車の時間待ち(1時間に1本くらいしかない)の間、のんびりさせていただいた。

駐車場はほぼ満杯だったのに、浴室ががらがらなのはなぜだろうと思っていたら、レストランが満員で休憩室もかなり人がいた。結構ご年配の人が多かったようだから、デイケア的に使われているのかもしれない。


宇高連絡船の埠頭すぐ横に、瀬戸内温泉たまの湯がある。目の前は瀬戸内の海、さらに四国まで望む絶景。


館内は畳敷きの廊下が浴室まで続く。平日のお昼なのに、レストランは満員で入れませんでした。

[Nov 15, 2015]