411 大仁金山跡 [May 20, 2016]

伊豆は、江戸時代には佐渡と並ぶ産金地だったそうである。

有名なのは土肥金山で、テーマパークのようになっているそうであるが、現在、私の住んでいる狩野川流域の大仁(おおひと)にも金山があった。実はこの金山、採掘時よりも閉山後の方がむしろ有名で、廃墟マニアにはよく知られた廃鉱施設として、比較的最近までいろいろな機械設備類が野ざらしになっていたということである。

電子国土ポータルにも、「廃鉱山」としっかり書かれていることもあるので、行ってみることにした。ところがこの廃鉱山に行ってみたところ、私が週3~4回のペースで通っているスポーツジム・温泉施設のすぐ裏なのであった。行くのは夜ばかりなので、暗くて気づかなかったのだけれど、駐車場の向こうに「大仁金山」の巨大な看板が見えているのであった。

伊豆の金鉱が開発されたのは天正年間、安土桃山時代というから比較的新しい。江戸時代に入って、有名な金山奉行である大久保長安の下で最盛期を迎えた。当時から、金を掘っている最中に温泉が噴き出したというから、もともと金鉱としてよりも、温泉として向いていたようである。

あまり採掘が容易な金鉱ではなかったようで、大久保長安の時代以降は縮小傾向にあったようだ。それが再び脚光を浴びたのは昭和に入ってからで、おそらく機械を入れて深くまで掘れるようになったという技術的な発展によるものと思われる。第二次世界大戦前にはかなりの規模で採掘されていたようで、つい最近まで残っていた廃鉱施設はその頃に建設されたものである。

戦後は金鉱として採掘が続けられる一方で、坑道の一部が鋳物工場に転用されていたようだが、昭和33年の狩野川台風によって大きな被害を受け、鉱山としての役割を終えた。一方で、当時から豊富な湧出量があった温泉は、大仁地域に配湯することにより大仁温泉街を形成し、北にある伊豆長岡温泉、南の修善寺温泉とともに、伊豆半島の観光収入増加に役立ったのである。

さて、この廃鉱施設、1990年代までは全面ガラス窓がすべて割れてしまい、使われなくなった機械設備が放置された状態にあったようで、いまでもWEBを見るとその写真が残されている(その意味では、個人が撮影した写真を全世界で見ることができるというのは、すばらしいことである)。

現在では廃屋や機械設備は撤去され、すぐそばまで温泉施設「百笑の湯」の駐車場となっている。当時をしのぶよすがとなるのは、コンクリート製のひな壇と「大仁金山」の看板だけである(坑口は閉鎖されている)。現在、この温泉施設の周りには、ホテルやレストラン、スポーツジム、石窯パン屋などがあって、一大レジャー施設となっている。

温泉施設には10以上もの浴槽があり、大仁金山跡から湧出する金山温泉の源泉かけ流しもある。ただ、規模が大きいので足し湯や沸かし湯も多いと思われる。わたしが気に入ってよく入るのは炭酸泉。ちょっとぬるめながら、温まっていると炭酸の水泡が体中に付いてすべすべになる。夜は虫が気になるので、露天には行かずもっぱら屋内のお風呂である。

ここのジムに、そうとは知らずに入会していたことは最初に書いたとおり。ジムに入ると温泉にもフリーパスとなるのでお得である(実際に「風呂だけ会員」もいるらしい)。石窯パン屋でその日売れ残った商品は、閉店後の8時を過ぎると温泉の受付で安売りするので(100円均一)、たびたび私の翌日の昼食になっている。


大仁金山跡。かつてはひな壇のそれぞれに鉱山施設が残っていて、廃墟ファン注目の的だった。


上の地点からふり返ると、間近に「百笑の湯」の建物が迫る。源泉は金山温泉といい、まさに大仁金山の中から湧いているそうだ。

[May 20, 2016]