329 比叡山延暦寺 [Jun 28, 2016]

月はじめに、奥さんと京都の寺を歩いてきた。年齢とともにおっくうになって、今回はお手軽に観光バス。比叡山から大原をめぐるコースである。

京都に詳しい方はご存知のとおり、比叡山や大原は京都市街からちょっと離れていて、行くとなるとほぼ1日がかりになってしまう。それもあって、ずいぶんしばらく行かなかったのであるが、その両方を一度に回ってくれるのだから大変ありがたい。考えてみれば、比叡山に登るのは三十数年ぶり、大原にいたっては高校の修学旅行以来だから四十年ぶりということになる。

9時15分に京都駅烏丸口を出発する。遷都千二百年の再開発で、駅前もずいぶん変わってしまった。駅前も区画整理されて広くなったし、何より駅自体が高層化されて、ホテルやデパートが入った。高い建物といえば京都タワーしかなかった時代と比べると、同じ駅ではないようである。

前に比叡山に登った時は路線バスで、長々と山道を行ったように覚えている。しかし定期観光バスはいったん琵琶湖側に出て、近江神宮の脇から山を登っていく。近江神宮は橿原神宮、明治神宮とともに三大神宮と呼ばれているそうだ。橿原神宮は初代神武天皇、近江神宮は現天皇家の始祖である天智天皇、明治神宮は武家から政権奪還を果たした明治天皇をお祀りしている。

近江神宮から先、バスは九十九折りの山道を登って行く。だんだん標高が上がると、眼下に琵琶湖を望むことができる。相当大きく見えるのだが、これでも琵琶湖全体の何分の1かしか見えてないと説明がある。琵琶湖の湖岸も、昔に比べると高いビルが増えた。

稜線まで上がったところを右折、比叡山ドライブウェイに入る。比叡山は山全体が延暦寺であり、堂宇は東塔、西塔、横川(よかわ)の3地区に分かれている。比叡山延暦寺全体の本堂は根本中堂であるが、このお堂は東塔にある。今回の登り方をすると、一番最初に東塔になる。

前回来た時には、バス停の前は寂しかったような気がするのだが、三十数年経って来てみると、バス停の周りは大駐車場で多くの車が行き来し、塔頭へ向かう入り口には大きな食堂、売店が並び、こんな雰囲気だったかなあと思うくらいであった。

バス停・駐車場から山内の坂を登って行く。道の左右には、伝教大師最澄の生涯と、延暦寺で修業した高僧の肖像画が描かれた看板が続く。これは昔はなかったはず。よく言われるように、空海は偉大すぎて自らが信仰対象になったくらいだが(真言宗では「南無大師遍照金剛」と唱える。遍照金剛とは空海のことである)、最澄は多くの弟子を輩出したところに特色がある。

坂を登りきって左に曲がり、今度は坂を下りると根本中堂である。平らに整地された上に、巨大なお堂が建てられている。この景色は昔見たのと変わらない。中は撮影禁止。この根本中堂には、最澄の時代から伝えられている「不滅の法灯」があり、二十四時間三百六十五日、油を注ぎ足し注ぎ足しして千三百年灯され続けているとされる。

観光バスなので、個人旅行と違ってご住職の法話があるのはありがたい。二十数人のバスツアー客が車座になって法話をお伺いする。比叡山の歴史や、本尊薬師如来のお話など。「薬指」というのは薬師如来が薬指を前にしていることからそう呼ばれている、なんていう話もあった。

勉強になったのは不滅の法灯のことで、織田信長の比叡山焼き討ちの際にかつてあった不滅の法灯も焼失していて、いまの法灯は江戸時代になって再建された時に、焼き討ちの前に分灯してあった山形の立石寺(山寺)から戻してもらったということである。

池上遼一の「信長」では、僧兵の一人が見えない小屋に隠してあったことになっているのだが、考えてみれば油を足さなければ消えてしまうので、隠しておくだけでは「不滅」にはならないのであった。


延暦寺東塔・根本中堂。「不滅の法灯」は分灯してあった山形・立石寺から戻してもらったそうです。池上遼一「信長」と話が違う!

[Jun 28, 2016]