326 法起寺・法輪寺 [Feb 22, 2016]

賑やかな国道から、行先表示に従って進路を北にとる。あっという間に、周囲は野菜畑が広がる田園風景となる。行く手に見えるのは奈良市内との境になる松尾山。まもなく、畑の向こうに小さく三重塔が見えて来た。法起寺である。

思わず「ほっきじ」と読みそうになるが、ホームページには「ほうきじ」と書いてある。法隆寺も法輪寺も「ほう」だから統一的に読むとそうなるけれども、「ほっきじ」と覚えてしまっているせいかその方が読みやすい。

道案内にしたがって歩いていくと、法起寺を外周する田舎道を半周して山門に着いた。私の他に参拝客は誰もいない。入ってすぐに拝観料を払う受付がある。受付しているお坊さんが、「仏様は撮影禁止だけど、建物はいいですよ」とわざわざ声をかけてくれた。言われてみると、境内には何ヵ所か「撮影禁止」の看板があった。

さて、こちらの三重塔は飛鳥時代の建築。法隆寺五重塔、薬師寺東塔と並んで日本だけでなく世界的にみても最古の木造建築物である。もちろん国宝であり、世界遺産にも指定されている。ただ、そういう権威を抜きにしてみても、静かな境内に屹立している三重塔は美しい。

間近で見てみると、正面が開扉されており、中に石碑のようなものが見える。もともと仏教建築における塔とは仏舎利を納めるものであったから、そういう由来が刻まれているのかもしれない。三重塔の正面に聖天堂、奥にある講堂はそれぞれ後世のもの(といっても江戸時代)。というのは、この寺は室町時代には衰退してしまい、三重塔しか残っていなかったのだ。

近くでしばらく見た後、池の反対側にある東屋に座って、三重塔を含む境内の眺めを楽しむ。依然として誰も来ない。この景色をひとり占めできるとはなんとすばらしいことであろう。法起寺のもう一つの呼び物として、平安時代の製作である木造十一面観音像がある。こちらは別棟の収蔵庫に納められている。

ただ、少し残念だったのは、四十年前に来た時の記憶が全くよみがえってこなかったことであった。こればかりは、記憶が定かでないのが原因だから、自分以外の誰が悪い訳でもない。

 


畑の向こうに、国宝の法起寺三重塔が見えてきた。まだこのあたりは全くひと気がなかった。


法起寺境内を独り占め。しかしこのすぐ後、数百人の団体とすれ違う。

 

法起寺の次は、法輪寺に向かう。田舎道から車道に出て法輪寺への直線道路に向かうと、法輪寺方面から何百という大群が歩いてきた。この直線道路には車道とは別に歩道があるのだが、その連中が三重四重に列を作って向かってくるので、とても歩道を歩くことはできない。仕方がないから反対側の車道を歩く。時折、後方から車が来るのでちょっとこわいけれど他に方法がない。

20~30mおきに旗をもって歩いているので、ツアーか何かのようだ。多くはお年寄りで、時折若い人が混じっている。何にせよ、せっかくのお天気、のどかな田舎道を大声を出して騒ぎながら歩いて何が楽しいのだろうと思った。この行列は私が法輪寺に着くまで続いていて、庭までは入っていたけれど、拝観料を取る本堂までは入っていなかったのは幸いであった。

法輪寺にも三重塔はあるが、こちらは昭和19年に落雷のため焼失しており、その後に再建されたので国宝指定は解除されてしまった。しかし、講堂に置かれている飛鳥時代から平安時代に製作された多くの仏像は、重要文化財に指定されている。

この法輪寺の講堂に入った途端、四十年前の記憶がよみがえったのはうれしいことであった。その時は大雨で加えてたいへん肌寒い日だったので、雨風を防ぐことのできたこちらの講堂は、たいへんありがたく感じたものであった。

こちらでは、中央に置かれている七体の仏像(周囲にもっとたくさん置かれている)の前に絨毯が敷かれていて、仏様の間近から座ってお参りすることができる。こういうお寺さんはそれほど多くはない。国宝に指定されてしまうと博物館のようにガラスケースに納められたり、柵をはさんで遠くから拝ませていただくことになるので、あえて国宝にしない方がこちらにはありがたいくらいである。

最も大きい仏様は平安時代に製作された十一面観音立像。丈六といってリアルな仏様は一丈六尺(約4.8m)あることになっているが、ほぼその高さである。転倒防止のため、金属製の棒で建物に連結されている。また、光背の裏から十一面のうち一面が顔をのぞかせていて、そのお顔を拝ませていただくために仏様のうしろに回ることができるのも珍しい。

四十年前も、ここで座って30分以上お参りさせていただいた。今回はそれほど長くはなかったけれど、それでも仏様の前で、しみじみと来し方行く末を考えさせていただいたのでありました。


法輪寺講堂。40年前、ここで雨宿りしつつ十一面観音様にお参りしたのでした。

[Feb 22, 2016]