325 反正天皇陵(百舌鳥耳原北陵) [Jan 5, 2015]

この間の出張では堺東に泊まったので、朝早くに近くの反正天皇(はんぜいてんのう)陵まで散歩してきた。

駅からは線路を渡って東側、市役所とは逆側になる。三国ヶ丘高校(進学校らしく、大阪の塾ではここに何人入れたかを宣伝している)までまっすぐ歩いて、北に進路を変えるとすぐに森が見える。古墳の周りは一部だけ遊歩道になっているが、大部分は柵だけである。というのは、古墳のすぐ隣が住宅になっているからだ。

すぐ近くの大仙古墳(仁徳天皇陵)では住宅地と古墳の間に道路があり、そこが遊歩道になっているのだが、こちらは住宅のすぐ裏が古墳である。したがって、庭先に宮内庁の柵ということになり、住む人にとってはたいへん景色がいい。ところが見る側にとっては、住宅の向こうが古墳というシチュエーションが多いので、なかなか見づらいものがある。

数少ない観賞スポットのひとつが拝所のある南側であり、こちらに例の宮内庁の看板がある。 下の写真のように、墳丘の高さはそれほど感じない。規模的にも大仙古墳やニサンザイ古墳に比べるとかなり小さめである。ということは、おそらくそれらの古墳よりも古い時代に作られたものと考えられる。

反正天皇は仁徳天皇の皇子の中で天皇となった三兄弟の真ん中である。前に日本史の記事で書いたように、仁徳天皇の一族は兄弟間ですさまじい殺し合いをしたあげくに、皇位を継ぐ者がいなくなってしまったと古事記に書かれている。 これが古事記下巻の主要なストーリーとなっており、それ以降の天皇(継体天皇から推古天皇まで)には説話が全く書かれていないのである。

古事記の記事が本当だとすると、仁徳天皇は庶民の家から炊事の煙が立たないのを見て、生活が楽ではないことを案じ租税を減免したと書かれている一方で、世界最大の大きさを誇る古墳を作るための大規模な土木工事をしたことになるので、その性格はかなり首をひねるところである。反正天皇も子孫が皇位を継いでいないのに、これだけの古墳に祀られていることになる。そうしたことを考え合わせると、おそらくこの古墳は大和朝廷とは別の王権が作ったものなのだろう。

もう一つの観賞スポットは拝所とは逆の北側、方違(ほうちがい)神社の境内である。こちらからはお堀をはさんで、後円部を見ることができる。この方違神社、江戸時代の古地図をみるといまよりかなり大規模で、大仙古墳から海に向かったところにあって、古墳並みの広さがあったものらしい。名前の示すように方位除けの神様であり、かなり盛んだったようだ。


反正天皇陵古墳。南海線の堺東駅から歩いて10分ほど。住宅街の中に古墳があります。


堺市役所21階の展望ロビーは午後9時まで開いていて、大阪の夜景を楽しむことができます。

[Jan 5, 2015]